杉田敦氏の著書「アソーレス、孤独の群島」を読んだ。
北大西洋のほぼ中央にぽっかりと浮かぶポルトガル領アソーレス諸島。その名を初めて聞いたのは、不思議なことにアソーレスから見ると地球の裏側ともいえる、インドネシアの辺境でかつてのポルトガル植民地だったヌサトゥンガラ諸島を旅していた時だ。フローレス(ポルトガル語で「花」の意味)という島の安宿で隣り合わせたポルトガルの老人がこんな話を聞かせてくれた。
「ここから見ると、地球の反対側にアソーレス諸島というところがあるんだ。そこにもフローレス(花)という名の島があって、面白いことに、そこも昔は有名な捕鯨の島だったんだ」
巨大なマッコウクジラを銛で突く勇壮なクジラ漁に魅せられ、足繁くヌサトゥンガラに通っていた私にとって、以来、アソーレスの名は忘れえぬものになった。
今回、「アソーレス、孤独の群島」を読んで、グローバリズムの辺境にあるこの二つの島の不思議な繋がりを思わずにいられなかった。
アソーレスの名がスポットライトを浴びたのは、いまから3年前。ジョージ・ブッシュ、トニー・ブレア、ホセ・マリア・アスナール(スペイン首相)、この3人の指導者がアソーレス諸島にあるテルセイラ島に集まり、イラク戦争開戦の密約を交わしたときだ(幸か不幸か、イラク戦争に多大な経済的貢献をした日本の首相は蚊帳の外だった)。
この会談の三日後、イラク戦争は始まった。美しい自然に恵まれた絶海の孤島に血塗られた歴史が刻まれたのだ。しかし、アソーレスがこうした不名誉な歴史の舞台になったのには布石があった。
話は再びインドネシア、ヌサトゥンガラに戻る。18世紀から19世紀にかけて、オランダとの戦いに敗れ、香料や白檀など巨万の富を生み出すヌサトゥンガラ諸島の利権をほとんど失ったポルトガルが、最後の砦として死守したのがヌサトゥンガラの東端チモール島だった。ポルトガルはこの東チモールの利権を維持するための交換条件として、第二次大戦中、軍事的要衝であったアソーレス諸島を連合軍の基地として使うことを許可したのだ。
以降、アソーレス諸島は今回のイラク開戦密約の舞台になったラージェス米軍基地を始め、いくつかの軍事施設を擁する基地の島となったという。それと引き換えに、ヌサトゥンガラの他の地域がインドネシアの一員としてオランダから独立した後も、東チモールは四半世紀に渡ってポルトガルの支配を受け、悲劇の独立戦争を招いたのだ。
ヌサトゥンガラのレンバタ島では、いまでも生存捕鯨として世界で唯一、勇壮なマッコウクジラ漁が行われている。一方、ポルトガルは1982年、反捕鯨国に転じ、捕鯨基地として栄えたアソーレス諸島は長い捕鯨の歴史に終止符を打った。