Here and There

移ろいゆく日々と激動する世界

地球のステージ

2006-03-03 04:16:08 | 多様性


 以前から気になっていた「地球のステージ」を世田谷の中学校で見た。
 「地球のステージ」は、世界の紛争地や被災地を股にかけ、医療ボランティアを続けている精神科医・桑山紀彦氏が、自ら撮影した被災地や紛争地の映像と音楽を合体させ、地球や人間のすばらしさを伝えるライブ・イベントだ。自ら撮影した映像に曲を付け、演奏し、唄い、かつ語るという桑山氏のワンマン・ステージである。
 撮影、歌、演奏、語り、どれもプロではない桑山氏だが、2時間にわたって淀みなく提示される映像と音楽のコラボレーションは、ちょっとびっくりするぐらい感動的だった。語るべきものを持ち、それを自分の言葉(方法)で伝えられれば、人の心を動かせるということを改めて教わったような気がした。どのくらい凄いステージかは、十年足らずのうちに、全国の学校などで千回を超える公演を行ってきたという実績をみればわかるかもしれない。 
 実は、桑山医師とは今から15年ほど前、カンボジアで取材させて頂いている。当時カンボジアには精神科医がたった1人しかいなかった。ポルポト政権時代のホロコーストで知識人が皆殺しにされてしまったからだ。桑山氏は、たったひとり生き残ったカンボジア人精神科医をバックアップしながら、ホロコーストによって大量に生み出されたPTSD(外傷後ストレス障害)患者の調査をされていた。日本でPTSDという言葉がまだ市民権を持っていなかった時代のことだ。
 そのとき、「なぜカンボジアに来たのですか」と桑山氏に尋ねたら、「学生時代、キリング・フィールドという映画を見て、カンボジアの人たちを助けたいと思った」と答えられたのを記憶している。この映画は欧米人が高所からアジアを見下しているような気がして、私はあまり感動できなかった。ただ、その話を聞いたとき、映画ってすごい力があるんだな、と思った記憶がある。
  人を動かすという意味では、桑山氏の「地球のステージ」は、映画「キリング・フィールド」をはるかに超えていると思う。難民キャンプ、ホロコーストの現場、あるいは被災地を巡りながら、桑山氏は彼らを決して高所から眺めることはなく、また、可哀想な人たちを助けなければ、という感傷もない。いつも同じ高さの目線に立って、ひとりひとりの人間の喜びや悲しみを見つめている。被災地で打ちのめされている人々がカメラの前で底抜けに明るい笑顔を見せてくれるのも、桑山氏に対する信頼があるからこそだろう。
 安定した生活を目指して医者を目指した学生時代。自分勝手な旅を繰り返していたバックパッカー時代。異文化への無理解。桑山氏はどこにでもいる普通の日本の若者だった頃を包み隠さず語ることで、観客を桑山ワールドへと引き込んでゆく。そして、彼を変えた地球の豊かさ、人の優しさを自らが体験したエピソードと共に語ってゆく。
 例えばこんなエピソード。紛争地ソマリアの病院で働いていたとき、ド派手な服を着た母親が子供をつれてやってきた。「敵の標的になるのに、なぜそんな目立つ服を着るのですか?」と桑山氏が尋ねたところ、「戦争で子供の心がすさんでゆきます。せめて私といるときぐらい、子供を明るい気持ちにさせてあげたいんです」と答える母親。危険を顧みず、子供を思う母の話が映像とともに紹介される。そのとき、日本人からは、貧しく、争いごとばかりいる印象しかないソマリアの人々が、実はとても豊かな感受性の持ち主であることに気づかされる。
 そう、私たちが頭の中で考えているより、地球ははるかに豊かなのだ。

「地球のステージ」ホームページ



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