自由自在

自分の出来ることはあまり多くない、ブログの内容が一定していません。自由自在に書いてます。

国民の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。安倍は非国民だ。

2015年06月13日 | Weblog

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


日本国憲法党をつくろう

2015年06月13日 | Weblog

戦後70年にあたり、戦争で犠牲になった人たちに感謝を忘れないようにしなければいけない。

戦前戦中の日本は、かなりひどい国家だった。国民より国家が優先され国家に逆らう者は思想家でも活動家でもみな、逮捕され、拷問を受け死んでいった。

基本的人権の尊重という言葉はなく国家尊重という感じだ。とはいえ、それは、権力者の思うが儘ということだ。皆、国を批判すると、非国民とののしられた。

今の、憲法になって、国家より個人の尊重が保障された。犯すことのできない権利になっている。

しかし、自民党の改正草案では、国家をのもとに国民を犠牲にすることができる。こんな憲法改悪を改正というバカは自民党くらいしかいない。

小泉総理は、自民党をぶっ潰してくれたほうがよかった。

日本国憲法を守るのが愛国者である。

99条に公務員の憲法順守義務が書いてある。

まったく無視する自民党に鉄槌を、英霊の天罰が下る日も近い。

日本国憲法を無視する安倍のような自民党は非国民といっても過言ではない。

戦後の平和の財産を、安倍のような馬鹿に食いつぶされてたまるか、、、

日本国憲法党は愛国者の党だ。

対米隷属の売国自民党とは違う。

うそつき安倍自民党と、戦おう。民主国家を守ろう。平和を希求するのに軍備はいらない。


天木が吼える。砂川判決は違憲無効だ。

2015年06月12日 | Weblog

天木直人メルマガより、、、

田中耕太郎最高裁長官が下した1959年の砂川判決が、安倍政権が
強行成立させようとしている安保法制案の合憲の根拠とされている。

 こんな馬鹿なことがあるか。

 日米安保体制は違憲だと断じた東京地裁の伊達判決を、マッカーサー
在日米国大使とみずらか密会を重ねて葬った最高裁裁判長田中耕太郎。

 この売国的事実が、米国の機密文書公開によって明かされたのは20
08年だった。

 この国の司法のトップが自ら憲法違反を犯していたのだ。

 最高裁長官であり、最高裁大法廷の裁判長である田中耕太郎が下した
のが砂川判決だ。

 砂川判決が集団的自衛権行使を容認しているかどうか、などという議
論以前の大問題である。

 砂川判決自体が違憲なのだ。

 その再審査請求訴訟を起こしている我々が、いまこそ立ち上がらなけ
ればいけない。


立憲国家を踏みにじる安倍政権

2015年06月12日 | Weblog

安倍は、法の支配とバカの一つ覚えでいうが、憲法を捻じ曲げ解釈をして都合のいい結論を出して集団的自衛権が合憲だという。

砂川事件の判決は田中耕太郎長官が時の政権のためにアメリカの意向をくんで判決を出した。自己の良心とこの憲法に基づいた判決ではなかったことが、アメリカの公文書から出てきている。

違憲の砂川判決を根拠にする愚、この矛盾に気が付かない愚、法の支配を言いながら、最高法規を無視する。あきれた内閣だ。

内閣が、憲法を守らないのは行政権が三権の中で実際の権力を握っているということだ。最高裁判所長官の人事権を持っている。これだけでも、内閣の意向で恣意的に、内閣寄りの裁判所長官を選べる。裁判所は、内閣の下に位置するといっても過言ではない。

時の内閣の意向のそむくような裁判官は出世できない、「絶望の裁判所」瀬木比呂志著に書いてある。どんなに優秀でも、公正中立、憲法に忠実でも上には行けない。

原発の判断でも、国民側に立った判決を出すことは勇気がいることだ。それは、裁判所をやめることにつながるから。しかし、心ある裁判官も下級裁判所にいるのだ。

残念ながら、優秀な裁判官はそれ以降裁判所にはいられない。

こんな、裁判所が権力を持てないのは、官僚の意識が高く、出世のために、時の政権に媚を売るからだ。どうにか、裁判所が権力の暴走を止めるような判決を出してほしい。

そのためには、最高裁判所の長官の指名は国会でやるほうがいいのではないだろうか。総理の使命と同じように。少なくとも、今よりは公正になるかもしれない。

ただ、多数党が決められることは、総理と同じだが、総理の意向よりも国民代表の国家議員の意思が反映されるだろうと思う。

でも、これをやるには、憲法改正する必要がある。

ついでに、9条などがかえられてもかえって藪蛇か。

自民党が、右翼政権になって、国民生活が疲弊してきた。労働組合が、骨抜きになり、幹部貴族のためのものになって、労働者は奴隷並みに近づいてきた。

こんな社会を、望んでいるのは大部分の国民ではない。なぜ、選挙で変えようとしないのだろうか。暴力的な革命はこの国では無理だ。

しかし、貧困が進めば革命は起こる。

世界の革命は貧困から始まっている、このまま階級社会が進めば、いずれ日本もそういう時代が来る。歴史の必然として。


日本を安売りする、ジャパネットアベ

2015年06月02日 | Weblog

なんだかんだといううちに、円が安くなったものだ。124円対ドルひところは80円台が当たり前だった。

輸入国家の日本は円高で安く物が買えた。しかし、日銀のおきて破りの国債買い、タコの足を食うように市中にカネをばらまいた。

しかし、デフレの脱却と念仏を唱えても消費税上げが響き効果が出ていない。もう、四年もやって、ばくちに年金を投入して株高を演出した。

外見はバブル時のような株高でカネを持っている人は潤っている。法人税の減税で、大企業の重役や、会社員も恩恵にあづかっているようだ。

しかし、しもじもの国民庶民は日々の生活に必死だ。あぶく銭もなく、非正規雇用の身分は虫けらのごとく雇用されている。賃金だってこの数年下がりっぱなしだ。

この現実を直視しないジャパネットアベは外遊してアメリカからオスプレイを正規の値段の倍も出して十何機も買った。誰の金だと考えているのか、これも、皆国民の税金だぞ。

福祉に回すとい、消費税アップの金はそんな安倍のおもちゃに代わってしまった。いい加減にやめろ。

国会の答弁では、ヤジを飛ばし、下品を絵に描いた国民の恥総理だ。ガキのような答弁はあきれて恥ずかしい。

とにかく、日本の財産を食いつぶす三代目は消えてくれ----------------------------!!