昨日福島県の海より南相馬市で運動サポーターさんへの講習会を<wbr></wbr>行いました。
約30名の参加でしたが、その中で何人かは、昨年の<wbr></wbr>震災の津波によって家を流されてしまった人が居ました
家を失っ<wbr></wbr>て1年。仮設住宅の生活をしながら、地域の人(特に高齢者)のためにサポーターになろうとしているのです
こういう奇特な、前向きの志を持った人に、しっかり、きっちり<wbr></wbr>と講習せねばと思った次第です
本当に頭が下がりますなあ
昨日福島県の海より南相馬市で運動サポーターさんへの講習会を<wbr></wbr>行いました。
約30名の参加でしたが、その中で何人かは、昨年の<wbr></wbr>震災の津波によって家を流されてしまった人が居ました
家を失っ<wbr></wbr>て1年。仮設住宅の生活をしながら、地域の人(特に高齢者)のためにサポーターになろうとしているのです
こういう奇特な、前向きの志を持った人に、しっかり、きっちり<wbr></wbr>と講習せねばと思った次第です
本当に頭が下がりますなあ
先日紹介しました、近藤 誠著「がん方治療法のすすめ」についての自分ながらの考察です。
この本の中でいくつかひっかかる点があります
まず、「本物」は、最初見つかった段階ですでにどこかに転移しており、結局は助からない、と述べていますが、数多く報告されている「がんからの克服」の中に、少なからず転移しているがんの治癒が報告されています
著者は、がん細胞の「本物」および「がんもどき」は発生した段階で、遺伝子的にその性質が決まっていると述べています。
しかし遺伝子の持つ各種のスイッチが体、感情の様相でオンあるいはオフになることが知られていますので、たとえば最初は、「本物」であっても「もどき」に、あるいは「もどき」であっても「本物」に変わってしまうことは当然有り得ると考えられます
したがって、生活様式、考え方、生き方を変えることによって、がんが消滅したり、そのまま共存したりということが起こっているのではないでしょうか
次に、著者は、がんは相当前に体の中に存在しているので、直近の出来事が原因でがんになったということはない、と述べていますが、働きすぎ、心痛、親近者の死、ストレスなどの直後にがん発生が多く報告されています。
これらはやはり、いわゆる免疫力が低下し、毎日5千個程度できていると言われている、がん細胞の「増殖スイッチ」が入り、目に見える形で出現すると考えたほうがつじつまが合うように思われます
したがって、近藤氏の言うように、検診はなるべく受けない。そしてがんになったら、まず放置して様子を見ながら、それまでの生活、ストレス、考え方、生き方に問題があったならそれらを改善する
そして、どうしても必要な場合のみ最小限で治療を受ける…ってな感じになるのでは、と考えられます
本の紹介です。
「がん放置療法のすすめ」近藤誠著、文春新書
ベストセラー「患者よ、がんと闘うな」の著者です。
この本を読んで、著者がこれまで提唱してきた「がんもどき」の考え方が、よ~く理解できました
まず、著者は、がんには「本物のがん」(以下本物)と「がんもどき」(以下もどき)があると言っています
「本物」は転移をするがん。「もどき」は転移しないがん。
「もどき」は転移しない性質のがんなので、この本の題名にあるように何もせずに放置して様子を見ろとのこと。
そしてこの「もどき」は多少大きくなることはあっても、命を奪うような悪さはしないのだそうな
これまで、一般的な治療で治ったり、特に医療的な治療を受けずに、そのまま生存したり、がんが消滅したような事例は、この「もどき」であったとのこと
次に「本物」の場合ですが、この「本物」が見つかった時点で、すでに他の場所に転移しているとのこと
したがって、見つかったがんを3大治療(手術、抗がん剤、放射線)で治療を施しても、そのうちに必ずや、すでに転移していたところのがんが姿を現す
つまりこの「本物」の場合には、最終的にはがんが広がって死に至るそうな
この時に大事なことは、3大治療、特に抗がん剤を使用した治療を受けると、かえって状態が悪化したり、寿命が何もしない時よりも短くなってしまうとのこと
また治療における合併症も出て来るのだそうな
この今一般的な治療を施すと、最後苦しむことは、以前このブログで紹介した「大往生したけりゃ医療とかかわるな」にも書かれていましたな
つまり、「本物」の場合は、生活が送れない状況の改善のために処置することはあっても、がんそのものに対してどんな治療をしても最終的には死に至るので、何もしないつまり放置療法が良いのだと言っています。
結局薬局、どちらのがんにしろ、何もしない放置療法が最善の対処法だと著者は提唱しているわけです
もし「本物」の場合には、遅かれ早かれがんが命を脅かしますが、そこに至るまでを、がんと苦しみながら闘う(正確には治療の副作用や合併症)方がいいか、特に何もせず日常生活が普通に送れる間はやりたいことをやって過ごした方がいいかということです。
この考え方はとても現実的、実用的だと思います
どちらにしても放置療法
しばらく経っても、特に生活に問題を生じない場合は「もどき」であり、まあやれやれ
しばらくしたらどんどん大きく広がったり、転移が見つかったらそれは「本物」
観念して、最期の締めくくりをきちんとしましょう、ということなのです。
興味のある方は、この本をぜひ読んで、この説を考えてみてくだされや
「日本語教室」 井上ひさし著、新潮新書、20011.9、680円+税
故井上ひさしの日本語についての講義を収録した本です。
この本の中で、意を強くした内容がありましたのでご紹介しましょう
言語学的に言うと、日本語の音節は114~116くらい。それに対して、中国語は400くらい、英語はなんと3万とも4万もあるとも言われているそうな
この音節が少ないということにより、森羅万象のものに名前をつける場合、どうしても同じ読みになってしまう、例えば「橋」と「箸」など
なんでも、字引で「しょうか」と引くと、「上下」、「小火」、「消火」、「消夏」、「唱歌」、「商家」、「娼家」など60以上あるのだとか
いわゆる同音異義語が多いということらしい
そこで、だから、当然、必然的に、やっぱり、出てくるのが駄じゃれなんだそうな
井上先生曰く、
「これは(駄じゃれは)、音の数が少ない日本語の宿命なんです。ですからむしろ、駄じゃれが出るのは日本語の長所なのだと考え方を変えたほうがいい。若い人もオヤジギャグだとかサムイとか言わないで、日本語の訓練だと思って駄じゃれ-「駄」がつくからいけないんですね-語呂合わせをやっていただきたいと思います。」
なんですよ、みなさ~んよ~く読んで頂戴な
落語も駄じゃれ、・・・じゃなくて語呂あわせが満載の文化なんですなあ
そこで、よしジーからの提案
これからは、「駄じゃれ」とは呼ばずに「貴じゃれ」と呼べばいいのではないでしょうかね
・・・さてと、ますます「貴じゃれ」の腕を磨くとすっか