華撃団 ブログ (かげきだん)

埼玉のよさこいチームです
仲間を信じて前へ進む事を決め       
気持ちも新たに「華撃団」と改名しました

信じてくれる人がいれば大丈夫

2011-07-02 00:14:18 | 日常
ちょっと、いい話をみつけたので シェアしますね 

矢島実さんは、トレーナーとして 数多くのオリンピックや世界選手権に帯同したり、
芸能人や著名人の心と体をサポートするなどして活躍されています。
その矢島さんの「ほろっ」と心に沁みたお話を紹介させていただきます。



実は私、小学生の頃ひどいイジメにあっていたんです。

学校に行っても机の上に塩が置いてあったり、黒板に「バカ、死ね」なんて書いてあって、本当に学校に行きたくなかった。


そう言えば、なんで机の上に塩が置いてあったかですけど、ちょうどそのころ私はネフローゼという難病になって

2~3カ月学校を休んでいました。

そして、常に塩分を控えるようにお医者さんに言われていたのです。

塩を摂り過ぎてはいけない体だったんです。

だから塩は、自分に対する「早く死ね」って意味だったんですね。

結構辛かったです・・・

今だから話せるけど。でも正直、母親や父親にはいつも強がったことばかり言っていたので

自分が今「苦しい・・」「助けてほしい!」なんて口が裂けても言えませんでした。

その代わりに言えた言葉は、母に対しては「バカヤロー」、「うるせー」でした。

父親のことは「無視」 本当に申し訳ないことばかりでした。

「とにかく寂しかったんです。孤独だったんです」

だから中学校に上がっても私は荒れていました。

他校の生徒とケンカをしたり、パトカーにも2度乗せられました。

万引きもたくさんやりました。 「多分、誰かに振り向いて欲しかったんです。」

この頃、私はどの友達の親にもこう言われていました。

「矢島と遊んではいけない!」だから、一緒にいるのはほんの少しのワルだけ。

けれど、勉強もできない、世の中の役にも立たない私に転機が訪れたのです。


それは中学1年生から3年生まで私の担任をしてくれたC先生のおかげです。

中学2年の時、C先生は私たちの行動にあきれたのと、私たちの将来を心配してこう言ってくれました。

「毎朝、少し早く学校に来て先生と一緒に勉強しないか?」

というより、半ば強制的に「来い!!」というようなものでした。

私たちは、その朝の勉強会に最初のうちは興味半分で行きました。

しかし、だんだん1人減り2人減り、やがてみんな行かなくなりました。

そんなある日、C先生が私たちを本屋に連れて行ってくれました。

「難しい問題集じゃなくて自分達が好きで、できそうな問題集を好きなだけ買え。お金は先生が払うから・・・」

「先生お金持ちなんだな!」と思いながら、 私たちは、かなりの時間をかけて簡単そうな問題集を探し、

1人2~3冊買ってもらいました。

しかし数日後、私はその本をゴミ箱に捨てました。

やっぱり勉強はやりたくないし、好きではないからです。

しばらくして、そんな態度を見かねたC先生が、「お前たち、たまには先生の家に遊びにこないか?」と誘ってくれました。

ちょうどC先生には、赤ちゃんが生まれたばかりだったので、さっそく仲間たちと一緒にC先生の家に行きました。

私はC先生の家の前に立った瞬間、立ちすくみました。 鳥肌が立ちました。

あれだけの本を買ってくれた先生の家が、古くてぼろいアパートなんです。

(先生、ごめんなさい・・・)

先生はお金に余裕があるから、 たくさんの問題集を買ってくれたと思っていたのに・・・。

私は比較的裕福な家に育ちました。当時の先生と比べたら、きっとお金持ちです。

私は、ちょっと具合が悪くなりました。けれど、そのまま先生の家に入りました。

小さな部屋でした。夫婦2人と赤ちゃんが、古くて小さい部屋に住んでいるんです。

とても贅沢とは、ほど遠い家です。

こたつの上には私たちのために一生懸命に作ってくれた豪華な料理がありました。

その横でとっても可愛らしい赤ちゃんがニコニコしていました。

私は一瞬、自分の心をハンマーでたたかれたように苦しくなりました。

こんなに生活を切り詰めてやっている先生がいくら生徒とはいえ、

赤の他人の私たちに沢山の問題集を買ってくれた。

奥さんや赤ちゃんには質素な暮らしをさせておいて、やるかやらないかもわからない私たちに、

無理して問題集を買ってくれたんだ…。

申し訳ない。本当に申し訳ない。

こんなろくでなしの自分が嫌で嫌でしょうがない。

私はその問題集に全く手をつけることなく、非情にも捨てたのです。

完全に人間のクズです。

人の心も有難みも感じない、私はこの世に存在する価値もないクズなんだ。

本当に、そう想いました。とめどなく涙があふれてきました。

先生ごめんなさい。 本当にごめんなさい。

私はなるべく早く先生の家をでました。というより苦しくて 一秒でもその家にいられなかったのです。

私は帰り道、先生と一緒に行った本屋へ走って行きました。

先生が買ってくれた問題集を自分のお金で買いました。

それから毎朝、私は先生の待つ教室へと通いました。

私はどんどん勉強ができるようになり、手をあげて答えるのが楽しくなりました。

生まれてはじめて、勉強を楽しいと思えたのです。 勉強って、楽しいな!と想えたことが・・・。

C先生のおかげで、私は最終的に慶応義塾大学まで進学することができたんです! 信じられないでしょう(笑)

私は、この時に気づきました。 「ダメな人間でも、信じてくれる人がいれば大丈夫」 だと。

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