ネガティブと共に生きれなかった

私の『近所の老人の弔問を断ったホームページURLを載せている紹介ブログ』です。後日談や補足的説明なものを綴っていきます。

今日はただのボヤキ

2023-12-12 21:47:41 | 私のHP
こんばんは、ゆみつぐです。

ずっと園芸オバサンへ批判的な態度を取っていたというのに、前々回の記事で大根をもらったということで、
もう閲覧者に見限られたかもと不安でしたが、その次の記事になる前回では、閲覧者さんの人数は一応安定していて、ホッと一安心でした。gooブログの有料版ではないのでブログの『閲覧状態』は全く詳細はわからないですけど。

ここからは余談・フリートークになります。
お付き合いいただけるだけ構いません。

前回・前々回の私のブログをふと文章を読み返さず、頭の中で思い出してみると、
『毎年大根がもらえるか気になるオッサン』です、きっと。
笑ってやってください。

それは置いといて本編ホームページやこのブログの作成の参考のため、『お裾分けの近所トラブル』についてネットでずいぶん調べたことがありました。
トラブル相談は、閲覧者が答える相談サイトが一番勉強になります。

そこでうる覚えですが、気になった相談がありました。

ある主婦はよく近所の人たちにお裾分けをするそうですが、ある時数が足らなく、さてどうしようか?と。
それならいつも自分からあげてばかりのお返しのしない人をそのお裾分け対象メンバーから外して、配ったそうです。
そうしたら後日、お裾分けを配ったメンバーの一人から、もらなかったその人が『自分はもらえなかった』と怒っていたいう話をその相談者さんは聞かされたそうです。
で『どう思いますか?』のような相談だったと思います。

閲覧者の回答は、もちろん『そのもらえなかった人の方が良くない』の回答ばかりでした。

なんか要約すると私のケースに似ていますね…。
私の記事も読みようによっては『お裾分けをもらえず逆ギレしている』ようにしかみえないでしょう。

そんなネットの質問・相談ごとを思い出した話でした。
それならこの相談者も何か物を渡す時に「この前もらったお返しに」と言葉を掛けながら渡したとしても、
物をもらわえない人のところに話が行く時には、『お返しにもらった』などの理由が抜け落ちて話されるか、またはその理由を聞いてももらえなかった人が『私だけもらえなかった』という被害者ぶりをただひたすら主張するかになるでしょうね。

以上、そんな色々と考えた話でした。

ネットの話だけでも何なので、この前の園芸オバサンの話でも。
この前(収穫祭りの後日)、私が車で出掛けようと玄関から出たら、ちょうど園芸オバサンが帰ってきて駐車スペースに自転車を置いている後ろ姿をみかけました。で、私が車に乗り込もうと家を出た8秒(10秒では長い)もしないうちに家に入っていました。
思わず「早!!」って私、声を出してしまいましたわ。
すごい動きです、私に姿も見られたくなかったのでしょう。大根は渡すくせに。
お裾分けは対・近所向けの偽親切心の既成事実作りだと思っています。
園芸オバサンの性格からしたら、人に『自分はあの人(私)に大根をあげている』と何かの機会があれば言いふらすでしょうし、私が受け取らなければ、『自分は気を遣っているのに向うは受け取らない』と言いふらすでしょうし。
皆さん「あなた、被害妄想ではないか?」とお思われるでしょうが、私は『この人は何でも近所でネタにする人』とはっきり知っています。

と書きつつ、私は大根をもらったことで、素直に大根の存在に感謝はしています。大根に罪はほんとにないのです。でも園芸オバサンには不信感しかありません。

少しだけのお知らせ、これからはブログ記事の一番最初に、
※ここに書いている出来事はノンフィクションですが、それに対する私の意見はただの感想ですので、皆さんも読んでいて思うことがあることは重々承知しています。
とお断りを入れておこうと思います。自戒の意味もこめまして。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございます。