
国主導のドービングの犯罪で、国としての参加を拒否され東京五輪では国歌演奏を拒否され、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を代わりとするらしいが、むしろバッハの曲を選択したら五輪会長はご満悦だろう。
個人の資格で参加するロシアチームは選手村の設備に不満が有る。
狭い部屋に5人、トイレは一つ、冷蔵庫もテレビもない宿舎は「中世の日本みたい」と不満を述べる。
五輪組織委員会の会長や事務総長は想定外の発言に驚愕する。
開催意義の「五輪という夢の実現」は不祥事の連鎖とコロナ禍で夢風船は破裂し、ナイトメアの実現が現実味を帯びてきた。
大成功の1964年から56年ぶりの2020東京五輪は何故に呪われたのだろうか。
昭和39年五輪は岸総理大臣は乗り気ではなかったが国民が遣ろうと創意工夫のボトムアップで準備したから大成功、安倍総理大臣が先鋒と成って上級国民の独断と偏見で猪突猛進、国民のグッド・アイディアを受け付けずトップダウンなら指示待ち人間となる。
五輪貴族と上級国民とそのお友達のエゴイズムを押し通せば、こんな人達に負けるのだろう。