
コロナウイルス蔓延で全国の名所旧跡を訪ねる旅は敬遠されるご時世で、昔に訪ねた西国33カ寺観音霊場巡拝や四国88カ寺遍路の朱印帳を紐解き旅心を満足させる。
本来は仏様の偉大さに畏敬の念を抱き心から尊敬する礼拝行だろうが、墨蹟朱印の収集が目的だった。動機不純、神仏を恐れぬ野蛮な行為だった。
印章結集、日本人でない人にはスタンプラリーと言えば分かり易いだろう。牛に引かれて善光寺参り、印章結集が引き金となって老人は信心深くなったのである。
四国札所栄福寺や地元の極楽寺九品院など寺巡りをすると心惹かれる絵に遭遇するのだった。朱印は「ぜんきゅう」、作者は誰だ、好奇心を刺激され、調査するのは自然の成行だろう。
知多半島の先端の南知多町にアトリエがある事を突き止め訪問した。好ましい絵を多く展示販売する。夫喜寿、妻古希を息子達が祝い、贈り物を頂戴しその返礼品の作成を依頼したのだった。
完成した連絡を頂戴し昨日は受け取りに出向いた。「ぜんきゅう」本人にお会いでき雑談した。有名人だから上から目線で話すだろうと警戒したが、並行目線で自然な会話は楽しい一時だった。
「ぜんきゅう」とひらがな表記する説明をする。漢字表記すると全休、母親が一休なら素晴らしいが全休とは怠け者の代名詞じゃないかと涙した。その涙に負けて漢字を放棄しひらがな表記にした様だ。そんな優しい心根が絵に反映されているのだろう。その優しさに負けておかめ・ひょとこの絵を購入したら、50年後の顔を「おまけ」してくれた。
「ぜんきゅう」の絵を印刷した手拭いの「令和元年記念南知多開運五ケ寺めぐり」の印章結集を見つけ病気が再発し成満したのだった。