
昨日は気分が悪く、落ち込んでいたら妻 (家内・カミさん・女房・嫁さん・ワイフ・配偶者・うちの大蔵省・連れ合い・カカア・愚妻・かあちゃん・うちのヤツ・嫁・鬼嫁・ぬかみそ女房・細君・ベターハーフ・奥さん) が気晴らしに岩谷観音に行こうと誘ってくれた。
岩谷観音は全国に散在するが、今回は豊橋市に存在する観音様である。
案内書を転記すると「天平2年(730)、行基がこの地に赴いたとき、その風景に見せられて千手観音像を刻んで岩窟に安置したのが起源とされています。以来、東海道を往来する旅人たちの信仰を集めました。岩屋山頂の聖観音立像は明和2年(1765)に建立されましたが太平洋戦争中に供出されてしまい、現在のものは昭25(1950)に再建されたものです。岩屋山の南側にある観音堂の天井板には、恩田石峰をはじめ当時の吉田(豊橋の旧名)画人による絵が描かれています。 また、岩屋観音周辺は公園として整備され、春はさくらまつりが開催されにぎわいます。」
近くに二川宿本陣資料館があるので帰路に立寄ったら、極めて多くのお雛様が展示されていた。二川宿のひなまつりのパンフレットを頂戴した。令和四年一月二九日~三月一三日の長期間である。
老人の常識は雛祭りは3月3日の節句(上巳の節句、桃の節句)に行われる年中行事である。
「3月8日の雛祭りは変だね」
「何言ってるの、二川宿のひなまつりでしょ、イベントでしょ、認知症じゃないの」と叱られた。
「ひなまつり」の言葉で何を想像するかは、各人各様で千差万別である。一水四見、唯識である。
寺の住職の法話を思い出した。「衆生はそれぞれの分別で物事を判断するが、仏は無分別、善だ悪だ、勝ちだ負けだ、損だ得だなど二元的にものを見ないから、全ての物事は如何でも良い」
認知症の言葉を私の分別で妻を叱ると弁舌爽やかに妻の分別で言い返され喧嘩になる。
争いは苦手だから「ごめん」と謝り喧嘩は終わった。
怨みを以って怨みに報ぜば、怨み止まず、妻の解釈を素直に受け入れ「そだね!」の言葉で終わりにするのが仏道の実践だろう。