東京でカラヴァッジョ 日記

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ユトリロとヴァラドン 母と子の物語(損保ジャパン日本興亜美術館)

2015年06月20日 | 展覧会(西洋美術)

ユトリロとヴァラドン 母と子の物語
スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年
2015年4月18日~6月28日
損保ジャパン日本興亜美術館



 もっぱらヴァラドンばかりを観る。

 “苦しい修業の必要な絵”を描き続けたヴァラドン。1937年に2点が国家買い上げとなるなど、画家として成功している。


1865年 生まれる
1869年 母とともにパリに移る
1880-82年 サーカスの曲芸師となるが、空中ブランコに失敗して怪我をして退団、画家のモデルとなる。
※スュザンヌは、通称。ロートレックが、相当年上の画家たちのモデルをするヴァラドンを皮肉って、旧約聖書外典「スザンヌの物語」からつけたもの。
1883年、ユトリロを生む。この頃から絵を描き始める。
1896年、実業家ポール・ムジスと結婚。
1904年、ユトリロ、アルコール依存症治療のために絵画制作をはじめる。
1909年、ユトリロの友人で21歳年下のアンドレ・ユッテルとつきあいはじめる。
1911年、ムジスと別れる。
1914年、アンドレ・ユッテルと再婚。
1935年、ユトリロ、5歳年上のベルギーの銀行家の未亡人リュシー・ヴァロールと結婚。
1938年、死去。
1955年、ユトリロ死去。


第1章 ヴァラドンとユトリロ、ふたりの芸術家の誕生
第2章 ヴァラドンの再婚とユトリロの「白の時代」
第3章 ヴァラドンの円熟期とユトリロの「色彩の時代」
第4章 晩年のヴァラドンとユトリロ


裸婦が特によい。ほか、家族を描いた作品も興味深い。

【裸婦】
No.16≪入浴の後で≫1909年、ポンピドゥー・センター蔵

No.30≪試着≫1916年、個人蔵

No.35≪黒いヴィーナス≫1919年、ポンピドゥー・センター蔵(マントン美寄託)

No.34≪裸婦の立像と猫≫1919年、個人蔵


【家族】
No.45≪自画像≫1927年、ユトリロ-ヴァラドン美蔵

No.07≪12歳のモーリス・ユトリロ≫1896年

No.40≪モーリス・ユトリロの肖像≫1921年、ユトリロ-ヴァラドン美蔵

No.21≪画家の母≫1912年、ポンピドゥー・センター蔵

No.39≪ユッテルの家族の肖像≫1921年、ポンピドゥー・センター蔵

No.44≪窓辺のジェルメーヌ・ユッテル≫1926年、個人蔵

No.69≪リュシー・ユトリロ・ヴァロールの肖像≫1937年、個人蔵



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