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東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

フューズリ《夢魔》など7選 - 怖い絵展(上野の森美術館)

2017年10月11日 | 展覧会(西洋美術)
怖い絵展
2017年10月7日〜12月17日
上野の森美術館



   その闇を知ったとき、名画は違う顔を見せる。

   想像によって恐怖は生まれ、
   恐怖によって想像は羽ばたく。

   どうして
 
 
   作家・ドイツ文学者の中野京子氏のベストセラー『怖い絵』シリーズ。 
   私も角川文庫版の3冊およびNHK出版新書『「怖い絵」で人間を読む』を持っている。昨年『怖い絵』の新作も出ている(現在単行本で発売中)。
 
 
 
本展の構成
 
第1章   神話と聖書
第2章   悪魔、地獄、怪物
第3章   異界と幻視
第4章   現実
第5章   崇高の風景
第6章   歴史
 
 
   以下、ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》以外で、印象に残る作品を記載する。6選。ドラローシュとあわせて7選となる。
 
 
 
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
《オデュッセウスに杯を差し出すキルケー》
1891年
オールダム美術館
 
   ギリシャ神話上の魔女キルケー。キルケーの背後の鏡に映る男性がオデュッセウス。キルケーの右下にうずくまる豚は、キルケーが差し出す飲食物によって変身させられたオデュッセウスの部下。画面下部に描かれる蛙、これも変身させられたオデュッセウスの部下なのか。
 
 
 
ギュスターヴ=アドルフ・モッサ
《飽食のセイレーン》
1905年
ニース美術館
 
   海抜上昇により水没した街。高い建物の尖塔だけはまだ水面上にあって、豚たちがしがみついている。
   大きく描かれるのは、女性タレント「ベッキー」似の顔を持つ、ギリシャ神話上の海の怪物セイレーン。
   豚が登場するのは、前述のキルケーとも重ねられているのだろう。
   モッサ(1883-1971)は、ニース生まれのフランス象徴主義の画家。絵を制作したのは1905〜1918年頃まで、第一次世界大戦に従軍し負傷した後は絵画から遠ざかったという。本展には、もう1点モッサの作品、胸の大きな裸体の女性が屍の山の上に座る《彼女》(1905年、ニース美術館)も出品される。
 
 
 
ヘンリー・フューズリ
《夢魔》
1800-10頃、31.4×22.8cm
ヴァッサー大学、フランシス・リーマン・ロブ・アート・センター
 
   フューズリ(1741〜1825)は、スイス・チューリヒ出身でイギリスで活躍したドイツ系スイス人の画家。画家としての活躍を見込まれてイギリスに渡ったのではなく、政治的事情で若くして国外追放令を受けた後イギリスに渡り、そこで画家としての才能を見出されたらしい。
 
   代表作として知られるのは、
 
《夢魔》
1781年、101.6×126.7cm
デトロイト美術館
 
  本作は大成功したらしく、その後何点か再制作している。
 
  その一つが
 
《夢魔》
1790-91年、77×64cm
ゲーテ博物館、フランクフルト
 
   縦型でサイズも小さくなっている。
 
 
   さらに一つが本展出品作。
 
《夢魔》
1800-10頃、31.4×22.8cm
ヴァッサー大学、フランシス・リーマン・ロブ・アート・センター
 
   サイズの小ささに驚く。デトロイト作品の出品は叶わなかったが、よくこの小品を出品までこぎつけたものだ。
 
   なお、中野京子氏のブログによると、上記作品の出品が決まる前のこと、デトロイト作品が借りられず、兵庫県立美術館学芸員氏は私費でせめてもと夢魔の版画入り古書を購入したそうである。本展の出品番号15の古書や16のエッチングは個人蔵とあるが、その学芸員氏が購入したものなのだろうか。
 
   本作は何が描かれているかは、本展公式サイトの「中野京子's  eye」を参照。
 
 
   本展のフューズリ作品は、《夢魔》以外に2点の油彩画が出品。ロイヤル・アカデミー所蔵の《ミズガルズの大蛇を殴ろうとするトール》は3年前にも来日。リバプール国立美術館所蔵の《オイディプスの死》は今日も無事だろうか、心配。
 
 
   フューズリについては、1983年に国立西洋美術館にて「ハインリヒ・フュースリ展」が開催されている。絵画25点、素描82点の計107点の出品で、デトロイト美術館所蔵作品も出品された。11/12〜12/18の会期で入場者数は38,414人と、会期も短いが入場者もそれほど。あまり評判にならなかったようだ。なお、同館が同展覧会を機に購入した作品《グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ》(1783年頃)、276×317cmの大型作品は、今日も同館常設展の壁一面を独占している。

 
 
ポール・セザンヌ
《殺人》
1867年頃
ウォーカー・アート・ギャラリー、リバプール国立美術館
   
  セザンヌの作だからこそ本展で取り上げられた、直截的な怖い絵。
  セザンヌは20代後半から30代前半にかけて、こんな感じの暴力的でエロティックな作品をかなり描いているという。
 
 
 
ジョージ・スタッブス
《ライオンに怯える馬》
1770年
ウォーカー・アート・ギャラリー、リバプール国立美術館
 
   スタッブス(1724〜1806)は、専ら馬を描いた作品で知られるイギリスの画家。本作では、白い馬が全身で怯えを現わす。怯えた馬が本当にこんな感じになるのかは知らない。馬の前に現れたライオンはなんか間抜けな表情。馬は得意でもライオンはそうではないのか、狙ってそう描いたのか。
 
 
 
ウォルター・リチャード・シッカート
《切り裂きジャックの寝室》
1906-07年
マンチェスター美術館
 
   19世紀末、ヴィクトリア女王時代のロンドン社会の闇、1888年の連続猟奇殺人事件。犯人不明。
 
   事件から130年経とうとする今でも、犯人の正体推理が盛ん。
   米国女性推理作家のパトリシア・コーンウェルが2002年に公刊した著書(2017年にも新刊を発表)にて犯人とした人物が、画家ウォルター・リチャード・シッカート(1860〜1942)である。
 
   シッカートは犯人に尋常ならざる興味を示していたらしい。
   本展出品作も、犯人が住んでいたという噂のある部屋をわざわざ借りて、その部屋を描いたものだという。誰もいない部屋が描かれているのだけれども、画家が絵に込めた想いによって、鑑賞者には何にだって見える。
 
   19世紀末のロンドン社会の闇は大の苦手、昔ジャック・ロンドンの1903年発表のルポタージュ『どん底のひとびと』を読もうとした(途中で投げ出した)後遺症である。当然、ジョージ・オーウェルの1933年発表のルポタージュ『パリ・ロンドン放浪記』は読もうと思ったことすらない。
 


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