東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

フェルメール《デルフト眺望》 -その展覧会出品歴

2018年11月08日 | フェルメール

   オランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館は、フェルメール作品を3点所蔵する。

   うち、《ディアナとニンフたち》および《真珠の耳飾りの少女》は、2012年のマウリッツハイス美術館展のほか、過去に複数回来日したことがある。

 もう1点、フェルメールの最高傑作とも言われる《デルフト眺望》については、来日したことはない。

   そこで、《デルフト眺望》の展覧会出品歴を確認する。


 マウリッツハイス美術館は、2012年から2014年まで拡大改修工事を実施した。
 その間、《真珠の耳飾りの少女》と《ディアナとニンフたち》は、東京と神戸の
マウリッツハイス美術館展のため、2012年6月〜2013年1月まで出張した。

 《真珠の耳飾りの少女》は、日本のあとも引き続き、2013年1月から2014年1月にかけてアメリカ3都市に出張している。

   その間、《デルフト眺望》はどうしていたかというと、ずっとハーグにいた。ハーグ市立美術館である。

 ハーグ市立美術館では、2012年4月28日~2014年6月30日までの2年2カ月、「Highlights from the Mauritshuis Collection」と題し、約100点のマウリッツハイス美術館所蔵作品を展示した。《デルフト眺望》のほか、レンブラント《テュルプ博士の解剖学講義》、パウルス・ペッテル《雄牛》など、マウリッツハイス美術館が誇る作品が展示されていたようだ。

  2012年6月30日から上野で公開された《真珠の耳飾りの少女》も、6月15日まではハーグ市立美術館に展示されていたとのこと。



   さて、
デルフト眺望》の展覧会出品歴。

    デルフト眺望》は、1822年にマウリッツハイス美術館の収蔵となっている。それ以降はハーグを出たことはほぼないものと想像していたが・・・。


    デルフト眺望》が出品された展覧会(ハーグで開催された展覧会を除く)。

1)Paris, 1921
 Exposition hollandaise. Tableaux, aquarelles et dessins anciens et modernes

2)London, 1929
 Exhibition of Dutch Art, 1450-1900

3)Amsterdam, 1945
 Weerzien der meesters

4)Delft, 1950
 Het Koninklijke kabinet 'Het Mauritshuis' in het museum 'Het Prinsenhof' te Delft

5)Paris, 1966
 Dans la lumiere de Vermeer

6)Paris, 1986
 De Rembrandt a Vermeer: Les peintres hollandais au Mauritshuis a la Haye

7)Washington DC, 1995-96
 Johannes Vermeer

 全部で7回。うち、オランダが2回(アムステルダム1回、デルフト1回)。オランダ以外が5回(パリ3回、ロンドン1回、ワシントン1回)。



 1921年のパリの展覧会は、プルーストが見たというオランダ美術の展覧会。


<ウィキメディアより>
 プルーストが特に高く評価した画家はフェルメール、ルノアール、モローなどで、特に死の前年に鑑賞したフェルメールの『デルフト眺望』はプルーストに重要なインスピレーションを与えており、『失われた時を求めて』での作家ベルゴットの死のシーンにそのときの体験がそのまま使われている。


 フェルメール出品作は、《デルフトの眺望》、《牛乳を注ぐ女》、《真珠の耳飾りの少女》の3点。つまり、フェルメール人気作品ベスト3限定の出品。凄い。プルーストのような天才でなくても、一般人でも充分に酔うと思う。
 それから想像するに、フェルメール以外のオランダ画家の出品作も、きっと選りすぐりの代表作揃いであったに違いない。

 

   1929年のロンドンのロイヤル・アカデミーの展覧会には、フェルメール作品がなんと9点も出品さた超大型の「オランダ美術展1450-1900」。

《デルフト眺望》
《真珠の耳飾りの少女》
《ディアナとニンフたち》
《牛乳を注ぐ女》
《手紙を読む青衣の女》
《小路》
《音楽の稽古》バッキンガム宮廷王室コレクション
マルタとマリアの家のキリスト》スコットランド国立美
《手紙を書く婦人と召使》アイルランド国立美

 
 
   1966年のパリ・オランジュリー美術館は、なんと12点ものフェルメール作品が出品された「フェルメールの光」展。
 
デルフトの眺望》
《真珠の耳飾りの少女》
《ディアナとニンフたち》
《牛乳を注ぐ女》
《小路》
絵画芸術》(ウィーン美術史美)
《水差しを持つ女》(メトロポリタン美)
《少女》(メトロポリタン美)
《レースを編む女》(ルーヴル美)
《天文学者》(ルーヴル美)
ヴァージナルの前に立つ女》(ロンドン・ナショナルギャラリー)
《手紙を書く婦人と召使》アイルランド国立美



   1986年のパリのグラン・パレの展覧会は、フェルメール作品2点の出品。これは、フェルメール展やオランダ美術展ではなく、マウリッツハイス美術館所蔵展だったらしい。
 
デルフトの眺望》
《真珠の耳飾りの少女》
 
 
 
   1995-96年のワシントン・ナショナルギャラリーでの展覧会は、フェルメールの歴史的回顧展。史上最大の22点が出品されたという。また、その後巡回したオランダ・ハーグの展覧会では、《牛乳を注ぐ女》1点を加えて23点の出品となっている。
 
 

   以上から、《デルフトの眺望》が貸し出されることは、非常に少ないけれども、全くないわけでもないことが分かった。

   とはいえ、フェルメールを所蔵しない日本(1点、「フェルメールに帰属」の《聖プラクセディス》は国立西洋美術館に寄託され、2015年から常設展示されているけども)に来ることは、厳しそうである。

   2018-19年の東京・大阪のフェルメール展の企画者であり、「フェルメール・シンジケート」の一員であるらしい秦新二氏の著書『フェルメール最後の真実』(文春文庫)においても、 《デルフトの眺望》来日交渉の話は出てこない。
 
 
✳︎本記事は、2012.6に掲載した記事を更新したもの。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。