SHIBUYAで仏教美術
ー 奈良国立博物館コレクションより
2022年4月9日〜5月29日
渋谷区立松濤美術館
奈良国立博物館所蔵の「主として仏教に関する美術工芸品の一端」83件が出展される本展の後期を訪問する。
私のお目当ては、国宝《辟邪絵》。
六道とは地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の六つの世界のことで、平安時代後期より六道絵や地獄絵がしばしば描かれましたが、これは極楽往生への想いを強めることを期待したのでしょう。辟邪絵は悪鬼を退治する善神を描いたもので、六道絵の一種とする解釈があります。
見た目やその行為の凄惨さはともかく、善神なのだ。
もとは一つの絵巻であった(かつて益田鈍翁が所蔵していたので「益田家本地獄草紙乙巻」と呼ばれた)が、戦後に切断されて、現在は5幅の掛幅装になっている。
5幅に描かれる辟邪神は、天刑星、栴檀乾闥婆、神虫、鍾馗、毘沙門天王。
前期(〜5/8)の天刑星、栴檀乾闥婆、毘沙門天王の3幅に続いて、後期(5/10〜)は、鐘馗、神虫の2幅が展示される。
国宝《辟邪絵(へきじゃえ)》
平安〜鎌倉時代12世紀
[前期展示]
「天刑星(てんけいせい)」
26.0×39.2cm
〈詞書(意訳)〉
天上に「天形星」という星がいる。牛頭天王(ごずてんのう)とその部類ならびに諸々の疫鬼をつかんで、酢につけてこれを食らう。
[前期展示]
「栴檀乾闥婆(せんだんけんだつば)」
25.8×77.2cm
〈詞書(意訳)〉
世間の婦女の孕んだ子に腹の中で害を与え、生まれた後も命を奪い、あるいは種々の病を引き起こす鬼に十五の種類がある。童子の母が嘆き悲しむこころざしを哀れむ「栴檀乾闥婆」というものがいて、この鬼等の首を切って戟に突き刺す。十五の鬼は痛み苦しんだ。
[前期展示]
「毘沙門天王(びしゃもんてんぞう)」
25.8×76.5cm
〈詞書(意訳)〉
山林の中で法華経を読み修行するものがいて、大乗仏教の意義を思惟しているところに鬼神が飛び来てこれを邪魔しようとする。そのとき、「毘沙門天王」が仏法を護持するために片手に矢をつがえ、その庵の上を翔けて鬼神を射る。鬼は矢にあたって地に落ちて悲しんだ。
[後期展示]
「鍾馗(しょうき)」
25.8×45.2cm
〈詞書(意訳)〉
贍部州(仏教の世界における人間の住む世界)に「鍾馗」というものがいる。諸々の疫鬼を捕えてその目をえぐり出し、躰を破って棄てる。このことから、人々は新年に家を鎮めるためにその像を描いて戸にかける。
目をえぐり出す描写は凄惨だが。
[後期展示]
「神虫(しんちゅう)」
25.8×70.0cm
〈詞書(意訳)〉
贍部州(仏教の世界における人間の住む世界)の南方の山中に「神虫」が棲んでいる。諸々の虎鬼を食物とし、朝に三千、夕に三百の鬼をとって食らう。
朝に三千、夕に三百。
繰り返しとなるが、悪鬼を退治する善神なのだ。
私的には、天刑星、栴檀乾闥婆、毘沙門天王の3幅は2014年の東博「日本国宝展」にて、神虫は2016年の江戸東京博「大妖怪展」で見ているが、鍾馗は初めての実見となる。
後期は、重文《沙門地獄草紙(沸屎地獄)》1幅も展示。
重文《沙門地獄草紙(沸屎地獄)》
平安〜鎌倉時代12世紀
26.3×104.4.cm
沙門地獄に堕ちた、僧の大群。
獣頭人身の獄卒に責め立てられ、沸騰した糞尿の川に突き落とされる。
恐怖のあまり涙を流すと、目から炎が噴き出す。
僧でありながら、飲酒や肉食に溺れる者がなんと多いことか。
後期展示の《泣不動縁起》下巻(前期展示は上巻)の不動明王の姿がカッコいい。
《泣不動縁起》下巻
室町時代15世紀
31.7×553.0cm
三井寺の証空は、重病に陥った師の智興の身代わりを申し出て、病を受ける。
病のあまりの苦しさに、日頃信仰していた不動明王の絵に、来世の安楽を祈る。
すると、憐れんだ不動が涙を流し、絵は壇上に落ちる、つまり、不動は、証空のそのまた身代わりとして死ぬ。
死んだ不動は、後ろ手を縛られ、冥土の使者に閻魔庁へ引かれていく。
この不動の姿がカッコいい(画像ではそれほどでもないが、実物は格好良い)。
前後期とも、スペースの関係か、絵巻がフルオープンされておらず、見どころ場面の一部が公開されないのは残念。
本展の残す会期は、6日間。
この会期最終週は「日時指定予約制」となり、美術館ホームページから予約する必要がある(入館料は現地での支払い)。
ただ、これまでの様子だと、総じて余裕ありで推移している模様。