
発掘された珠玉の名品
少女たち - 夢と希望・そのはざまで -
星野画廊コレクションより
2024年12月14日~2025年3月2日
三鷹市美術ギャラリー
2023年7月に京都で始まった本展が、福島、新潟、高知、呉を経て、東京にやってきた。
京都東山岡崎にある老舗画廊・星野画廊。
星野夫妻が50年にわたり営んでいたこの画廊は、「描いた画家の名前にとらわれず、不遇に埋もれていた優品を数多く発掘してき」ており、「星野氏自ら資料による裏付けを行い、企画展として紹介してきた作品な膨大な数にのぼ」るという。
本展は、星野画廊コレクションから、「少女たち」というよりも、さまざまな年代や境遇の「女性たち」を描く作品121点(前後期あわせ)が展示される。
笠木治郎吉、北野恒富、岡本神草、甲斐荘楠音、島成園、宮本三郎など名前を知る画家もいるが、多くが初めて名を見る画家。
以下、お気に入り作品5選。
笠木治郎吉、松村綾子、谷出孝子、島崎鶏二の4名の5点。
笠木治郎吉(1870?-1923?)
《下校の子供たち》
1899年頃、50.5×33.8cm
明治時代の横浜で、外国人向けに日本の風景・風俗を描いた水彩画を制作し、その作品は国内に残らなかったことで、その名も作品も全く忘れてられていたという笠木。個人コレクターにより発掘されたらしく、2010年代以降は展覧会で取り上げられる機会が増えている印象。
本展では、少女や働く若い女性の姿を描いた、まるで油彩のように細部まで描き込まれた高密度の水彩画5点が展示される。
そのなかで、村立尋常小学校の門前に立つ下校途中の少女を描く本作を選ぶ。
風呂敷を背負い、右手には算盤や「明治丗二年 清書双紙」の紙束を持つ、荷物だらけの姿が可愛らしい。
松村綾子(1906-83)
《少女・金魚鉢》
1937年、96.8×130.5cm
戦前に二科会で活躍した女性洋画家。初めて名を知る。
花咲く野原に赤白縞模様のワンピースを着た少女が寝そべり、地面に置かれた金魚鉢を眺めている。シュルレアリスム的なのだろう、部屋の中の姿を野原の中の姿に置き換えたと思われる。少女の描写はバルテュスを想起させる。
松村は自宅の失火で亡くなる。
代表作とされる本作は、その際に被害を受けるが、修復によりよみがえったという。
松村綾子(1906-83)
《薫風》
1943年頃、64.8×90.6cm
松村の作品をもう1点。
花咲く野外に、絵筆を持つ女性。宙には青い鯉のぼりが泳ぎ、その背中には人が乗っていて、その人も絵筆を持っている。全体の雰囲気はシャガールあるいはココシュカを想起させる。
谷出孝子(1907-87)
《ロバに乗る少女(満州)》
1942年頃、73.0×91.0.cm
関西の女性洋画家。初めて名を知る。
洋画家・黒田重太郎の従兄弟(のちの同志社大学経済学部教授)と1932年に結婚するが1939年に離婚。1942年、美術教師として単身満州に渡る。
本作の舞台は満州であろう、三つ編みでピンクの上着、青のズボンの少女がロバにまたがって草原を行く。少女は画家自身なのだろうか。
本展には、黒田姓時代に制作した作品2点も展示。
戦後、谷出は単身パリに行き、藤田嗣治の知遇を得るなど絵画修行に努める。のちにデザイナーに転身する。
島崎鶏二(1907-44)
《朝》
1934年、194.0×106.0cm
文豪・島崎藤村の次男。初めて名を知る画家であるが、長野ゆかりの画家として長野では知られているようだ。
1929年にパリに留学し、マティスやピカソを研究。帰国後、二科展を中心に活動するが、パリの最先端アートに接したにもかかわらず、その画風は詩的で情緒に満ちたもの。父の秘書を務めていたため、その影響を受けたと考えられているという。
本作は、朝、水際に立ち、挑むような表情をした若い女性が描かれる。小さな頭部、薄手の白い着物、左手に白い花、右手を顎にあてる。画面サイズも大きく、背景の画面の大半を占める水の描写を含め、ただならぬ雰囲気が印象に残る。
島崎は、従軍画家として南方へ行き、ボルネオ島沖の飛行機事故で亡くなる。
【本展の構成】
第1章 明治の少女たち
第2章 四季のうつろいの中で
第3章 大正の個性派画家たち
第4章 夢見る少女たち
第5章 歴史画に見る少女たち
第6章 慈しむ母として
第7章 モダンガール
第8章 日仏画家の競艶


開幕して間もないこともあってか、来場者も少なく、自分のペースで楽しめる。
コメントありがとうございます。
甲斐荘の女性像は2点出ていました。
不気味さといえば、岡本神草の女性像が不気味な感じでした。