ゴッホ展
2019年10月11日〜20年1月13日
上野の森美術館
ゴッホ
《ぼさぼさ頭の娘》
1888年6月
ラ=ショー=ド=フォン美術館

スイスのフランス語圏ヌーシャテル州、ジュラ山脈の南麓の街ラ=ショー=ド=フォン。
時計製造業で知られ、その街並みは「ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックル、時計製造業の都市計画」として2009年に世界遺産に登録されている。
この街の出身者としては、あのル・コルビュジェがいる。父も祖父も時計の文字盤職人、本人も当初は時計職人の道を進もうとしていたが、視力が弱くて断念したらしい。街には巨匠初期の住宅作品が残る。
そんなラ=ショー=ド=フォンの美術館が所蔵するゴッホ作品が、「ゴッホ展2019-20」に出品されている。
1888年6月、アルルにやってきて4か月目、戸外で制作中に、一人の少女がゴッホの目に止まる。その夜、友人ラッセルあての手紙に記す。
ところで、その手紙を書き続けるかわりに、紙にじかに或る汚らしい小娘の頭部を描き始めました。緑がかった黄色い空と川の風景を油で描いている最中に、今日の午後、ぼくの眼に止まった娘です。
この街のお転婆娘には、ぼくが見たところどことなくモンティセリの顔の絵にあるようなフィレンツェ人の趣きがあります。何だかだと考えながら、デッサンをして、あなたに出すべき手紙の上に、粗描きしてみました。(中略)この粗描きの紙切れを同封します。
この「紙切れ」は、現在グッゲンハイム美術館が所蔵する。
ゴッホ
《少女の頭部》
1888年6月、18×19.5cm
グッゲンハイム美術館
(本展非出品)

ご無沙汰のお詫びに、と言って添えた角の破れたレターペーパーを斜めに使った素描。「汚らしい小娘」とか「浮浪児の頭部」とか、あのゴッホに言われてもなあと思ってしまうが、ゴッホとしては、プロヴァンス文学に出てくる「イノセントな自然児」をイメージしていたらしい。
この素描はゴッホ書籍で何度か見かけていたもの。それを油彩化した作品が存在するとは知らなかったが、実見できて嬉しい。
ところで、手紙の相手ラッセルについて。
ジョン・ピーター・ラッセル(1858〜1930)は、オーストラリア・シドニー出身の画家。1880年にロンドンに留学、1884年にパリのコルモンの画塾に移る。1886年にモネと会い、印象派に転向する。後年、若いマチスに強い影響を与えたとされる。
ゴッホとはコルモンの画塾で出会ったのだろうか、ラッセルはパリ時代のゴッホの肖像を描いている。
もともと実家が裕福でコレクターでもあったラッセルに、ゴッホは、ゴーガンの作品を購入させようと何度も手紙を出しているらしい。確かに先のラッセルあて手紙の後半では、弟テオの持つゴーガン作品を紹介している。
ラッセル
《ゴッホの肖像》
1886年、ゴッホ美術館
(本展非出品)
