のぞいてびっくり江戸絵画
科学の眼、視覚のふしぎ
2014年3月29日~5月11日
サントリー美術館
会期終盤に滑り込み訪問。
本展の主役は、
司馬江漢、亜欧堂田善、歌川広重
次点が、
小田野直武、葛飾北斎
というところだろうか。
【章立て】
第1章〈遠近法〉との出会い
第2章〈鳥の眼〉を得た絵師たち
第3章〈顕微鏡〉でのぞくミクロの世界
第4章〈博物学〉で観察する
第5章〈光〉と〈影〉を描く-影絵・鞘絵・鏡・水面
いろいろと楽しめる工夫がなされている。お気に入りは「当時の眼鏡絵を、当時の覗き眼鏡で見る」コーナー。
1)18世紀イギリス製覗き眼鏡で、伝円山応挙の≪賀茂競馬≫を見る。
2)1800年制作の日本製眼鏡絵器具で、18世紀頃の眼鏡絵を見る(ルーブル宮殿で開催された王立アカデミーのサロン(展覧会)の光景)。
3)伝平賀源内の覗き眼鏡で、≪泥絵 日本橋≫を見る。
2)の眼鏡絵が一番立体的。壁一面に絵画。西洋で制作されたものかな。
高橋景保作・亜欧堂田善画の≪新訂万国全図≫、1810年作。
府中市美「江戸絵画の19世紀」展でも、1816年頃作の≪新訂万国全図≫を見たばかり。
この2点は、違った印象を受けたけれども、同じ(またはよく似た)ものなのかな。
亜欧堂田善≪スサキヘンテン(洲崎弁天)≫1804-18年頃作
この不思議な印象の銅版画。
そびえ立つ石碑は「津波警告碑」とのこと。非常に気になる。
調べると、現存することがわかったので、早速見に行ってきた。
2基ある。
いずれも、東京メトロ東西線木場駅からすぐ、または遠くない。
1)洲崎神社内(江東区木場6-13-13)
2)平久橋西詰(江東区牡丹3-33)
建立後220年。関東大震災や戦災等を経て、ずいぶん小さくなった。碑文も読めない。でも、残っている。野外にある。
以下、洲崎神社内の案内板より。
東京都指定有形文化財(歴史資料)
波除碑
寛政3年(1791)、深川洲崎一帯に襲来した高潮により、付近の家屋がことごとく流されて多数の死者・行方不明者が出た。幕府はこの災害を重視し、洲崎弁天社から西方一帯を買い上げて空地とした。その広さは東西285間余、南北30間余、総坪数5,467坪余(約18,000平方M)に及んだ。そして空地の両端の北側地点に、波除碑を2基建立した。建設は寛政6年頃で、当時の碑は地上6尺、角1尺であったという。
現在は2基ともかなり破損しており、特に平久橋碑は上部約3分の2を失っている。碑文は屋代弘賢と言われているが、2基ともほとんど判読不能である。『東京市史稿』によれば、「葛飾郡永代浦築地 此所寛政三年波あれの時家流れ人死するもの少からす此後高なみの変はかりかたく流死の難なしといふへからす是によりて西は入船町を限り 東ハ吉祥寺前に至るまて 凡長二百八十五間余の所 家屋とり払ひあき地になしをかるゝもの也 寛政甲寅十二月日」と記されていたという。
材質は砂岩で、総高は平久橋碑が130.8cm、洲崎神社碑が160.1cm。現在の位置は、旧地点を若干移動しているものと思われる。江戸時代の人々と災害の関係を考える上で重要な資料である。