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特集展示「阿弥陀如来のすがた」ほか - 2024年6月の東京国立博物館総合文化展

2024年06月21日 | 東博総合文化展
特集展示 阿弥陀如来のすがた
2024年5月21日〜7月7日
東京国立博物館本館2階特別1室
 
 特別展「法然と極楽浄土」(4/16〜6/9終了済)の関連展示。
 
 お目当ては、むろさんさんにお勧めいただいた、
 
重文《行道面 菩薩》25面のうち6面
快慶作、鎌倉時代・建仁元年(1201)
兵庫・浄土寺蔵
 
 兵庫県小野市の浄土寺に伝来したもの。
 
 浄土寺といえば、快慶作の国宝《阿弥陀三尊像》が有名。
 
 浄土堂内に夕日の頃、西側の蔀戸(しとみど)から夕日が射し込み、ヒノキの床に反射して赤い垂木の屋根裏を照らし、それが本尊にふりそそぎます。やがて堂内全体が赤く染まると、阿弥陀三尊立像が幻想的に浮かび上がります。
(小野市観光協会HPより)
 
  その光景をいつの日か見たい、と思っているが、東京から小野市は遠いうえ、最寄駅から浄土寺まで行くバスの本数は限られ、タクシーだと高そうで、季節・天候と拝観時間を考慮しなけばならないので、ハードルが高すぎる。
 
 
 さて、重文《行道面 菩薩》。
 
 阿弥陀如来が迎えに来る「来迎」の様子を再現する練供養に使用するために制作された仮面である。
 
 浄土寺には、現在菩薩面27面、行道面2面の計29面が所蔵されている。その内、菩薩面の25面が国の指定を受け、残り4面が県の指定となっている。
 これらの面は、来迎会に用いられたもので、『縁起』にも、「菩薩面二十七、安阿弥(快慶)作」と記されており、裸阿弥陀像と一体をなすものである。
 それらは、目尻の上がった両眼、引きしまった唇の両端などに快慶の作風がよくでている。また、眉をくりぬくのは珍しい手法である。
(小野市ホームページより)
 
 
 重文指定の菩薩面は25面。
 本特集展示では、東博に寄託されている10面(奈良博に15面が寄託)のうち6面が展示される。
 25面にはその1から25まで番号が付けられていて、展示されている6面は、「その8、18、11、2、7、3」(左からの展示順)。
 快慶工房や工房以外の仏師との共同制作であるとのこと。
 展示の6面のなかで、快慶作とされているのは1面。
 なお、25面のうち一般に快慶作と考えられているのは2面あるいは3面であるらしい。
(むろさんさんからいただいたコメントを参照して記載)
 
 事前情報をいただいていたものの、右または左から2番目または3番目(要は、両端ではない)の記憶で見て、答え合わせすると、最初に見入った面が快慶作。他の面と見比べる。
 
 
 あわせて飛鳥時代、平安時代、鎌倉時代の阿弥陀如来像を楽しむ。
 
 重文《行道面 菩薩》は撮影不可。
 本特集展示の内容は、1089ブログで丁寧に紹介されており、快慶作とされる面の画像も掲載されている。
 
 眉の部分がくりぬかれていることが見えるはずです。
 目の孔だけでは、面をつけた時に視野が狭いのですが、眉も開いているとよく見え、息もしやすいのでしょう。
 仮面をつけて練り歩くことを考えれば実用的な工夫のように思いますが、なぜかほかに眉の輪郭にそって全体をくり抜いた面は知られません。
(本特集展示で展示対象外の4面は、今年4/2〜5/26開催の別特集展示にて展示。それを紹介する1089ブログ記事より。)
 
 
 
本館1階18室「近代の美術」から4選
 
高橋由一
《旧江戸城之図》
明治5年(1872年)
 かって横山松三郎作と考えられていたが、近年修理を伴う調査によって、高橋由一作とみなされることとなったとのこと。
 
 
高橋由一
《長良川鵜飼》
明治24年(1891年)
 由一は明治24年夏に岐阜に旅行し、本図のための写生を行なっている。もとは大幅の油画の掛物として明治天皇、皇后に献納を予定していたとのこと。
 
 
中村彝
《海辺の村(白壁の家)》
明治43年(1910年)
 転地療養に訪れた千葉の布良海岸を描いた作品。
 
 
安田靫彦
《御産の祷》
大正3年(1914年)
 なんとも異様な人々。
 『紫式部日記』に着想をえたという作品。藤原道長の娘で一条天皇の中宮彰子の初産の様子をダイナミックな構成で描いています。悪魔払いの米を撒く殿上人、憑坐(よりまし)と女房たちなどが適切に配置されて周到な構図によって描いています。


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