東京でカラヴァッジョ 日記

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高橋由一《花魁》を観る -「大吉原展」(東京藝術大学大学美術館)

2024年04月15日 | 展覧会(日本美術)
 
或人、花街の光景在昔に異りて娼妓の形容随て変じ兵庫下髪の廃たるを患ひ、是を油画に遺して其古典を存ぜんと、例の高橋由一に託し、又各娼妓に商議しに、皆野変の錦絵に画れん事を欲して疾に肯ずるなし。独り稲本楼抱へ小稲悠然として之を諾ひ粧ひ十二分に飾り由一に会して則姿を写させたりと。
1872年4月28日『東京日日新聞』一面三段目
 
完成したとき、人々は浮世絵でしか見たことがない花魁のリアルな描写を見て、
「まるで生きているようではないか」
と驚きの声を挙げた。
しかし、もっとも驚いたのは、誰であろう小稲であった。
「吾儕はこんな顔ではありんせん!」
と泣いて怒ったのである。
古田亮著『高橋由一 -日本洋画の父』2012年、中公新書
 
高橋由一
《花魁》
明治5年、東京藝術大学
 
 当時全盛の花魁であった、角町稲本屋庄三郎(稲本楼)の四代小稲を描く。
 1972年に重要文化財指定。
 
 
 2012年の東京藝術大学大学美術館での回顧展にて他の由一作品とともに、あるいは、藝大コレクション展において重文《鮭》や原田直次郎、黒田清輝、山本芳翠など明治期の画家の作品とともに見てきた。
   長らく、明治期の日本美術史の文脈での鑑賞であった。
 
 
 
 衝撃は、2020年の国立歴史民俗博物館「性差の日本史」展での鑑賞。
 
 第6章「性の売買と社会」において、中世から江戸・明治そして昭和までの遊女・娼妓に関する歴史史料が並ぶなか、幕末明治期のコーナーで、吉原の多くの遊女屋が利用していた庶民向け金融「寺社名目金貸付」に関する史料や、稲本屋抱え遊女の顧客あて書状、梅本屋抱え遊女による放火事件の裁判調書、1872年の芸娼妓解放令に関する史料、「かしく」という名の遊女が東京府に提出した結婚許可を求める歎願書、等とともに、高橋由一《花魁》が展示されていた。
 描かれる側からの本作の背景・制作経緯を考えさせられた。
 
 《花魁》は、単なる美術作品、単なる初期の洋画の名品ではなかったのだ。
 
 
 
 そして、2024年の東京藝術大学大学美術館「大吉原展」。
 
大吉原展
2024年3月26日〜5月19日
東京藝術大学大学美術館
 
 吉原をテーマとする浮世絵に限定した、大規模な浮世絵名品展という様相であるが、少し雰囲気が異なるのは、幕末明治期を取り扱う「吉原の近代」の一画。
 
 その一画には、明治期の浮世絵・錦絵のほか、石版画、外国人による出版物、幻燈原板・写真帖・写真絵葉書など、宣伝目的であることは浮世絵と変わらないが、新しい技術によって明治期の吉原を映す史料が展示されているなか、やはり新しい技術である油彩で描かれた高橋由一《花魁》がある。
 
 また、上述の「性差の日本史」展で紹介されていた幕末明治期の吉原の実情に関する新しい研究成果のいくつかについても、(美術展だからか)史料自体の展示はないけれども、文字情報/解説パネルより紹介されている。
 
 江戸幕府の長期に渡る安泰の時代から明治の急激かつ抜本的な変動の時代へ、それがどれほどのことだったのか、本展の展示全体が表しているようである。
 
 また、小稲さんがどれほどの責任感と覚悟でこのモデルを務めることを決意したのかを想像する。
 
 
 
 高橋由一《花魁》は、しばらくご無沙汰しているとなあ、2020年の「性差の日本史」展以来見ていないなあ、2023年の東京国立近代美術館「重要文化財の秘密」展でも《鮭》は出てきたのに《花魁》は出てこなかったなあ、と思っていたが、保存修復を行っていたらしい。
 
 2023年に、黄化したワニスを除去する保存修理。
 「修復により表情の温もりが蘇る」との説明があったが、確かに小稲さんの表情がなんか違う。以前はもっとキツかったような。


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