日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で | |
クリエーター情報なし | |
筑摩書房 |
2008年10月31日 初版第1刷
2009年1月20日 初版第6刷
著者は東京都生まれ。母は八木義徳に師事して、78歳で初の自伝的小説『高台にある家』を上梓した水村節子(1922-2008)。父親の仕事の関係で12歳の時に渡米。ボストン美術学校(en)、イェール大学フランス文学専攻、イェール大学大学院仏文科博士課程修了。ポール・ド・マンの教えを受ける。プリンストン大学講師、ミシガン大学客員助教授、スタンフォード大学客員教授として、日本近代文学を教える。プリンストン大学で教鞭を執る傍ら日本語で小説を書き始める。夏目漱石の未完に終わった『明暗』の続きを書いた『續明暗』で、1990年芸術選奨新人賞を受賞。欧文が部分的に混在する横書きの『私小説 from left to right』で、1995年野間文芸新人賞を受賞。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を戦後日本を舞台に書き換えた『本格小説』で、2003年読売文学賞を受賞。2009年には『日本語が亡びるとき』で小林秀雄賞を受賞し、同賞を夫婦でものにしたことになる。その時点ですべての単著が賞をとっている。2012年、『新聞小説 母の遺産』で大佛次郎賞を受賞。
この本、小林秀雄賞の受賞作品なんですね。何が良かったのか・・・。
以下メモ。
--↓-----
p11
そうか、人はモンゴルに生まれて、モスクワに留学しロシア語を学んだりするのか。そして、人生も後半になって今度はアメリカの大学に招かれて、そこでかつてモスクワで学んだロシア語で耳にピアスをした若いリトアニア人と友達になったりするのか。
p26
人はなんと色んなところで書いているのだろう・・・・
地球のありとあらゆるところで人は書いている
p32
人は金持ちの国でも貧乏な国でも書いている
p43
人はなんとさまざまな条件のもとで書いているのであろうか
人はなんとさまざまな言葉で書いているのか
p48
言葉には力の序列がある
小さな部族<民族<国家<広い地域や国家間
p76
近代に入ってから、西洋に流れる時間は「人類」にとって普遍的だとされるようになった。「人類」に参加した日本人は、普遍的な時間を生きることになり、西洋に流れる時間をも生きるようになりました。でも西洋人はといえば、日本に流れる時間を生きることはありません。日本に流れる時間は特殊な時間でしかないからです。
p79
そういうことなのです
--↑-----
(2012年1月 西図書館)