この本がすごいのは、初版が大正11年、新版が昭和29年、そして私が読んだものは平成元年版ということ。息が長いのだ。古典である。今、民家と言う言葉は普通に使われているが、普及させたのはこの本らしい。実際、今書店の棚を飾るどんな綺麗な本より内容が濃い。濃いというのは、今は無くなってしまった民家を丹念に採集・調査しているということ。その多様さは今は無い。その濃さを淡々とした語り口であっさり読ませてくれる。
以下、メモより。
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序文(初)大正11年4月
(新)1954年2月
現第一版 1989年3月16日
今 和次郎 1888~1973 考現学の創始者
p172 相模 地震でつぶれた家のスケッチ
屋根だけが地面に伏せた形で残っている
そこに人が住んでいる
竪穴式住居のよう
p193 山梨県北巨摩郡武川村
昭和16年11月 食料事情より犬狩り 川原で撲殺とのこと
お国のためだ・・・と日の丸を背負わす家もあり
ここには「くらずまい」と言う蔵造りの家あり
p230 京都 八瀬
土間の隅にネマと言う部屋あり
若夫婦の寝床、老夫婦が死ぬまで若夫婦の寝床はここ
伊豆大島では逆で両親は家を出ていく
奈良の高塀造り(大和棟造り)の名が出てこない
該当する家のスケッチはある
東北から四国、九州にかけて調査している。調査員には柳田国男の名もある。
一間の家もあるし、庄屋格の玄関を備えた家もある。間取りを素朴な線でスケッチしてある。ただ線で四角く囲んだだけと言っても良い様な家もある。海岸に並ぶ漁師の家々は全く同じ間取りが何件も軒を連ねて行儀良く列を作っている。那須の高原にある開拓農民の家はただの小屋だし、奈良の農家は町屋のごとく屋敷を四角く土塀で囲む。
泉州堺の風景が面白かった。町屋と農家の区別がない。堺の町は町屋の家の構造を維持したまま農家になっている。町屋なのか農家なのか入って見なければ分からない。町を作る家々は固く連続しながら徐々に農村になっている。そして端まで来ると見渡す限りの田園風景が広がる。堺と言う町が特別なんだと思うが、こういう風景は今は見かけない。
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■奈良の高塀造り(大和棟造り)・・・について
分棟型という主屋と釜屋(炊事用の建物)が分かれた形式の家屋の一種と言われる。二つがくっついて一つになっているのだが、屋根が連続していない。今でも奈良の斑鳩あたりに行くとよく見かける。
■庄屋格の玄関・・・について
今我々は家の主な入り口を玄関と普通に言っているが、昔々は玄関とはその家の当主かそれと同等の人物が使う入り口で、それなりの格式のある家でないと設けられなかった。それ以外の人が使う入り口は「戸口」と言って別にあった。また玄関とは別に「大玄関」と言うのもあって、これはその土地の領主が使う入り口で、駕籠寄せが付く。今で言うところの「車寄せ」である。
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