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投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

韓国の民家 - 張 保雄(古今書院)


韓国の民家
張 保雄
古今書院


1989年1月初版。翻訳は佐々木史郎。

著者は1936年生まれ。朝鮮人。ソウル大学校師範大学地理学科卒。その後、広島大学で文学博士。

民家についての本を読み漁っていたときに手にした本。もう10年前になる。朝鮮の民家について書かれている本はなかなか手に入らない。

張保雄のこの本は、日本統治時代の研究結果と日本での研究結果が基本になっている。そして朝鮮の人のお決まりの思考なのか、おせっかいにも日本の民家の歴史は朝鮮にありという文章を載せているが、訳者に後書きでやんわりと早急な決め付けはいかがなものかとたしなめられている。そういうところを割り引いても面白く読ませてもらった。

朝鮮の民家の面白さは、屋根に尽きると思う。瓦屋根の場合、軒と軒が接する角がつんと上を向いた張りのある躍動感を見せるの比べて藁葺きの屋根は打って変わってキノコのような丸みを帯びた外観になる。この差が面白い。藁葺きの屋根が丸みをおびるのは、日本の場合と違って茅や藁の穂の方を外に出すためだ。そして多くはその藁葺きの屋根を縄でくくってしまうため、余計に丸みがついてしまう。このやり方が簡単で葺きやすいのだが、油を含んだ根元を中にしてしまうため外に出た部分は雨に弱く腐りやすく耐用年数に劣り、数年しか持たない。日本の場合は茅や藁の穂を中に入れ根元を外にして葺く。耐用年数は20年~30年が一般的となる。

この日本との差はなんだろうかと考える。なんとなく朝鮮の人の気質によるところが大きいなだろうと思う。とりあえず要求を満たすなら少々曲がった木でも柱にしてしまういい加減さ、早く仕上がって要求を満たすならそれで良いじゃないかという合理的さ、そんなところから来るんではと思ったりする。

間取りについて日本の民家と比較してすぐ気づくことは、その間取りの単調さだろうか。部屋は増えるに従い棟に沿って並ぶ。一文字型もL字型も同じ。日本に近いものを探せば宮崎県の椎葉村の住宅か。平面図を見るだけならそっくりである(ただし1棟の規模は椎葉村のそれがはるかに大きい)。朝鮮の民家には傍房という納戸のような部屋が主室の背面に付くことがあるがそれも含めて似る。椎葉村の住居の構造は、それが建つ土地の狭小さから来たものと説明される。山の斜面に広い土地を拓くことは出来ないため山の等高線に沿って狭い土地を拓きそれに沿って棟方向に長い住居を造るしかなかった。朝鮮の場合もそれに近いのかもしれない。

朝鮮の土地の利用について書いたものを読むと風水による土地利用の決定や土地の表情、山を背にし川を見下ろしというような土地の状況に主眼を置き利用方法を決めることが多いようで、その場合決して広い空間が利用できるとは限らない。また、李朝の頃にオンドルが半島南端まで普及したことも、その建築構造を制約したのではないかと考える。オンドルの窯は棟の末端の釜屋から棟方向に沿って煙が抜けるように造る。結果的に部屋は棟に沿って並び、煙の温度が保つところまで連続することになるのではないだろうか。

ただ日本の場合もオンドルの制約は無くとも古くは同じような構造であった。古くは増築するのは棟方向に延長するのが一般的であった。古い寺院建築や神社建築には二つの棟を桁方向に並べてそれを大きな屋根で覆ったものが残っている。これは部屋数を棟方向に増築するのではなく奥行きのある建物にするために二つの棟を桁方向に並べていた時代の名残だとされている。建築技術の発達に伴い棟を桁方向に並行に並べるようなことをせずとも奥行きのある建物を建築することが出来るようになっていった。その一つの技術に引き違い戸がある。

日本の家屋の特徴は引き違い戸を多用することにある。引き違い戸を建具として使うことにより、部屋の閉鎖と開放を容易にし間取りに多様性を持たせることが出来るようになった。朝鮮の民家にはそれは無い。いや室内の建具として引き戸はあるのだが、それはあくまでも部屋と部屋を結ぶ扉としての機能でしかない。日本の場合は扉としても壁としても機能させる。外に対しても内に対しても閉鎖と開放の機能を持つ。大きく開く引き違い戸により奥の部屋にも明かりを外から入れることが出来、奥行きのある連続した間取りを可能とした。しかし朝鮮にはそれが無い。部屋から外に対しては開き戸、部屋と部屋の連絡にくぐるような小さな扉として引き戸が使われるだけである。オンドルの制約もあり棟方向への連結として部屋は繋がる。部屋数を増す場合は別棟を建てることになる。

日本の建築のもう一つの特徴は高床であるが、朝鮮の建築も日本と同様に高床になっている。この出自は同じなのだろうか。私は違うと考えている。中国の東北地方に今でもあるカンはオンドルの原型である。土間生活の住居の壁側に腰高の台がつきその上で食事をしたり寝たりする。その下は釜につながり暖められた煙が通る構造になっている。朝鮮の高床はこの延長にあるものだと考えている。日本のものは中国南部からタイにかけて残る高床式住居と出自を同じにするものであろう。

この本にもオンドルの他に朝鮮の民家が北方の影響を強く受けていることが記されている。朝鮮の民家では「封堂」と呼ぶ土間を置くことがある。またそれを板間(大庁)にすることも多い。封堂という語は大庁と同義に用いられることもある。一種のホール。これらの板の間(元は土間)は縁側も含めて「抹楼(マル)」と総称されることが多い。マルは本来、板間という意味は無かったようだ。北方のオロチョン族の円形住居にもマル(maru)という空間があり、一種の祭事に用いられる。朝鮮の民家の板間の用途に儀礼を行う空間というのがる。意味も呼び方も北方のオロチョン族のその伝播ではないだろうか。(他にもソッテ(鳥のトーテム)、チャンスン(トーテムポール)、歌謡のアリラン、仮面劇用の仮面、巫女は北方のエヴェンキ族と共通している。)

以上は張保雄の「韓国の民家」を読みながら私が思ったこと、読んだ後に思ったことである。


以下、本のメモ。

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まず1979年の張と石田寛の朝鮮の民家形式の分類から。参考として三世紀頃の朝鮮半島の情勢図をつけてみた。この本の中には古い時代、例えば三国時代(B.C1~A.D7)のことを述べている箇所があり参考として付けてみた。 



慶尚北道あたりに小さく「妻入」の形態があることになっている。これは張保雄の発見らしく、それまで朝鮮半島には妻入の形態は無かったことになっていたそうだ。であるから朝鮮には妻入の言葉が無い。張は「側入」という言葉を作っていた。ちなみに「平入」は「前入」。慶尚南道で出土した新羅の家型土器に妻入の高床館があるから、かつては存在したものと思われる。張は「このような形の建物は三国時代(B.C1~A.D7)に形成された」としているが、先の私の三世紀頃の朝鮮半島の情勢図と同じで、何か証拠があっての話ではないのでかなりいい加減ではある。朝鮮の妻入の民家は今ではもう消滅してることと思う。この本にその実物の写真が載っていたように記憶しているが、それは板葺屋根の粗末な山間部の住居だったように覚えている。


◆張保雄の分類。

    

張保雄は複列型を古い形式の民家であるとし、日本の四間取り・広間型の原形であるとしている。張の分類による単列型は中国からの影響とし、複列型は山間部へ追いやられているという。かつては複列型が半島で優勢であったとし、日本でよく見られる四間取り・広間型の原形であるとしている。

複列型の間取りを見れば確かに日本の四間取り・広間型と似てはいる。ただ日本の四間取りは三間取りからの発展型であり、始から田の字であったわけではないので無理がある。





◆用語説明

基壇:朝鮮の民家は通常地面より一段高い段の上に建つ。20cm~30cm。まれに1mの高さ。

屋根:束で支えた棟木から垂木をおろし、その上に小舞をしいて土を乗せ瓦や藁で葺く。1970年代前半からセマウル(新しい村)運動が推進され、伝統的な屋根は失われた。

藁葺き屋根は藁の根元の方を上にし、柔らかい先端部分を下にする。日本の様に竹や板などで棟押さえをすることは無い。藁をむかで状に編んだものを乗せて縛りとめるだけなので、棟の線が不明瞭で丸みをおびた形になる。

(注記:日本の場合、茅や藁の油を含んだ根元を外に出すのと、室内で囲炉裏を使い煙をそのまま部屋の中に通すため、また囲炉裏がある場所には天井を張らないため、いぶされて茅や藁は20年以上の耐用年数(特に北国)があるが、韓国の場合は藁の穂先を外に出すのとオンドルに煙を通すため、藁の耐用年数は2年程度と短い。)

柱と壁:屋根の過重を梁、桁、束と柱で地面に伝える木骨軸組構造が基本。オンドルの場合、出入り口が2~3箇所設けられるが、開口部の面積は小さく壁面の比率が大きい。間仕切りも壁になっており、隣室との出入り口を設けるにしても小さい障子戸が1枚つく程度。

柱間は通常8尺。これを四辺とする方形の空間をもって標準的な部屋のサイズとする。柱間は6尺~10尺とアバウトである。

(注記:日本の民家もかつては閉鎖的な構造であったが、室内は開放的。つまり板戸の建具を用いても大きく開く。また入り口は広縁を除くと戸口と勝手口の二箇所が一般的であるが、韓国のものは部屋全て(納戸は除く?)が外へ開く。)

部屋:土間、板間、オンドルの3つに大別される。土間以外は履物を脱いであがり床にすわる。

2つのオンドル房の間に「封堂」と呼ぶ土間を置くことがある。またそれを板間(大庁)にすることも多い。封堂という語は大庁と同義に用いられることもある。一種のホール。

板間は縁側も含めて「マル」と総称されることが多い。マルは本来、板間という意味は無かったようだ。北方のオロチョン族の円形住居にもマル(maru)という空間があり、一種の祭事に用いられる。板間の用途に儀礼を行う空間があるので韓国のそれは、オロチョン族のその伝播ではないか。

板間の用途は儀礼、食料収蔵、夏季生活、作業、通路空間。

オンドル:三国時代(B.C1~A.D7)に北部の高句麗で用いられる。しだいに南下し、高麗末~李氏朝鮮初期(14世紀~15世紀)までに半島全域で用いられたようだ。

オンドル房は冬季の暖房効率を高めており、壁紙で目張りされ天井も2m前後と低い。

建具は障子張りで両開き・片開きの開き戸が多い。障子戸1枚の大きさは60cm×140cm内外で、身をかがめて出入りする。


◆部屋の呼称と機能

内房:主人夫婦と幼少の子供の生活空間。主人以外の成人男性や外部の人士の出入りは制限される

舎廊房:主人の書斎兼接客室。男子の空間。主屋から分離させ別棟にすることあり。

越房:板間(大庁)をはさんで内房と向かい合う部屋

行廊房:門の脇に置かれた部屋で使用人が使う


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(2001年 西図書館)
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