投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

朝鮮日報 鮮于鉦(ソンウ・ジョン) 【コラム】日本列島10万キロ


鮮于鉦特派員の帰国が決定したようだ。





記事入力 : 2010/08/18 12:00:22
【コラム】日本列島10万キロ(上)

 小さな記録を打ち立てた。5年前に日本で購入した車の走行距離が先週で10万キロを超えた。北海道の北端から鹿児島県の南端まで。車で行けないために飛行機を利用した沖縄県を含め、47都道府県を踏破した。暇さえあれば出掛けたため、分厚い旅行記も出来上がった。


 全国旅行を決心したのは、日本に赴任して8カ月後の2006年2月、島根県を訪れた時だった。島根県が制定した「竹島(独島)の日」1周年を取材するために訪れた先だ。そこは日本の田舎だった。「田舎の人間が領土にどんな不満があるというのか」という思いが先に立った。小さな田舎のパフォーマンスを取材しに訪れた自分も正直情けなかったが、記事だけは強烈に書いた感じがある。韓国の独島がすぐにも危機に陥るかのように。


 よその土地に行くと、昼夜を問わず運動がてらにジョギングする。島根県松江市を未明に走った時のことだ。しばらくして方向感を失い、川辺にある住宅街に迷い込んだ。しかし、走るのはやめなかった。歩道ブロックがずれていたり、でこぼこしたりしている個所は一つもなかった。ごみ一つ落ちていなかった。粗末な木造住宅は今にも倒れそうだったが、きれいに整えられていた。80歳を超えているであろうおばあさんが花壇に水をやり、おじいさんが路地の掃除をしていた。


 日本の田舎の住宅街はこぎれいだった。町内をぐるぐる回った。日本で何を見て、韓国に何を伝えるべきか、と考えていると、『竹島の日』を記念する少数よりも、心底まで誠実な多数の人々が目に迫った。しかし、そんな姿を伝えることはできなかった。整頓された路地、勤勉な高齢者など、「竹島」に興奮した韓国には何の意味があろうか。日本は不届きな存在でしかなかった。


記事入力 : 2010/08/18 12:00:33
【コラム】日本列島10万キロ(下)

 島根県の路地で、「日本を知らなかった」という思いがした。そして、旅行を始めた。どこに行っても「素晴らしい日本」と「悪い日本」が交錯した。京都市東山区の壮麗な文化遺産の裏には韓国人の「耳塚」があり、長崎の巨大な産業遺産の裏には韓国人徴用者の遺骨が埋もれていた。日本が誇る有田焼で有名な佐賀県の寺は、連れてこられた韓国人の陶工の無念を慰めていた。日本は国全体が、感動と怒りの入り交じる島根と同様だった。


 しかし、常に「日本は大国だ」とも感じていた。他国に頼らなくても生きていける国だった。地域間対立もなかった。国民は誠実だった。明治維新のように国家システムを変えさえすれば、いつでも大国になり得る体力を備えている。そんな日本をどうしたら克服できるか。100年前に傷つけられた国の魂をどうしたら回復できるか。


 日本列島をめぐりながら、過去ではなく未来を見詰め、短所より長所を取り入れることが、韓国にとってよいのではないかと感じた。過去に対する怒りの矛を収めれば、数多くの長所がある国が日本だ。日本の長所を学べば学ぶだけ、われわれ韓国が強くなれば、それでいいのだ。島国日本はゆがんだ歴史観を持っていても成り立つが、文明と勢力が交錯する半島韓国は、過去に執着し、隣国と反目するほど、国家の基盤が崩れてしまう。100年前もそうだったし、100年後もそうであるはずだ。


 特派員生活を年末で終える。韓国に帰ったら、韓国で再び10万キロ旅行を始めようと思う。


東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員



http://www.chosunonline.com/news/20100818000047
http://www.chosunonline.com/news/20100818000048




面白い記事を書いてくれて楽しませてもらった。

帰国しても楽しませてほしいものだ。
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