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【再録】『台湾論』と近代化論/酒井亨 [シ余]瑞娟・訳 謎の通行人・逆訳(自由時報)

2003-01-07 23:36:25 | 親台右翼
ゾンビ@当事者から抗議が来たら削除します(笑)

《台灣論》與近代化論
(自由時報 2001.03.10 自由廣場)
http://www.libertytimes.com.tw/2001/new/mar/10/today-o1.htm#o2
 (*日本語訳は「謎の通行人」 2001年3月 香港のほほん島(初代)に3分割で投稿)

『台湾論』と近代化論

小林善紀的《台灣論》引發了種種論戰,不過,台灣方面對《台灣論》的批判,並不是在理解日本的思想状況下所做出來的冷靜的分析和評論,而是立足在省籍矛盾上情緒化的政治對立。台灣方面的部分評論有些誤解和混淆,把小林的日本極右派思想和《台灣論》中的許文龍、蔡焜燦兩位先生的思想劃上等號。這麼一來就看不到問題的本質,所以筆者想先指出老一輩台灣人(譯者按:以下簡稱「老台灣人」)和日本右派人士的根本差異。

小林よしのりの『台湾論』は様々な物議を醸したが、台湾側の『台湾論』批判は、必ずしも日本の思想的背景を理解した上での冷静な分析と評論とは言えず、省籍矛盾に立った感情的な政治対立に過ぎない。台湾の一部では誤解や混同が見られ、小林の日本極右思想と『台湾論』に出て来る許文龍、蔡焜燦両氏の思想を同一視している。これでは問題の本質は見えない。そこで筆者はまず、台湾の老年世代と日本の右派との根本的な違いを指摘しておきたい。

進入正題之前,先談談小林和《台灣論》。

本題に入る前に、まず小林と『台湾論』について触れる。

小林是戰後出生的日本人,最初以通俗漫畫出名,一九九○年左右開始畫政治漫畫。早期挑戰過「被[止支]視問題」、「天皇制」等日本的禁忌題材,也在愛滋病藥害問題上積極地對厚生省大加撻伐,怎麼看都像是「左傾」、「反體制」的立場。然而,批判採用恐怖暴力主義的「真理教」時,他的態度開始轉變。對「真理教」的批判方興未艾,他主張動用國家權力取締,而向來和他持相同立場批判「真理教」的左派律師卻反對由國家出面取締。他趁機和左派決裂,高唱「國家精神」,轉投右派。展開右派偏激言論的《戰爭論》、《台灣論》等作品連續成為暢銷書,銷售也長紅,就順勢再展開偏激的言論。他就是這種類型的人物。

小林は戦後生れの日本人で、最初は通俗漫画でデビューし、1990年頃政治漫画を描き始めた。初期には「被差別問題」、「天皇制」などの日本ではタブー視されていた題材を取り上げ、エイズ薬害問題でも厚生省批判を大々的に展開、これではどう見ても「左翼」、「反体制」にしか見えない。ところが、オウム真理教のテロや暴力を批判したあたりから小林の態度は変化を始める。オウム批判が始まったばかりの頃、彼は国家権力による取締りを主張、それまで彼と同様の立場でオウム批判を行っていた左派弁護士は国家による取締りに反対していたため、それを機に小林は左派と決別、「国家精神」を唱えて右派に転向する。右翼的な過激な言論を展開した『戦争論』や『台湾論』などの一連の作品が長期ベストセラーとなり、彼はこの勢いに乗じて過激な言論活動を再展開した。小林とはこのような人物なのだ。

《台灣論》本身文不對題,應該説是「日本論」才對。姑且不論細節部分有矛盾和偏離主張的地方,它的整體宗旨終究都是站在以「戰前的日本」為理想的極右派立場,具有濃厚的復古主義和國家主義色彩。現在的日本状況也是背景之一。一九九○年以來,對戰後的日本而言,是唯一的精神柱,也令人引以自豪的經濟持續蕭條、低迷;那種挫折情結的反動,就是部分人士否定戰後的日本,復古主義式的、走「傳統」路線狹隘的國家主義|「以天皇為中心的神國」,在少數人之間萌芽(當然反對的聲浪還是很強)。小林的「日本論」(非「台灣論」)也順應這種潮流,有強 烈的意圖想漂白戰前的日本行為。

そもそも『台湾論』はタイトルと中身が一致しない。「日本論」とでもすべきものである。細かい点や矛盾と主張から外れたようなところはさておき、この本の主旨は、結局のところ「戦前の日本」を理想とする極右の立場に立つものであり、復古主義と国家主義の色濃いものである。もちろん、今日の日本も背景のひとつとなっている。1990年以来、戦後の日本について言えば唯一の精神的支えであり誇りでもあった経済が、後退し低迷し続けた。このような挫折の反動が、すなわち、戦後日本を否定し、復古主義的に「伝統」路線を歩み、狭がいな国家主義 ― 「天皇を中心とした神の国」を選ぶべきだとする一部の人間の間で起こっている趨勢である (当然ながら、これに反対する声も高い)。小林の(『台湾論』ならぬ)「日本論」ではこのような潮流の中、戦前の日本の行為を漂白してしまおうという強い意図が含まれているのである。

「戰前的日本很好」的總論,使小林這些日本右派和老台灣人看起來好像也有意見一致的時候。正因為如此,小林等日本右派人士才會想親近台灣。

「戦前の日本はすばらしい」という総論によって、小林のような日本の右派と台湾老年世代の意見とが、見た目には一致したように見えることもある。だからこそ、小林のような日本の右派が台湾に近づきたがるのである。

問題就出在這裡。小林和許、蔡的身世、背景、立場原本就大不相同,這些差異就直接反映在對「戰前的日本」的觀點和理解方式上。

問題はここにある。小林と、許氏や蔡氏の生い立ちや背景、立場はそもそも全く異なっているのであって、これらの違いが「戦前の日本」に対する見方と理解の仕方に直接反映されている。

老台灣人的「親日」言談,與其説是指「日本這個國家很好」,倒不如説是指「近代化之契機的日本統治(很好)」,具有濃厚的「近代化論」色彩。老台灣人其實是從「近代」的觀點去看「戰前的日本」,想想有關「戰前的日本」的具體事例就顯而易見。例如,老台灣人對法治主義和完備的教育等近代作為有很高的評價,而對參拜神社和遙拜宮城等前近代作為卻冷眼旁觀。

台湾老年世代の「親日的」発言は実は、「日本という国がすばらしい」と言っているわけではなく、「近代化の契機となった日本の統治がすばらしかった」と言っている、と言うべきであって、濃厚な「近代化論」的色彩を帯びるものである。台湾老年世代が「近代」という観点から「戦前の日本」を見ようとする時、「戦前の日本」の具体的事例は非常にわかりやすいものとなる。例えば、台湾の老年世代は、法治主義や教育の完備など近代的建設に高い評価を与える一方、神社参拝や宮城遥拝などの前近代的な部分は冷たく突き放している。

相反的,日本右派、歴史修正主義者所注視的「戰前的日本」的景象,根本都是戰後的反面|復古主義、天皇主義的部分,焦點完全不同。日本右派還常常否定日本「統治殖民地」的事實。有很多人[才丑]曲事實,説日本統治台灣和朝鮮一視同仁,和統治日本内地一樣。相較之下,許文龍和蔡焜燦顯然都有受到日本人的異族殖民統治的認知。

逆に日本の右派や歴史修正主義者たちの着目している「戦前の日本」の様相とは、あくまでも戦後日本の反面であって、復古主義、天皇主義の部分であり、焦点が全く違うのだ。しかも、日本の右派はしばしば、日本が「植民統治」を行った事実さえ否定する。日本が台湾と朝鮮を統治したのは日本の内地を統治したのと同じ扱いだったと事実を捻じ曲げる。これに対して、許文龍、蔡焜燦両氏は明らかに日本人の異民族植民統治という認識を持っている。

和日本人聊天時,蔡焜燦先生也常常談到日據時代台灣人被視為二等國民,差別待遇明顯存在之類日本統治的問題點。談起慰安婦問題時,他的立場則是:「沒有調査過所有的人,我也不好説什麼。但是在我直接知道的範圍内,並沒有強制把人帶走的事。不過,我們並不清楚其中的歴史,所以應該擬定一個大規模的研究計畫追査歴史的真相。」

例えば、蔡焜燦氏は日本人と話をする時でも、日本占領時代の台湾人は二等国民扱いを受け、明らかに差別待遇があったなどという日本統治の問題点について語る。慰安婦問題について語る時の彼の立場は、「全ての人について調べて回ったわけでない以上、何も言うことはないが、私が直接知っている範囲内で言えば、強制的に連行されたというようなことはなかった。もちろん、我々はその背景に横たわる歴史についてよくわかっていない。したがって、大規模な研究プロジェクトによって調査を行い、歴史の真相に迫るべきである」というものだ。

他們兩位都「愛日」,但絶不是盲目的「崇日」或「媚日」。他們也深知日本的弱點和愚昧,即使見到日本人,也不會説好聽的

許文龍、蔡焜燦両氏はそろって非常に「愛日」的な方々である。だが、けして盲目的な「崇日(日本崇拝者)」でもなければ、「媚日(日本に媚を売る者)」でもない。彼らだって日本の弱点や愚かしさを見抜いているのである。日本人に会ったからと言って、きれい事を並べて日本人の機嫌を取るようなことはしない。

老台灣人在日據時代受到「二等國民」的差別待遇,當然應該都有過痛苦的經歴。沒體驗過那些痛苦的人,如果不能多體察他們並不常訴説的痛苦部分,只因為他們「好像很親日」而攻撃他們,他們就等於[口嘗]到雙重的「二等國民的悲哀」。更重要的是,為什麼他們會對本來就踐踏人性尊嚴,不可能讓人愉快的殖民統治,抱著一種肯定的態度[口尼]?它的原因値得深思。

台湾人の老年世代は、日本占領時代に「二等国民」扱いの差別待遇を受けた。もちろん、みな苦痛の歴史を経て来ている。そのような苦痛の歴史を経て来ていない者は、彼らがあまり訴えない苦痛の部分をもっと察するように努めなければ、そして彼らがただ単に「何だかとっても親日的である」というだけで彼らを攻撃するのであれば、彼らは二重に「二等国民扱いの悲哀」を味わうことになる。さらに重要なのは、そもそも人間としての尊厳を傷つけ、人を愉快にするはずのない植民統治について、彼らがなぜ、ある種の肯定的な態度で語るのかという点であり、それがいったいどういうことかを深く考える必要がある。

在台灣,清朝洋務派官僚所推動的開放政策為時短暫,有地理上的限制。台灣的「近代化」始於日據時代,這是不爭的事實。正朝向「近代」邁進時,日本戰敗,國民黨成為統治者。國民黨政權採用偏激的政策,禁止台灣人使用母語和日本語,這也使國民黨政權相對地讓人有不好的印象。

台湾では清の洋務派官僚が開放政策を推進していた時期は短く、地理的な制限もあった。その後、台湾の「近代化」が日本占領時代に始まったのは紛れもない事実である。そして「近代化」に向かって進んでいるその時に日本が敗戦し、国民党が統治者となった。国民党政権は極端な政策を採り、台湾人の母語および日本語の使用を禁止した。これも国民党政権が相対的に印象を悪くしている原因である。

人們常談論説是因為戰後外省人的統治太蠻,其實並不是這樣。


その点について、戦後の外省人の統治があまりにも横暴であったため、とよく言われるが、それはけしてそうではない。

一如現今政治學上的常識,國民和民族的形成全然是近代的産物,不應該回溯到古代(即使是前身或萌芽状態)。「近代化」是某一群人成為國民和民族,然後形成一個國家的必要條件。在某個成為近代化契機的時期,帶來近代化基礎的對象通常都會得到好的評價;而明明有近代化的契機,那緊跟在後面妨礙近代化的對象就會令人反感。由於國的殖民是近代化契機,而蘇聯卻妨礙了近代化,因此波羅的海沿岸三國(Baltic States)具有強烈的親反蘇傾向。菲律賓親美反日,也是基於相同的理由。

国民および民族の形成とは全くもって近代社会の産物であり、(前身の政権や萌芽状態であったとしても)古代に遡るべきではない、というのが、現在の政治学的な常識である。「近代化」というのは、あるグループの人間が国民や民族となり、国家の必要条件を形成する過程である。そして、ある社会の近代化の契機となった時期に近代化の基礎をもたらした相手は、通常高い評価を受けることが多い。一方、明らかに近代化の契機が訪れているのに、そのすぐ後に近代化を阻害する対象は反感を買うことが多い。例えば、ドイツの植民統治が近代化の契機であったバルト三国は、ソ連によって近代化が妨げられたことから、著しい親独反ソ傾向が見られた。フィリピンの親米反日も同様の理由による。

雖説歴史不可能有「如果」,但是如果統治者不是日本,而是法國、英國或美國統治台灣,而[女也]的統治帶來近代化的契機,那麼台灣人給予好評的對象就不是日本,而是這其中某個國家[口巴]。「近代化」一語道破老台灣人的心事。

歴史に「もしも」はありえないが、しかし、もしも統治者が日本ではなく、フランスなり、イギリスなり、アメリカなりが台湾を統治していたならば、その統治によってもたらされた近代化の契機によって、台湾人が評価する対象は日本ではなく、そのうちのどこかの国、ということになったであろう。「近代化」というキーワードこそが台湾老年世代の心のうちをずばり言い当てたものなのだ。

如今「後現代主義」大行其道,「近代化」的確可能給人一種時代錯誤的感覺。不過,中華民國國父孫中山先生也還是中國「近代」革命之父,到現在還是中國人尊敬的對象;由此可見,在進入二十一世紀的今天,近代化的意義也還沒有完全喪失。

もっとも、「ポスト・モダニズム」が大手を振って歩いている今日、「近代化」などとは、時代錯誤的な印象は確かに拭えないところがある。しかし、中華民国の国父(建国の父)である孫中山(孫文)先生もまた、中国「近代」革命の父であり、今に至っても中国人の尊敬の対象である。このことからも、21世紀に入った今日でもなお、近代化の意義はまだ全く意義を失っているわけではない。

就這層意義來説,《台灣論》作者及日本右派人士和漫畫中的台灣人之間,在解讀歴史時的世界觀與角度有很大的差異與齟齬。只不過日本右派人士偏偏就因為「看起來好像對戰前的日本有好評」這一點,而誤解了台灣人,把和日本的左右對立無關的台灣人捲進他們的爭端中。

このような意義から言うと、『台湾論』の作者および日本の右派、そして、漫画に描かれている台湾人の間には、歴史を読み解く時の世界観やものを見る角度に、大きなギャップと齟齬が存在する。日本の右派はただ単に「どうやら戦前の日本を評価しているらしい」という点のみで台湾人を誤解し、日本の左右の対立とは無関係な台湾人を彼らの争いの中に巻き込んでいるのである。

關於慰安婦的問題,許文龍的發言的確不太妥當。可是既然台灣人和日本右派人士,對包含這個問題在内的日本統治評價有不同的觀點,就算[石並]巧説出相同的話,意思也完全不一樣,必須冷靜地加以檢討。這不算是肯定日本的殖民統治。殖民統治是不對的,正因為不對,所以不可以把被統治的老台灣人和過去的加害者(日本右派人士)混為一談。(作者酒井亨/台灣社會研究者.前日本共同通訊社記者;譯者/[シ余]瑞娟)

慰安婦問題に関しての許文龍氏の発言は確かに妥当性を欠いたものだった。しかし、台湾人と日本の右派が、この問題を含む日本統治についての評価で異なった観点を持っている以上、たまたま同じような話が出たからと言っても、その意味するところは全く違うのであり、冷静に検討すべきである。これは日本の植民統治を肯定しているわけではないのだから。植民統治は間違っている。間違っているがゆえに、統治されていた台湾のお年寄りたちと過去の加害者(日本の右派)を同列に論じるのはいけない。(酒井亨/台湾社会研究者・元日本共同通信記者、[シ余]瑞娟 中国語訳)

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