秋好善太郎 編『日本歴史写真帖』, 東光園, 大正2 (1913)
国立国会図書館デジタルコレクション
故北白川宮殿下を祭れる臺灣神社
台湾神宮(たいわんじんぐう、中国語: 臺灣神宮)は、かつて台湾台北市に存在した神社である。
旧称:台湾神社(中国語: 臺灣神社)、廃座時の社格は官幣大社。
日清戦争の結果、下関条約によって、台湾が清朝から大日本帝国に割譲された。1895年(明治28年、
光緒21年)4月17日から、1945年(昭和20年、民国34年)10月25日まで50年余りにわたり、台湾は
日本の統治下にあった。
割譲された台湾に台湾征討近衛師団長として北白川宮能久親王が出征も、1895年(明治28年)10月
28日、台南で戦病死した。皇族軍人初の外地での殉職者だった。翌1896年(明治29年)1月13日、
貴族院において根岸武香を発議者とし「国費を以て台湾に神社を建設するの建議案」が出され、徳川
家達公爵ら43名の賛同を得た。さらに同年3月25日、衆議院においても「別格官幣社を台湾に建設する
建議」が北原信綱ら2名により提出された。
1899年(明治32年)2月、神社の土木工事に着工。社殿等の建築工事は翌1900年(明治33年)5月
28日に着工し、1901年(明治34年)10月20日に竣工した。
1945年(昭和20年)の日本の第二次世界大戦敗戦の後すぐに、台湾にある全ての神社は廃止された。
台湾神宮の跡は台湾大飯店(台湾ホテル)となり、1952年に改築され圓山大飯店となった。
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