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日本歴史写真帖 089

2024-07-02 23:20:15 | 日本歴史写真帖



秋好善太郎 編『日本歴史写真帖』, 東光園, 大正2 (1913)
国立国会図書館デジタルコレクション


威海衛港 劉公島の南灘に於て我水雷艇の破壊沈没したる敵の巨艦定遠號
明治二十八年二月二十一日撮影


威海衛

中国、山東半島の港で、清の北洋艦隊の根拠地。日清戦争の威海衛の戦いで
敗れ北洋艦隊は壊滅。

威海衛の要塞は日清開戦後に強化され、北岸に11個、南岸に7個、港外の
島々に5個の砲台に24センチ・カノン砲をはじめ161門の大砲と機関砲が
設置されていた。北洋艦隊の艦船は湾内に停泊し、防材を設置して日本艦艇、
特に水雷艇の侵入を防いでいた。1月30日、日本軍は攻撃を開始、南岸の
砲台を占領したが旅団長を含む209名が死傷する苦戦となった。翌日、北岸の
砲台も占領したが、北洋艦隊の漢城からの砲撃で被害も多かった。2月3日
から日本の連合艦隊が砲撃を開始、水雷艇が侵入して、定遠・威遠・来遠などを
撃沈した。主力艦を失った北洋艦隊の司令官丁汝昌は北京の李鴻章に降伏する
旨を打電し、服毒自殺、これによって北洋艦隊は壊滅した。3月には遼河会戦
での勝利、澎湖島への上陸と日本軍の優勢が決定的となって、1895年年4月、
下関講和会議の開催となり、下関条約が締結されて終戦となった。

from 世界史の窓


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