坂巻豊
大正十年六月十七日生
浦和高校を経て昭和十七年十月文學部教育學科に入學
昭和十八年十二月入隊
昭和十九年三月十一日朝鮮京城で戰病死
昭和十八年十一月十七日
小田さん(故人が十數年交際した婦人)へ
前便以來、小一ト月近くなります。最も肝膽相照した親友への一枚を最後として気に入つたレ
ターペーパーもなくなつてしまひました。こんな事を書くにも、色々な過去が思ひ出されて參り
ます。學生としての手紙もこれが或は最後かもしれません。或はもう一度位書けるやうになるで
せうか。とにかく今日ありて明日なき身のはかなさを思ひ現在の感懐の一端でも書いておきたい
と甚だ亂れたもので失禮ですが暫くおよみ下さい。
いつもの通り近況から始めます。木彫は散々苦心したにも拘はらず遂に意に滿たず放棄しまし
た。又他日氣の充實するのを待つて新しく着手する筈です。
貴女もさうでせうが、吾々近代人は信仰を失つてをります、吾々は既成のいかなる宗教にも同
感できません、キリスト教の奇蹟も救濟もまともに感受することができません。佛教もさうで
す。道などは信仰すべきものですかと反問したくなります。 吾々は信仰すべきものを失つてし
まひました。殊に日本に於て歴史を回顧する時、 吾々はその中から信仰すべき如何なる存在を發
見し得るのでせうか。
何故、自分は突然に信仰の事を書きだしたのでせうか。端的に申しませう。近い將來に死に直
面してゐるからです。人類が宗を所有したのは人類が生れると共に死の災厄をまぬかれなかつ
たからです。信仰する心は即ち自己の無力に對する自覺から自己以外の他者而も自己に相對する
ものでなく絶對他者─人類がと呼ぶもの─の存在をこひねがひ、只管自己を謙控して彼の絶對
者に心を放射し委托し以て自己のみが人類の災厄からのがれんとするのであります。乍併この意
味に於ける信仰は最も原始的宗教感情であり吾々には所有し得ない信仰です。自分が先に信仰を
失つたといふのはかかる意味のいはば『心の信仰』をさします。素朴的信仰ともいへませう。こ
の『素朴』といふ心の意味、萬葉の日本人以來日本人は『素朴』を以て最も根源的な生活感情と
して生きて參りました。自分は最近一つの生活感情をまとめるつもりでその手がかりを過去の日
本人の中に探してみました。記紀萬葉以來まづ日本人の生活感情は『まこと』といふ表現にみら
れます。『まこと』とは如何なるものかといへば鬼貫は自然のままの情の自然に現はれたものを
『まこと』と稱してゐるのです。素朴自然なる古代日本人が自然のままの情を自然に流露するこれ
が『まこと』であります。
『まこと』は又真言であり眞事であります。『まこと』の生活者であつた古代日本人は倫理性に
於て善であり論理的に正しく更にその二つながら一身同時に生活し現はす處に美的な生活者でも
ありました。
かるが故に彼等は心からよく
海ゆかば水漬く屍山ゆかば草むす屍大君の邊にこそ死なめかへりみはせじ
と歌ひ、又
今日よりはかへりみなくて大君の醜の御楯といでたつわれは
と清澄な心境で皇戰(スメラミイクサ)に從ひえたのであります。
自分は今戰場に赴かんとして果してよく此の素朴なる感情に徹しうるか否か自分を疑つてゐる
のです。右の二首とも『かへりみ』ないことを強く言ひきかせてゐるのです。『かへりみ』ると
は何をかへりみるのでせうか。具体的に言へば、父母・兄弟・妻子・財産・名譽・權勢等色々あ
りませうが最も端的にはそれは生命そのものでありませう。生死の問題は人類によつて永遠に一
人一人が苦しみ解決を求める問題であります。それは決して或る天才によつて解決しうる底のも
のでなく主体的各自的な問題であります。而も彼の素朴なる人々には大君御一人に歸一隨順する
ことの信仰によつて生を超えることができたと思はれるのであります。
實に素朴的信仰に歸依しうる人は幸ひであります。近代精は余りにも自我精の自覚を強制
しました。吾々は今やいかにしても自己を放擲することができなくなりました。吾々は自己の内
に確固たるミクロコスモスを構成し終へました。(絶對者)すらも吾々の内に求めようとさへ
します。吾々が吾々の一切であります。吾々の死は即ち吾々自身のコスモスの破滅であります。
生ある限りに於てのみ、吾々は吾々でありうるのであります。所謂素朴信仰を喪失せる吾々にとつ
て今や最も苦惱の時がまゐつたのであります。
吾々は戰場に征くのであります。戰争は勿論すべての兵士を殺すものではありません。併し兵
士の或者は殺されるのであります。吾々は常にその或者であることを覺悟せねばならぬのであり
ます。則ち吾々は今や死に直面してゐると申して過言ではないのであります。吾々は自身好むと
否とに拘はらず即刻生死の問題を解決すべく強制されてゐるのであります。
九月二十二日學徒徴兵の發表の當時学生は非常に動揺したのであります。吾人の仲間は(三
人)二十三日の夜おそくまで興奮して話しあつたのであります。又三十日には朝四時迄語り明かし
たのであります。その他連日手紙を往復したり又は話し合つたりして活動衝動を抑へえなかつたの
であります。しかしそれらはいはば一時的な興奮であり、未だ兵として召されるの實感もなく況して
死を思ふ程の切迫感はなかつたのであります。やがて興奮も去つたのであります。吾々にとつて問
題となるのは戰場に赴く事によつて吾々は死に直面すると云ふ一事であります。吾々は死を恐れ
てはゐないのであります。たゞ如何にして此の至善にして至美なる生を諦觀し得るかに最後の苦惱
を感じるのであります。
貴女も一度は聞かれたでせうが思想家とか論者とかが、そして日本では哲学者と稱する人達ま
でが、生活の問題について言ふことは常に軌を一にしてゐるのであります。即ちライプニッツの
単子論(アトミスムス)以来個人哲学に洗はれた西歐思想と違ひ日本思想はひたすら大君に歸一す
ることによつて永遠の生を得るのであり、日本人は國家の為に死ぬことによつて永遠に生きると云
ふのであります。例へば今机上にある『理想』十一月號を取上げて見ませう。その中に高階順治の
『大戰下學生の世界観の問題』と題する論文があります。これを讀みながら批判してみませう。
「……殉國はわれら皇國臣民に於いては正しく永遠の生である。…併しながらそれは直ちに刻下
の肉体的死を意味してゐる。殉國の決意は玉碎への覺悟であり肉体的死への決意である。……
死への決意、玉碎への覺悟、それは比類なく貴きものであるが故に又容易ならざるものであり、不
退轉的信念の根據を必要とするものである。信念は悲願によつて強められ、悲願は諦觀によつて
不動のものとなる。現實への諦觀、それは絶大の勇氣を必要とする。……自らの生を省み、餘儀な
き死をみつめ、……みつめつつ死を迎へるといふことは、それを超えることであり、死を超える事は
生を眞に生きることである。 生を眞に生きることは自覺的存在として自らの生を把持し、それを己
が意のまゝに最高の價値あるものに迄高めるの道は最高の價値者へ合併せしめるところにあり、
唯一聖者にこれを捧げる事にある。」 論者の云はんとする處は概ね同情しうるのであり、公然發
表するにはかかる表現はさけられぬものと思はれるが、しかしながらこれは單に自明の理を形式的
に構成したに過ぎす、内容的に何等示唆するものがない。例へば殉國に於いて永遠の生を見るこ
とは自分が先に共同体の處で説明した事であり、是は全く觀念上の安心(アンジン)であり現實的
生とは又別個の問題とせねばならない。現に論者は直ぐ後で『肉体的死』なる表現を示してをり、つ
まり論者は圖式的には次の如く言ふ。
瞬間的生 永遠的生
肉体的生 肉体的死 欠
具体的生 観念的(抽象的)生
そして論者も現實的な問題としての、肉体的死への決意の困難を認めるのであるが、そ
の困難を克服すべきものとして示す 『信念』も『悲願』も何等内容的に説明されてゐないの
であり又『現實への諦觀』が『絶大の勇氣』によつて獲得されるといふ考へ方も嚴肅に哲學
する者に對する侮辱といふの他はない。ただ『肉体的死への決意』や『現實への諦觀』が人
生に至善至美の世界を探り、生に深い愛着を有つ吾々にとつて、如何にして可能であるか
が新しい問題となるでせう。
『自らの生を省み餘儀なき死をみつめ、みつめつゝ死を迎へる』ことは正に理想的なもののふの心
境ではありますが、併し死を超克することは『生を眞に生きること』でありえませうか。論者が次に唯
一聖者と云ふのは勿論天皇でありますが、吾々は吾々の生を如何に考へたなら唯一聖者に
合併せしめ得るのでせうか。
吾々はここに論者の虚を見るのであります。即ち論者は永遠の生へ轉ずるといふ事を以て現實的
肉体的死を肯定しようとするのであります。『やむを得ざる』死を以て『積極的に意義ある死』たらし
めんとするのであります。そこに無理があり、飛躍があるのであります。自覺的在者として自らの生
を把持し、それを己が意のままに『最高の價値あるものにまで高める』──自覺的在者にとつて最高
の價値が何であるかといふことについて論者の論述は曖昧であり吾々も亦輕々しい議論は出來な
いと思ひます。
とに角論者は、「……反省による現實理解こそ眞の力の根源である。強いて叡智を曇らして現實
凝視を怠り、自らの強さを盲信する者ほど弱く危険なるものはない。 ……透徹によつて初めて超
克も可能となる。」と説いて以て確固たる世界觀の必要を力説する。是は當然である。
私は今まで生死の問題を長々と論じて參りました。そして結局次の結論に至るのであります。
即ち、
「吾々は飽くまで生きるのが正しい。正しいとは人間として自然であり素直であり、まことの心情に
かなつてゐるといふ意味である。併し吾々は共同体の一員として共同体の要請に應へねばなら
ぬ。その爲には死も亦止むを得ない。ここに『現實への諦觀』が必要となる。然るに現實は実に諦
観し難き最極點にあり、この諦觀しがたき現實生を敢えて諦觀せんが為には最早觀の世界を超え
て行の世界否『觀行一如』の世界に悟入するに非ざればあらずと思はれる。佛者の謂ふ『觀行一
如』とは如何なる境地か。到底吾々の速急に体認するを得ずとすれば嗚呼われ等遂に煩惱の虜た
るを脱離し得ざるか。」
はるかなる山河にp84~p91