五月晴れの日が続く。子供の頃風呂屋さんに行くと菖蒲が湯船に入れてあった記憶がある。見山にモーニングを楽しむために行ったが途中鯉のぼりを見ることはなかった。子供の心身の成長を家族で願ういい慣習だと思っているが。棟方志功の作品に鯉の油絵があるが、鯉の持つ生命のほとばし、エネルギーを見事に描いていた。子供たちは本来そんな荒々しいエネルギーにあふれた存在であり、親たちもそう願ったのであろう。見山に行くと鯉のぼりが高く泳いでいた。ナニワイバラも満開であった。田植えももうすぐ始まる。
久しぶりに見山へ。途中の風景が変わっていてびっくり。ダムに水が溜まってきているし、新しい信号ができているし、新鮮。見山には天ぷらの材料探し。柿の新芽はゲットできなかったが、ヨモギはいいのを採ることができた。家のベランダにはヤブカンゾウの新芽はある。娘家族と天ぷらで春を楽しもうとの目論見。見山の里ではサンシュウユを購入。花の黄色が鮮やか。この花を見ると一気に時代がもどる。昭和の空気に包まれる。唄っている元気な母の声。歌われているサンシュユは山椒というが私の頭の映像は地味な山椒の花でなく、華のあるサンシュユだ。
コロナ禍日曜日はどこも行くところがないので、夫婦で見山に行くことになる。里山の景色は一週間過ぎると変化、何かしら新しい経験ができる。お目当ての野菜も少なくなった時間も訪れる人は多い。途中彼岸花があちらこちらに咲いている。「赤い花なら曼殊沙華阿蘭陀屋敷の庭に咲く」の歌詞が自然に浮かんでくる。家にラジオもなかったし、もちろんレコードもなかったので、母が口ずさんでいたのを覚えていたのか不思議に彼岸花をみると、この歌が出てくる。家を出るのが遅かったので見山の郷の野菜は少なかった。真菰と書かれたのがあったので、珍しいので買ってみた。昔真菰という歌詞がある歌があったなあと記憶を辿った。昔友人とよく通った飲み屋のおばあさんの十八番でよく歌ってくれた「船頭小唄」。あの中にあった。夕食に炊き込みご飯と天ぷらにしたら、これが絶品。娘たちにもぜひ食べさせたいと思った。
日曜日になると、見山まで原付バイクで行っている。山椒の実がなるころになると、欲しくなる。さっと処理して冷凍庫に入れとくと1年間なにかと重宝する。見山の郷に行ってみたが見つからず。銭原の朝市に行ってもなく、帰りに千提寺のまだま村の手前にある無人の店に行くとやっとありました。100g200円。
見山は田植えが始まり、卯の花も満開。
見山で棗があり、買った。どうして食べるのかわからずかじってみたが、未熟な硬いりんごのような酸っぱい味。でもナツメという言葉に私の記憶がよみがえった。小学性のころハーモニカが上手な友人がふいていた。彼の演奏する「水師営の会見」を耳で覚え、私も真似をした。あのころから今も楽譜を見ながらはできない。「旅順開城約成りて敵の将軍ステッセル 乃木将軍と会見の 所は何処水師営 庭に一木 棗の木・・・」ナツメを見たとたんこの歌が自然と蘇り口ずさんで妻を驚かせた。窓際で乾燥させるといい茶色になった。食べ方をネットで調べたが、ピタッとくるものが無かった。ひらめきでスペアリブをパイナップルの芯と一緒に煮込んだ時に焚いてみたら、なかなかいい味に仕上がりました。干しブドウを煮込んだような味と口当たりで、今度見つけたらまた買ってみようと思う。