桜博士笹部新太郎の「櫻男行状」を読んで以来、滋賀県高島町の清水(しょうず)の桜に会いに行きたいと願っていた。
茨木(11:22発)高槻(11:27着)高槻(11:31発)マキノ(12:52着)湖西線の新快速は初めての経験だ。車窓からみえる家々の屋根は黒い瓦屋根が続き、ほっとする。日本の原風景というか私の脳裏にある昔の日本の風景が蘇ってくる。駅を出ると桜まつりにイベントが催され観光客も多い。レンタサイクルを借りに観光協会に行くと、自転車は残り少なくなっていたが一台借りることが出来た。3時間500円。赤い自転車はよく手入れされ乗りやすい。南へ走るとすぐにい旧街道に出た。東に走る。古い町並みが続く。車も少なく走りやすい。お寺も多く造り酒屋もある。約1キロ走るとT字路。右は「海津大崎の桜」。左に向かう。海津の信号で国道161号線を越えると原野の中を狭い道が一本。清水の桜を目指す。「櫻男行状」には事故で遅れたバスを待つ笹部氏が「この時間をぼんやりと待つよりは、どこか海津の町の辺りを歩いて、桜とはゆかずとも何か植物の獲物でも漁ってみようと心に決め、急いで海津の町はずれから敦賀へ出る道を、ただ木を策めて歩いた。と、小さな山の裾を廻るとすぐ向こうの方にうす黒く立つ巨樹を認めた。無論、さくらだなどとは思わなかったが夢中になって近寄ってみると、何分六月のことで、青葉の姿ではあり、殊に巨木として珍しく地上四尺くらいのところまで枝があるのと、葉の蜜線も殆ど認められず、葉の形もかなりちがうようだが、どう考えてみても確かにヒガン桜にちがいない。が、これだけの巨木が桜だとすれば、いかに人気の少ない共同墓地の隅っこにしても、ともかく自動車の通う道路のすぐ傍にあるものが、今日までに発表されていない筈がない。しかとは記憶せぬまでも、滋賀県下の巨桜は二本あるが、その所在はいずれもずっと東寄りである筈だ。今日、桜をもとめての僻地の行脚に、バスの不通に遭っていくらかぼうっとして何を見ても、みるものすべてが桜にみえるのじゃないのかと考えもしたが、とりあえず用意の巻尺で幹周を測ってみると、まさに一丈六尺三寸、樹姿は地上一尺のところで凵形になっていて、この両幹の間は、三尺ばかり完全に平面になっているという稀有の形である。」とこの巨桜の発見の経緯を書いている。「名品の桜はこのさきまた見つける機会が必ずしもないとは限らぬが、これだけの健やかに残った桜を発見することは到底あり得まい。私にとって一生一度のことである。」とまでも。
緩やかな坂道を登っていくと桜は快晴の下満開でした。小ぶりの花が溢れるように咲いていました。この桜の下で眠る人々の心がひとつひとつ花に宿っているようで、花見の桜とは違う空気が桜を美しく包んでいました。カメラに収めようとしましたが、その実感を捉えることは無理でした。
帰りは元の街道。途中店先で木工細工を出している店があり、眺めていると店の主人につかまりました。どうも誰も足を止める人がなく退屈しきっていたようです。本業は刺繍屋さんで鯉の作品が見事でした。焼きごてで人物画や浮世絵を描かれた檜の板。焼きごても自作だそうです。アキレス筋を伸ばす健康器具、枇杷石鹸。あまり売れそうではありません。風呂用に檜の板を二枚買いました。昔このあたりは天領でありながら、加賀藩の領地で約4000名の大名行列の際は地元は大変だったと最近のことのように言われるのが面白かった。
もう一度ゆっくりと来たい町だった。
茨木(11:22発)高槻(11:27着)高槻(11:31発)マキノ(12:52着)湖西線の新快速は初めての経験だ。車窓からみえる家々の屋根は黒い瓦屋根が続き、ほっとする。日本の原風景というか私の脳裏にある昔の日本の風景が蘇ってくる。駅を出ると桜まつりにイベントが催され観光客も多い。レンタサイクルを借りに観光協会に行くと、自転車は残り少なくなっていたが一台借りることが出来た。3時間500円。赤い自転車はよく手入れされ乗りやすい。南へ走るとすぐにい旧街道に出た。東に走る。古い町並みが続く。車も少なく走りやすい。お寺も多く造り酒屋もある。約1キロ走るとT字路。右は「海津大崎の桜」。左に向かう。海津の信号で国道161号線を越えると原野の中を狭い道が一本。清水の桜を目指す。「櫻男行状」には事故で遅れたバスを待つ笹部氏が「この時間をぼんやりと待つよりは、どこか海津の町の辺りを歩いて、桜とはゆかずとも何か植物の獲物でも漁ってみようと心に決め、急いで海津の町はずれから敦賀へ出る道を、ただ木を策めて歩いた。と、小さな山の裾を廻るとすぐ向こうの方にうす黒く立つ巨樹を認めた。無論、さくらだなどとは思わなかったが夢中になって近寄ってみると、何分六月のことで、青葉の姿ではあり、殊に巨木として珍しく地上四尺くらいのところまで枝があるのと、葉の蜜線も殆ど認められず、葉の形もかなりちがうようだが、どう考えてみても確かにヒガン桜にちがいない。が、これだけの巨木が桜だとすれば、いかに人気の少ない共同墓地の隅っこにしても、ともかく自動車の通う道路のすぐ傍にあるものが、今日までに発表されていない筈がない。しかとは記憶せぬまでも、滋賀県下の巨桜は二本あるが、その所在はいずれもずっと東寄りである筈だ。今日、桜をもとめての僻地の行脚に、バスの不通に遭っていくらかぼうっとして何を見ても、みるものすべてが桜にみえるのじゃないのかと考えもしたが、とりあえず用意の巻尺で幹周を測ってみると、まさに一丈六尺三寸、樹姿は地上一尺のところで凵形になっていて、この両幹の間は、三尺ばかり完全に平面になっているという稀有の形である。」とこの巨桜の発見の経緯を書いている。「名品の桜はこのさきまた見つける機会が必ずしもないとは限らぬが、これだけの健やかに残った桜を発見することは到底あり得まい。私にとって一生一度のことである。」とまでも。
緩やかな坂道を登っていくと桜は快晴の下満開でした。小ぶりの花が溢れるように咲いていました。この桜の下で眠る人々の心がひとつひとつ花に宿っているようで、花見の桜とは違う空気が桜を美しく包んでいました。カメラに収めようとしましたが、その実感を捉えることは無理でした。
帰りは元の街道。途中店先で木工細工を出している店があり、眺めていると店の主人につかまりました。どうも誰も足を止める人がなく退屈しきっていたようです。本業は刺繍屋さんで鯉の作品が見事でした。焼きごてで人物画や浮世絵を描かれた檜の板。焼きごても自作だそうです。アキレス筋を伸ばす健康器具、枇杷石鹸。あまり売れそうではありません。風呂用に檜の板を二枚買いました。昔このあたりは天領でありながら、加賀藩の領地で約4000名の大名行列の際は地元は大変だったと最近のことのように言われるのが面白かった。
もう一度ゆっくりと来たい町だった。