青森ねぶた祭(青森県青森市。東北夏祭り4)案内
相川哲弥ブログ。 http://blog.goo.ne.jp/jq280 2010年8月14日。
1節。特徴。
期間。8月2日~7日。
山車(だし)を市内中心部を引き回すのは、夜に引っ張る。
企業色。 青森市内の、ねぶたは企業ごとに、人形燈籠の山車を引っ張る。
山車(だし)の特徴。 人形の形の燈籠の山車です。観光案内書の写真を見ると、人形が、前かがみになっているようにも見えるが、実際に青森市にいって、山車のすぐ近くで見ると、はいつくばっているようには、見えない。その形の骨組みを針金(竹?)で作って、障子紙を骨組みに、のりで貼って、その障子紙に、絵を描く。
絵は、昔の中国の三国時代の、戦争の、有名な戦いや武将の絵を題材にしたものが多い。その時代の題材が、絵になりやすいらしい。
その絵の端に、『漢雲』などと書いてある。この絵を書いた絵師の名前(ペンネーム)です。
青森県八戸市の山車の、発泡スチロールを切り抜いて作った、マネキン人形を、山車の台車に固定して、背景なども、実物らしきものを、台車に取り付けて行くので、絵師が絵を書く部分は無い。
ところが、青森市の『ねぶた』は、障子紙に絵を書いた山車だから、絵師が必要。専門の絵師でないと書きにくいらしい。
場所。奥羽本線・東北本線の接点・青森駅から少し離れた『アスパム』が、山車を骨組みに障子紙を張って、絵を書く作業場です。
1個の山車が、1個の鉄骨の布張りテントの中で組み立てられて、絵を描かれていく。このテント村が、山車の行列の出発点です。
出しの行列は(真上から見ると)長方形の通行道路を進んで行く。長方形の順路をグルグル、山車の行列が巡回する形になる。
昔は、夕方7時の出発時刻になると、テント村から、1番目の山車が出発して、次に2番目の山車が出発して、。。。と言うやり方だった。このやり方だと、出発点から最も遠い順路地点で見物している客が、最初に山車の姿を見るのは、出発時刻7時を30分以上後の7時半過ぎになる。この場所で見る客から文句が出る。
そこで、現在では、出発時刻の少し前に、全部の山車がテント村を順に出て、長方形の順路全体に並んで、7時になると、全部の山車が、お囃子を鳴らしながら山車を引っ張って行進するやり方に変えた。このやり方だと、長方形の順路のドコで見物する人も、7時になると、自分の目の前の順路道路で、お囃子に合わせて、山車が行進するのを見ることが出来ることになった。
車道の両側の歩道だけに、アーケードがかかった商店街です。道路の幅全体にアーケードがかかって、道路全体が車が入れない商店街とは、違う。。
出発点のテント村の、『アスパム』は、青森県観光物産館の名前です。青森駅前からバスで10分。歩いても20分。
2節。青森市の説明。
青森県は、江戸時代は、津軽藩(つがるはん)だった。城は、弘前にあり、明治になって弘前市になった。
しかし明治維新に成って、今の青森市内だったところが、漁村だったのを、開発して町を作って青森県庁を置いたために、藩都『弘前』が、県庁所在都市にならなかった。
伴奏音楽。
山車のスグ後に、大太鼓を3~5個を、進行方向とは直角に横並びして台車に固定した、『太鼓車』が続く。この太鼓をたたく人は、太鼓車のスグ後ろを歩きながら、太鼓をたたく。その後の横笛の人が何人かが続く。
さらにその跡に沢山のハネトの集団が続く。
山車は小学生からおとなまで、色々な人が引っ張る。引っ張る人は、時々指揮の人が、『らっせらー、らっせらー』と怒鳴ると、1呼吸おいて、ハネトたちが、『らっせらー、らっせらー』と叫びながら、道路表面から5~15センチ跳ね上がって、道路表面に降りることを繰り返す。
弘前市の『ねぷた』の掛け声は、『やーやどー』で、出陣の儀式です。
青森市の『ねぶた』の掛け声は、『らっせらー、らっせらー』で、凱旋(がいせん。戦いに勝って帰ってきたときの儀式)です。
弘前の『プ』は、半濁点です。青森市の『ぶ』は、濁点です。
弘前市の人に、質問する時に、『ねぶた』と言うと、すかさず『弘前は、ねぷたです』と訂正してくる。
全国的な知名度は、青森『ねぶた』のほうが格段に高い。大きなホテル・旅館にツアーできて、来た時に、翌年の『ねぶた』の団体宿泊予約をしていくそうです。旅行会社も、沢山のねぶたの運行は7時から9時までだが、旅行会社の観光客は1時間見物して、旅館・ホテルにバスで行くのも多いそうです。青森市内から、バスで2時間の観光地のホテルに予約している旅行会社の場合は、夕食の都合も有るので、正味の『ねぶた』見物時間は1時間になる。
なるべくなら、個人で行くのが、お勧め。
3節。青森駅前の魚市場。
青森駅を出てすぐの、正面の両側アーケードの広い道の、右側の手前の端のビルの地階は、青森市の魚市場です。ビルの外の手前から、直接、地階に降りる階段がある。
青森市の、近海の魚が、ここで売っている店が沢山有る。
魚を食べるのが好きな人は、1時間でも、2時間でも、見て、飽きない。青森駅前付近で乗り換え待ち時間などが有ったら、30分でも1時間でも、見てみよう。
青森県庁職員に言わせると、『よその都市で、1切れの値段が、この市場では、1匹の値段です』と言う。
このビルの、西に道路を隔てて、もう1個、平屋建ての魚市場が有る。こちらのほうが、魚市場らしい雰囲気です。
青森駅前Yahoo地図 クリック
『青森魚采センター本店』『青森公益魚采センター』『青森生鮮食品センター』です。
この地図の右端の『中三』(なかさん)が、青森地元のデパート『中三』です。これを基準に探す。
4節。祭りの『過去の年のビデオ再生』と『ライブカメラ配信』。
ホームページ『I LOVE青森まるごとView』の『青森ねぶた祭り』ページ クリック
に有る。過去の毎年のビデオも閲覧出来る。
動画の例。
Yahoo検索画面で、「動画」をくりっくして、『青森ねぶた』と入力して、『検索』ボタンをクリック。
例えば
スライドショー クリック
動画 クリック
『青森ねぶた祭り・その2』 動画 クリック
『"青森ねぶた祭りの運行風景(NTT青森の作品)2007年8"』 動画 クリック
『青森ねぶた祭り』 スライドショー 動画 クリック
『青森ねぶた祭り 2008』 スライドショー 動画 クリック
『青森ねぶた祭り Aomori Nebuta Festival』 動画 クリック
『青森ねぶた祭り』 動画 クリック
相川哲弥ブログ。 http://blog.goo.ne.jp/jq280 2010年8月14日。
1節。特徴。
期間。8月2日~7日。
山車(だし)を市内中心部を引き回すのは、夜に引っ張る。
企業色。 青森市内の、ねぶたは企業ごとに、人形燈籠の山車を引っ張る。
山車(だし)の特徴。 人形の形の燈籠の山車です。観光案内書の写真を見ると、人形が、前かがみになっているようにも見えるが、実際に青森市にいって、山車のすぐ近くで見ると、はいつくばっているようには、見えない。その形の骨組みを針金(竹?)で作って、障子紙を骨組みに、のりで貼って、その障子紙に、絵を描く。
絵は、昔の中国の三国時代の、戦争の、有名な戦いや武将の絵を題材にしたものが多い。その時代の題材が、絵になりやすいらしい。
その絵の端に、『漢雲』などと書いてある。この絵を書いた絵師の名前(ペンネーム)です。
青森県八戸市の山車の、発泡スチロールを切り抜いて作った、マネキン人形を、山車の台車に固定して、背景なども、実物らしきものを、台車に取り付けて行くので、絵師が絵を書く部分は無い。
ところが、青森市の『ねぶた』は、障子紙に絵を書いた山車だから、絵師が必要。専門の絵師でないと書きにくいらしい。
場所。奥羽本線・東北本線の接点・青森駅から少し離れた『アスパム』が、山車を骨組みに障子紙を張って、絵を書く作業場です。
1個の山車が、1個の鉄骨の布張りテントの中で組み立てられて、絵を描かれていく。このテント村が、山車の行列の出発点です。
出しの行列は(真上から見ると)長方形の通行道路を進んで行く。長方形の順路をグルグル、山車の行列が巡回する形になる。
昔は、夕方7時の出発時刻になると、テント村から、1番目の山車が出発して、次に2番目の山車が出発して、。。。と言うやり方だった。このやり方だと、出発点から最も遠い順路地点で見物している客が、最初に山車の姿を見るのは、出発時刻7時を30分以上後の7時半過ぎになる。この場所で見る客から文句が出る。
そこで、現在では、出発時刻の少し前に、全部の山車がテント村を順に出て、長方形の順路全体に並んで、7時になると、全部の山車が、お囃子を鳴らしながら山車を引っ張って行進するやり方に変えた。このやり方だと、長方形の順路のドコで見物する人も、7時になると、自分の目の前の順路道路で、お囃子に合わせて、山車が行進するのを見ることが出来ることになった。
車道の両側の歩道だけに、アーケードがかかった商店街です。道路の幅全体にアーケードがかかって、道路全体が車が入れない商店街とは、違う。。
出発点のテント村の、『アスパム』は、青森県観光物産館の名前です。青森駅前からバスで10分。歩いても20分。
2節。青森市の説明。
青森県は、江戸時代は、津軽藩(つがるはん)だった。城は、弘前にあり、明治になって弘前市になった。
しかし明治維新に成って、今の青森市内だったところが、漁村だったのを、開発して町を作って青森県庁を置いたために、藩都『弘前』が、県庁所在都市にならなかった。
伴奏音楽。
山車のスグ後に、大太鼓を3~5個を、進行方向とは直角に横並びして台車に固定した、『太鼓車』が続く。この太鼓をたたく人は、太鼓車のスグ後ろを歩きながら、太鼓をたたく。その後の横笛の人が何人かが続く。
さらにその跡に沢山のハネトの集団が続く。
山車は小学生からおとなまで、色々な人が引っ張る。引っ張る人は、時々指揮の人が、『らっせらー、らっせらー』と怒鳴ると、1呼吸おいて、ハネトたちが、『らっせらー、らっせらー』と叫びながら、道路表面から5~15センチ跳ね上がって、道路表面に降りることを繰り返す。
弘前市の『ねぷた』の掛け声は、『やーやどー』で、出陣の儀式です。
青森市の『ねぶた』の掛け声は、『らっせらー、らっせらー』で、凱旋(がいせん。戦いに勝って帰ってきたときの儀式)です。
弘前の『プ』は、半濁点です。青森市の『ぶ』は、濁点です。
弘前市の人に、質問する時に、『ねぶた』と言うと、すかさず『弘前は、ねぷたです』と訂正してくる。
全国的な知名度は、青森『ねぶた』のほうが格段に高い。大きなホテル・旅館にツアーできて、来た時に、翌年の『ねぶた』の団体宿泊予約をしていくそうです。旅行会社も、沢山のねぶたの運行は7時から9時までだが、旅行会社の観光客は1時間見物して、旅館・ホテルにバスで行くのも多いそうです。青森市内から、バスで2時間の観光地のホテルに予約している旅行会社の場合は、夕食の都合も有るので、正味の『ねぶた』見物時間は1時間になる。
なるべくなら、個人で行くのが、お勧め。
3節。青森駅前の魚市場。
青森駅を出てすぐの、正面の両側アーケードの広い道の、右側の手前の端のビルの地階は、青森市の魚市場です。ビルの外の手前から、直接、地階に降りる階段がある。
青森市の、近海の魚が、ここで売っている店が沢山有る。
魚を食べるのが好きな人は、1時間でも、2時間でも、見て、飽きない。青森駅前付近で乗り換え待ち時間などが有ったら、30分でも1時間でも、見てみよう。
青森県庁職員に言わせると、『よその都市で、1切れの値段が、この市場では、1匹の値段です』と言う。
このビルの、西に道路を隔てて、もう1個、平屋建ての魚市場が有る。こちらのほうが、魚市場らしい雰囲気です。
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『青森魚采センター本店』『青森公益魚采センター』『青森生鮮食品センター』です。
この地図の右端の『中三』(なかさん)が、青森地元のデパート『中三』です。これを基準に探す。
4節。祭りの『過去の年のビデオ再生』と『ライブカメラ配信』。
ホームページ『I LOVE青森まるごとView』の『青森ねぶた祭り』ページ クリック
に有る。過去の毎年のビデオも閲覧出来る。
動画の例。
Yahoo検索画面で、「動画」をくりっくして、『青森ねぶた』と入力して、『検索』ボタンをクリック。
例えば
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動画 クリック
『青森ねぶた祭り・その2』 動画 クリック
『"青森ねぶた祭りの運行風景(NTT青森の作品)2007年8"』 動画 クリック
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『青森ねぶた祭り 2008』 スライドショー 動画 クリック
『青森ねぶた祭り Aomori Nebuta Festival』 動画 クリック
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