昨朝は愛犬まいのお墓参りに。
まいの急死は、私と娘が日本に一時帰国して2日目の出来事だった。熱中症にかかり、点滴などの治療を受けるも半日で息を引き取ったと、日本時間の朝に夫から報せが入った。
イスラエルを発つ時はいつもと変わらぬ様子だったので、信じがたい気持ちが大きく、遠く離れていることもあり実感は曖昧なのだが、それでも小さな家族の一員を失ったショックは大きく、その日は娘と二人、一歩も外に出ず茫然と一日をやり過ごした。
3週間後に自宅に戻ると、愛犬に合わせて身に付けていた私達家族の些細な習慣や癖のひとつひとつが愛犬の不在を際立たせた。
いまだに不意に愛犬がいるかのように振る舞ってしまうことがあり、可笑しさと寂しさと思い出とで胸の奥が生温かく感じられる。
有り余る愛嬌のせいで番犬の役目はまるで果たさず、散歩に出れば猫ばかり探している、名犬というより迷犬といったところだが、私達家族がイスラエルに移り住みそれぞれが苦悩した時期にいつも傍にいてくれたのはまいだった。家族のご機嫌にも不機嫌にも黙って付き合ってくれた。時々手も焼いたけど、今はありがとうの気持ち。
在りし日のまい
まいのお墓(手間の小さな石ころ:ここに木を植えてもらう予定)
仲間がいっぱいでちょっと安心。
まいの急死は、私と娘が日本に一時帰国して2日目の出来事だった。熱中症にかかり、点滴などの治療を受けるも半日で息を引き取ったと、日本時間の朝に夫から報せが入った。
イスラエルを発つ時はいつもと変わらぬ様子だったので、信じがたい気持ちが大きく、遠く離れていることもあり実感は曖昧なのだが、それでも小さな家族の一員を失ったショックは大きく、その日は娘と二人、一歩も外に出ず茫然と一日をやり過ごした。
3週間後に自宅に戻ると、愛犬に合わせて身に付けていた私達家族の些細な習慣や癖のひとつひとつが愛犬の不在を際立たせた。
いまだに不意に愛犬がいるかのように振る舞ってしまうことがあり、可笑しさと寂しさと思い出とで胸の奥が生温かく感じられる。
有り余る愛嬌のせいで番犬の役目はまるで果たさず、散歩に出れば猫ばかり探している、名犬というより迷犬といったところだが、私達家族がイスラエルに移り住みそれぞれが苦悩した時期にいつも傍にいてくれたのはまいだった。家族のご機嫌にも不機嫌にも黙って付き合ってくれた。時々手も焼いたけど、今はありがとうの気持ち。
在りし日のまい
まいのお墓(手間の小さな石ころ:ここに木を植えてもらう予定)
仲間がいっぱいでちょっと安心。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます