宋土の寺院なんどには、惣て雑談をせざれば、左右に及ばず。我ガ国も、近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも是のごとキ言語出来ラず。滅後も在世の門弟子等少々残リ留マリシ時は、一切に言ハざりき。近ごろ七八年より以来、今出の若人達時々談ズルなり。存外の次第なり。
『正法眼蔵随聞記』巻2-14
中国の修行道場では、猥談を始めとする余計な話(雑談)はしていなかったとしています。日本でも、建仁寺の僧正(栄西禅師)がご存命の頃にはそのような言葉が語られることはなかったわけですし、栄西禅師が亡くなった後も、その門弟が建仁寺にいた頃には余計なことは言わなかったそうですが、この『随聞記』が語られた頃には違ったようです。
しかも、キチッと指導を受けていない若い者達が余計なことを語るようです。いつでも、新入りの人を指導する必要性を感じさせる教えですね。
『正法眼蔵随聞記』巻2-14
中国の修行道場では、猥談を始めとする余計な話(雑談)はしていなかったとしています。日本でも、建仁寺の僧正(栄西禅師)がご存命の頃にはそのような言葉が語られることはなかったわけですし、栄西禅師が亡くなった後も、その門弟が建仁寺にいた頃には余計なことは言わなかったそうですが、この『随聞記』が語られた頃には違ったようです。
しかも、キチッと指導を受けていない若い者達が余計なことを語るようです。いつでも、新入りの人を指導する必要性を感じさせる教えですね。