goo blog サービス終了のお知らせ 

満福山城国寺

宮城県栗原市にある曹洞宗の満福山城国寺のブログです。

城国寺の命名由来

2009-12-31 15:53:35 | 寺院紹介
満福山城国寺は元々、福聚山晟泉院といったとされていますが、1600年代初頭に現在の名前に変えられています。その命名由来なのですが、韓国などにも「城国寺」という名前の寺院があることから、決して日本にて思い付いた字面ではないのは確実です。

なお、当山の場合には別の理由があると思われます。それは、当山がある場所が宮城県栗原市花山字草木沢宿であることから考えれば明らかで、地名に「草木」と入っています。これは、江戸時代初期にも同じだったようです。よって、「城国」と「草木」から思い付くのは、中国唐代の詩聖・杜甫の『春望』です。当山では、この詩から命名されたと伝えられています。

国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を潅ぎ
別れを恨んで鳥にも心を驚かす
烽火 三月に連なり
家書 万金に抵る
白頭掻けば更に短く
渾て簪に勝えざらんと欲す

株式会社「少林寺」?

2009-12-17 09:37:13 | つれづれの一言
「少林寺」株式会社に? 旅行・文化…商業化危ぶむ声も(朝日新聞) - goo ニュース

達磨大師の面壁九年の話や、二祖慧可大師の雪中断臂話などで有名な、嵩山の少林寺が、観光地化の成功や、伝えている武術などの興行を下に、株式会社化するかもしれないそうです。まぁ、寺院には僧侶しか住んでいないと思っている人は驚くかもしれないけど、昔から寺院には、お金儲け専門の在家人が住んでいて、寺院経済を支えていたという時代もあったわけだから、問題は無いと思います。

多様化する宗教、多様化する価値観、日本でもあるかもしれませんよ。株式会社「城国寺」は、売り物がないので難しいでしょう。

今晩は断臂摂心です。

2009-12-09 21:01:33 | 草木国土悉皆成仏
今晩は、中国禅宗二祖・大祖慧可大師が達磨大師に弟子入りを願って、一晩雪の中で立ち、臂を断って志を示した故事を慕って坐禅をする断臂摂心の日です。

このとき窮臈寒天なり、十二月初九夜といふ。天大雨雪ならずとも、深山高峰の冬夜は、おもひやるに人物の窓前に立地すべきにあらず、竹節なほ破す、おそれつべき時候なり。しかあるに、大雪匝地、埋山没峰なり。
    『正法眼蔵』「行持(下)」巻

城国寺山門(仁王門)

2009-12-09 10:35:58 | 寺院紹介


山門とは、禅宗にて数えられる七堂伽藍の1つで、特に仏殿(本堂)の前に立ち、左右には金剛力士像を置くことを通例とする(『禅学大辞典』など参照)とされています。当山の山門は11世・独鳳丹嶺大和尚の住持の時、寛延元年(1748)に建立されました。元々建っていた山門が朽ちたためとされています。

なお、1800年代後半に、22世・正覚泰運大和尚の住持の時に修復再建されました。その後は、内部に安置されている仁王像の修復工事なども随時行われ、現在見るように両側に袖が付く形になりましたのは、26世・禅岳敬洲大和尚の時です。



左右の金剛力士像です。左側が口の形を「吽」にしている密迹金剛で、右側が口の形を「阿」にしている那羅延金剛です。



山門の中央に懸かるのが、当山の山号である「満福山」の扁額です。当時大本山永平寺副貫首(後に貫首)であられた、山田霊林禅師に揮毫していただきました。

開山和尚並びに歴代住職名

2009-12-05 17:43:26 | 寺院紹介
宮城県栗原市花山にある満福山城國寺は応永元年(1394)に開山されました。開山和尚並びに歴代住職名は以下の通りです。なお、掲載している年月日は確認できている示寂の年月日です。

開山 竺室良厳大和尚(応永17年[1410]4月23日) 山形・向川寺4世
2世 林岳良茂大和尚(永享9年[1437]2月2日)
3世中興 通安玄達大和尚(文正元年[1466]7月1日) 宮城・洞雲寺開山
4世 壹天梵朔大和尚(永正17年[1520]4月22日)
5世 玉貞玄佐大和尚(天正10年[1582]12月14日)
6世 玉泉薫流大和尚(寛永19年[1642]4月1日) 宮城・増興院開山
7世 厳英(機覚)心岩大和尚(元禄5年[1692]3月3日) 大梵鐘鋳工(太平洋戦争時に供出)、大乗寺・卍山道白禅師の鐘名
8世 如山珠元大和尚(享保9年[1724]4月22日)
9世 雲林慧照大和尚(享保19年[1734]4月18日) 大本山總持寺伝法庵輪住(享保13年)、八代将軍吉宗より時服拝領
10世 古山寂門大和尚(延享4年[1747]4月16日)
11世 独鳳丹嶺大和尚(明和5年[1768]11月2日)寛延元年[1748]仁王門建立(現存)
12世 僊海東洲大和尚(明和8年[1771]3月27日)宮城・松音寺に転住
13世 天界東曦大和尚(安永2年[1773]11月27日)本尊・如意輪観音を安置、山内に現存する木版の揮毫
14世 金江祖麟大和尚(安永4年[1775]3月13日)總持寺輪住(明和7年)
15世 雲山円瑞大和尚(天明3年[1783]11月6日)天明元年(1781)本堂・庫裏を再建。本堂は現存。
16世 少山大林大和尚(寛政7年[1795]7月27日)山形県内寺院へ転住
17世 橘柚江南大和尚(文政11年[1828]4月18日)本堂内半鐘を購入
18世 方山万孝大和尚(文化14年[1817]4月5日)總持寺輪住(文化13年)
19世 禅海寛道大和尚(天保4年[1833]10月26日)観音堂を新築・開眼
20世 依宗門龍大和尚(天保14年[1843]12月8日)
21世 無学宣法大和尚(嘉永7年[1854]11月15日)『大般若経』600巻を購入
22世 正覚泰運大和尚(明治3年[1870]10月9日)總持寺輪住(安政3年[1856])、仁王門再建
23世 観光笑山大和尚(明治21年[1888]9月6日)大授戒会修行(戒師・仙台泰心院当住)
24世 天然鶴雄大和尚(明治44年[1911]8月15日)
25世 雄山十洲大和尚(昭和20年[1945]12月10日)
26世再中興 禅岳敬洲大和尚(平成15年[2003]2月10日)本堂修復・庫裡新築・観音堂再建・鐘楼再建・仁王門修復・庫裡門再建
27世 現住


他にも、名前が山内には残されていないものの、さまざまな記録から可山洞悦大和尚(仙台・泰心院に転住、1637~1707)が、1682年より前まで住持をしていたとされる。