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満福山城国寺

宮城県栗原市にある曹洞宗の満福山城国寺のブログです。

宮城県栗原市花山にある城国寺のブログです

2035-01-16 16:29:34 | トップページ
満福山城国寺は、応永元年(1394)に山形県大石田にある向川寺4世・竺室良厳禅師によって開かれた曹洞宗の寺院です。

住所:987-2512 宮城県栗原市花山草木沢宿34
メール:tenjin95@outlook.jp(副住職のメアドです)

・【城国寺の歴史】
・【城国寺の歴代住職
・【城国寺の伽藍・建物
・【城国寺の四方山話
・【旧・花山村とは】

大正5年『大日本寺院総覧』における​城国寺の紹介

2024-08-30 18:29:17 | つれづれの一言
曹、三法、満福山、栗原郡花山村に在り。旧と能州總持寺末に属し、羽州黒滝向川寺派にして、竹室良厳和尚開山の地なり。往古、坊沢と称する地に在りて浄泉院と号し、狩野兵庫頭為直の牌寺なりしが、慶長年中、本邑を遠藤式部玄信に賜ふや、当寺亦此地に転じ、玄信の法諡を取て今号に改むといふ。
    堀由蔵編『大日本寺院総覧』明治出版社・大正5年、1856頁

明治初めの断髪式

2023-02-27 12:07:03 | 草木国土悉皆成仏
栗駒町誌編纂委員会編『栗駒町誌』(栗駒町・1963年)には、以下の事績が書かれている。

一八六九(明治二) ◯散髪廃刀許可、城国寺で断髪式を行う 『栗原郡誌』、『栗原町誌』186頁

なお、詳細についてはまだ不明であるが、当山を菩提寺としていた武士階級の方々のことかとも思っている。

城国寺開創について

2022-06-21 13:17:13 | 寺院紹介
満福山城国寺は、応永元年(1394)に山形県大石田にある向川寺4世・竺室良厳禅師によって開かれた曹洞宗の寺院です。

ただし、残念ながらこのことを客観的に示す文献史料などがあるわけではありません。

分かっているのはご開山さまのお名前と、開基とされる方(狩野氏)のお位牌が当山山内に残されていることくらいです。

そのお位牌の関係から、当寺は当初「晟泉院」という名前だった可能性も指摘されており、おそらくは現在地とは別の場所に存在していたと思われます。

しかし、戦国時代が終わり、伊達家の仙台藩が現在の宮城県と岩手県の南部地域を領するにあたり、その奉行であった遠藤氏が現在の栗原市花山地域に入り、当山を現在地に移転し改名したようです。

それは、歴代の遠藤氏のお位牌からも明らかです。

なお、遠藤氏より前に当山が存在した理由として、元禄年間に当寺の梵鐘に鐘銘をお寄せいただいた加賀大乘寺27世・卍山道白禅師が当山のことを「大徹派下の古禅刹なり」と書かれ、これはご本寺・向川寺さまとの関係を端的に示すとともに、開創時期の古さを示すものとして理解しています。

城国寺の四方山話(1)

2021-10-21 15:48:49 | 寺院紹介
当山のある宮城県栗原市と、隣の大崎市を繋ぐ道路の一つに、「小僧峠」があります。

当山では昔から、「小僧峠」という名称は、当山にいた小僧さんが、山姥から逃げてきた「三枚のお札」説話に基づき、御札によって峻険な峠が出来た、という話を受け継いできました。

もちろん、本当か嘘かは分かりませんが、伝承があったということのみは伝えておきたいと思います。

なお、小僧峠の反対側には、同じ曹洞宗の花岳院さまもあります。峠への距離は同院の方が近いですので、もしかしたら、当山ではなく同院で伝えていた話なのかもしれません。

明けましておめでとうございます(平成30年度版)

2018-01-02 11:50:46 | トップページ
檀信徒の皆さま、そして宮城県栗原市花山地区にお住まいの皆さま、明けましておめでとうございます。

今年は、2018年です。当山が開創されて624年目となります。

本年も檀信徒各家の皆さまのご多幸と、ご先祖さまの安寧を心よりお祈り申し上げます。

坐禅会を開催しました

2016-08-20 15:50:37 | 寺院運営について
当山がある旧・栗原郡花山村には「花山少年自然の家」がありますが、そこを利用される方々から、坐禅会を依頼されることがあります。今回は仙台青年会議所の方々に協力し、当山の本堂にて坐禅会を行いました。40名近いお子さんが参加されました。


当山副住職監修の書籍が出ました

2016-08-17 20:25:51 | つれづれの一言
当山副住職監修の書籍が刊行されました。

『ねこ禅』角川書店

好評発売中です。

どうぞお手に取ってみて下さい。

困っている人に対して僧侶はどう応対すべきか?

2014-01-16 16:41:00 | 『正法眼蔵随聞記』
夜話ニ云ク、若シ人来ツて用事を云フ中に、あるイは人に物を乞ヒ、あるイは訴訟等の事をも云はんとて、一通の状をも所望する事出来有るに、その時、我レはなり、遁世篭居の身なれば、在家等の人に非分の事を謂ハんは非なりとて、眼前の人の所望を叶へぬは、その時に臨ミ思量すべきなり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-16


道元禅師の時代には、「出家遁世」した人のことをと呼びました。要するに、一切の世俗に関わらない人のことです。ところが、僧侶で様々な学問を積んだ人もおりましたので、世俗の人から物事を頼まれることもありました。

道元禅師は、自分が出家遁世しているとしても、そのような依頼に対して、全く応えないということは極端なので、その時々の状況を考え、必要であればその依頼に応えていくべきだとしたのです。

結局、困っている人に、積極的に手を差し伸べるべきだとは書いていませんが、助けを求めて伸ばしてきた手を振り払うようなことはしてはならないというのです。

自殺者が4年連続で減少 前年に続き3万人切る

2014-01-16 16:26:28 | つれづれの一言
<自殺者>4年連続で減少…前年に続き3万人切る(毎日新聞)-Yahoo!ニュース

警察庁と内閣府は16日、2013年の自殺者数は前年より663人(2.4%)少ない2万7195人(速報値)だったと発表しました。減少傾向は4年連続で前年に続き3万人を下回っています。

一方、東日本大震災に関連する自殺と判断された人は11月末までの統計で前年1年間を上回る36人となり増加に転じており、内閣府は原因などを分析し、確定値として3月に公表するようです。

多くの要因がある自殺ですが、その減少のために多くの人々が努力しています。その結果の3万人切りです。ただ、人数の総体が問題では無く、やはり、生きにくい社会を、少しでも生きやすいように変えていくことが肝心だと思います。