徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2011 京都紅葉  圓徳院

2012-01-24 00:06:36 | 京都散歩
12月4日(日) 家族が帰ってから 夕方から東山の夜間特別拝観の寺院に出かける。圓徳院と高台寺。 この日が夜間特別拝観の最終日だからだ。
地下鉄東山を出てから青蓮院の前を通りかかるとやはりここも夜間特別拝観の開門を待つ人の行列が出来ていた。知恩院夜

間拝観をやっていないので門が閉まり暗くひっそりとしている。円山公園を抜け、圓徳院へ。小さな寺院のせいもあるが、

行列はなかった。18時。

ここに入るのは2回目で初回は6月の午後だったかな。どこぞやらのクレジットカードのプレミアム会員だかなんやらになっ

ていると、ここをサロンとして使えるらしく、F氏の計らいで無料のお茶の接待を受けることが出来た。




豊臣家の家紋ですかね

さて 昼間と夜のライトアップされた画像の比較も織り込みながら・・

南庭


徳村宗悦氏作


白砂が緑に照らされて・・紅葉とのコントラストも綺麗













次に
北庭(国名勝指定)
左右に広がる眺望。中央のやや左に三尊石組が見られる。ほとんどの石は伏見城から搬入したものでかなりの量になる
三尊石組:石組みの基本的な構成で、三尊仏のように中央に高い石、左右に低い石を配したもの

もともと伏見城 北政所 化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的な庭園のひとつである。賢庭作で 後に小堀遠州が手を加えた。池泉回遊式だが枯山水となっている。原点となるのは東北部で、枯滝石組を構成し、築山を中心にして左右に多数の石組を二等辺三角形にまとめて数群展開させ、あるいは蓬莱石などを作る。
(池泉にかかる数個の橋は見事な巨石をあてているが、その厚さからくる迫力はこの庭の特筆すべき点でもあろう)このように多数の巨岩大岩がふんだんに置かれている庭は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さである。(パンフより)



橋石組:板石、橋台,橋脚石などによって橋を表現したもの。枯山水庭園での重要アイテム  巨石を使った豪勢なもの

瀧石組:自然の瀧のように組んだ石組で、滝身の部分の『不動石』、滝壷部分の『水受石』などで構成される




何か幽玄さが漂う










ここで日本庭園の解説を・・
wikiから引用
○枯山水
(かれさんすい/かれせんずい)とは日本庭園や日本画の様式・風のひとつである。
枯山水は水のない庭のことで、池や遣水などの水を用いずに石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式。例えば白砂や小石を敷いて水面に見立てることが多く、橋が架かっていればその下は水である。石の表面の紋様で水の流れを表現することもある。
抽象的な表現の庭が室町時代の禅宗寺院で特に用いられ発達した


○池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)
江戸時代に発達した日本庭園の一様式。大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現した。園路の所々には、散策中の休憩所として、また、庭園を眺望する展望所として、茶亭、東屋なども設けられた。





圓徳院(えんとくいん)は、京都市東山区にある高台寺(臨済宗建仁寺派)の塔頭のひとつ。本尊は釈迦如来。名勝庭園と、豊臣秀吉の正室・高台院(北政所ねね)が晩年を過ごした寺として知られる。慶長10年(1605)、ねねが移り住み、77歳で没するまで19年間ここで余生を送った。

前には八坂神社から清水寺へと続く石畳の道があり、ねねの道と名づけられている。



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