徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

足尾 小滝・猿田彦神社

2016-11-01 11:59:59 | 足尾/足尾銅山
備前楯山から降りてきた後、銀山平経由で小滝の集落跡を通る。
銀山平のかじか荘から少し下ったところに、猿田彦神社がある

親戚の人から、曽祖父の名前が灯篭に刻まれていると聞いていたので寄ってみることした

山の中の一軒の温泉宿、かめむら旅館別館の裏手にある。
庚申側にかかる橋を渡り、崖に建っている旅館、足尾の松原にある別館で民家のような佇まい。客室は6部屋。
宿の敷地が通り道になっていて、神社へ行くには、玄関を通り過ぎて右手へ進む


猿田彦神社は、小滝坑の採掘が盛んだった頃から大切に祀られてきた由緒ある山神社。
例祭があったようでたくさんののぼり旗が上がっていた。 小滝抗廃坑後、ほとんど民家がないこの地域で鎮座しているのは
宮司さんと参拝者がいるからだろう
途中、両脇に灯篭があったが新しくなっていて、名前は刻まれていなかった


猿田彦神社
日光を開山した勝道上人が庚申山奥の院に神霊を祀ったことがはじまりで、神道では庚申の神を猿田彦神としています。(庚申の「申」が、「猿」と結びつけられたものです)江戸時代末期が隆盛期で、庚申講中の参拝で賑わい、宿坊には多数の参拝者が宿泊していました。そのため、道標や石碑などの遺跡も数多く残っています。昭和21年、神社の本殿である百畳敷のお籠は野火により焼失してしまいましたが、焼跡近くの庚申山荘内に本殿が、小滝坑山神社跡に遥拝殿がある。神社の由緒は以下の通りです(案内板より)。
「当社は、明治23年(1890)に小滝坑の山神社として坑夫により建立されたが、昭和29年小滝坑廃止のさい、奉祀する三神を本山山神社に合祀した後、猿田彦神社の遥拝殿となった。本社は勝道上人が難行苦行の末、庚申山奥の院に神霊を祀ったときに起り、今は三尊像を祀る庚申山荘内小祠が本殿である。


当神社は庚申山を霊神の座す御山として、古来庚申ノ神降臨の浄域にして尊崇せられ神護景雲年間(今より千二百年余前)天台の僧勝道行者、光嶺を目指し難行苦行を修し神秘を開かんとす。また、滝沢馬琴の小説「南総里見八犬伝」中庚申山怪猫退治の章では奇岩怪石、霊域の神秘を広く紹介される。
以来、庚申講中登拝者ひきもきらさず。


神社両脇の狛犬の台座に名前が確認できた


左側の石の台座に曽祖父の名前が刻まれていた。
父方の曽祖父は 生野銀山から明治14年に足尾にやってきた男五人兄弟の三男で、記録によると明治22年から大正5年ごろまで
小滝抗支柱九号飯場の頭役だったらしい。 皮肉にも曽祖父の名前を知ったのは、父の没後、仏壇の位牌を整理した際に中から先祖の戒名俗名、亡くなった年月日が書かれた木札が出てきたことによるものだった。明治23年(1890)に小滝坑の山神社として坑夫により建立された、という事なので
足尾銅山の小滝抗ノ安全発展を願って、当時小滝抗の飯場頭や抗夫の寄付により、建立されたものなのだろう。明治22年の飯場は1から10号までだったが、小滝抗最盛期の明治四十年ごろには2~24号までの他、出身地の名前を付けた飯場が十五程あったようだ


台座には、古河足尾銅山  九号飯場 の刻印も確認できた






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