徒然なる写真日記

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宇都宮戦跡巡り~ 第14師団史/野砲兵第20連隊、輜重兵第14連隊、騎兵第18連隊

2016-07-27 21:18:27 | 自衛隊基地祭他ミリタリー関連
第14師団史 (wikiより引用

明治・大正期
1907年(明治40年)9月 - 第14師団の衛戍地が栃木県宇都宮(河内郡国本村)に決定し、第14師団司令部が設置される。また佐倉歩兵第2連隊と習志野歩兵第59連隊が宇都宮第14師団水戸歩兵第27旅団、また高崎歩兵第15連隊と宇都宮第66連隊(新設)が宇都宮第14師団宇都宮歩兵第28旅団隷下となる
1908年(明治41年)
10月23日 - 師団司令部が宇都宮の新庁舎に移転
この年 - 歩兵第28旅団司令部、騎兵第18連隊、満州野砲兵第20連隊、輜重兵第14連隊が宇都宮への移駐を完了する。
1909年(明治42年)5月 - 歩兵第59連隊が宇都宮への移駐を完了する。
1919年(大正8年)4月 - シベリア出兵のため派遣される。
1920年(大正9年)5月 - ニコラエフスクで守備を行っていた水戸歩兵第2連隊第3大隊と一般市民が過激派によって虐殺される事件、いわゆる「尼港事件」
1925年(大正14年)3月 - 宇都宮歩兵第66連隊が廃止され、松本歩兵第50連隊が第14師団歩兵第28旅団の隷下となる。歩兵第27旅団司令部が水戸から宇都宮へ、歩兵第28旅団司令部が宇都宮から高崎へ移動となる。
1927年(昭和2年)4月 - 満州の旅順に出征する。
1928年(昭和3年) - 青島、済南、奉天を転々とする。
1929年(昭和4年) - 帰還する。
1932年(昭和7年)
3月 - 第一次上海事変に関東軍隷下で参加。
5月 - 満州事変が起こり北満に転戦する。水戸歩兵第2連隊第2大隊は熱河作戦に就く。
1934年(昭和9年) - 帰還する。

大陸戦線
1937年(昭和12年) - 盧溝橋事件が起こり日中戦争が始まると師団は華北戦線に投入され、永定河渡河作戦に就く。その後、保定、山西、徐州と転戦する。
1938年(昭和13年) - 4月には、留守第14師団から第22師団(編成地は宇都宮、補充担任は仙台師管区。)が編成された。
1939年(昭和14年) - 帰還した後、満州への移駐が計画される。
1940年(昭和15年) - 斉斉哈爾に移駐する。
1940年(昭和15年)8月 - 三単位師団へ改編、松本歩兵第50連隊は帰還して第29師団の隷下となる。同年8月から師団の衛戍地は満州となって永久駐屯することになり第51師団が編成されたが、第14師団の補充地は宇都宮のままだったので、除隊後に宇都宮に帰郷した兵達が、満州の食文化である焼餃子を地元に広めたといわれている。
1941年(昭和16年)9月 - ノモンハン南のハンダガヤに移駐する。

太平洋戦線
太平洋戦争が始まると、1943年(昭和18年)に大本営が策定した絶対国防圏の防衛のため満州駐剳師団が南方へ転用されることとなり、師団はパラオ諸島へ向かった。転用の際に大規模な改編が行われており、砲兵連隊・捜索連隊・工兵連隊・輜重兵連隊が解体されたかわりに各歩兵連隊が増強され、師団戦車隊や師団海上輸送隊が編合された海洋師団と呼ばれる編制になっている。ただし、配備予定の機関砲中隊などは輸送途上で失われ、独立工兵第22連隊を改編した師団海上輸送隊も、合流できないまま西部ニューギニアで活動した。
師団は主力をパラオ本島に、歩兵第2連隊(およびその配下に編入された歩兵第15連隊第3大隊)をペリリュー島に、歩兵第59連隊第1大隊をアンガウル島に配備した。ペリリュー島・アンガウル島の部隊は上陸したアメリカ軍と交戦して全滅し、ペリリュー島への逆上陸を強行した歩兵第15連隊第2大隊も壊滅、パラオ本島に残る師団主力も地上戦は無かったものの空襲と飢餓で多くの損害を出しながら終戦を迎えた。
1944年(昭和19年)
4月24日 - パラオに出兵する。宇都宮歩兵第59連隊や高崎歩兵第15連隊等の師団主力をパラオ本島のバベルダオブ島、水戸歩兵第2連隊および高崎歩兵第15連隊第3大隊等の守備隊(約10,000名)をペリリュー島、宇都宮歩兵第59連隊第1大隊(約1,200名)をアンガウル島に配備する。
9月 - 日本軍への作戦協力を申し出るペリリュー島の原住民約200名を、米軍の強襲前に島外へと退避させる。
9月15日 - 米軍第1海兵師団(ルバータス少将配下の約28,000名)がペリリュー島南西海岸からの上陸作戦を開始、守備隊の水戸歩兵第2連隊第2大隊(富田隊長配下の約650名)と高崎歩兵第15連隊第3大隊(千明隊長配下の約750名)等が応戦する。
9月16日 - 米軍がペリリュー島の飛行場設備を制圧、富田隊長および千明隊長が戦死。
9月17日 - 米軍第81歩兵師団(別称・山猫部隊など約21,000名)がアンガウル島への上陸作戦を開始、宇都宮歩兵第59連隊第1大隊等(後藤隊長配下の約1,200名)が応戦する。
9月19日 - 米軍がアンガウル島の中心部を制圧、これ以降はゲリラ戦となる。
9月22日 - 歩兵第15連隊第2大隊(飯田隊長配下の約1,200名)がペリリュー島への敵前上陸を敢行、約500名がペリリュー島守備隊に合流する。
10月19日 - アンガウル島でゲリラ戦を展開してきた後藤隊長以下守備隊100名余が夜襲を決行して戦死、アンガウル島守備隊は全滅する。日本に生還したのは約50名。
11月24日 - ペリリュー島の中川州男守備隊長(歩兵第2連隊長)が軍旗を奉焼して自決する。ペリリュー島でゲリラ戦を展開した歩兵第2連隊および第15連隊等の守備隊が全滅。日本に生還したのは米軍捕虜等となった約500名。
1945年(昭和20年)8月15日 - 主力部隊はバベルダオブ島で終戦を迎える。




戦後、軍用用地は大変貌
「軍道」の西部に広大な土地を占めていた軍用地は、軍の解体に伴って大きく変化した。
その多くは、戦後の教育制度改革と相まって多くの教育施設(学校)の移転や公共施設の新設、また一部は
復員兵士の開拓地、民間企業や市営住宅地となった。

騎兵第18連隊、輜重兵第14連隊 >>作新学院(幼稚園、小、中、高校)
糧抹倉庫  >>県農協会館>>現在 空き地
野砲20連隊  >>宇都宮学園(現 文星芸大附属高、中学校)、宇短大附属高、県営住宅、普恵園、トライアル 等
兵器廠  >>日本専売公社>>須賀学園教育会館、宇短附グラウンド、県立博物館、中央公園 等
衛成監獄  >>労働基準局>>宇都宮少年鑑別所


昭和22年 航空写真(米軍撮影)


平成28年現在



輜重兵第14連隊と騎兵第18連隊

現在の作新学院校地内の北半(男子部) に輜重兵第十四大隊、南半(女子部) に騎兵第十八連隊の兵営が
あった。
二つの部隊は、すべての点で対照的であった。輜垂兵は前線に輸送・補給する食糧や被服・武器・弾薬などの
軍需品を受け持つ、いわば師団の裏方であったため、輸送にあたる馬は駄馬であった。対する騎兵は歩兵に準じる火力装備・
乗馬・機槻化部隊とを持ち、その機動力を重視した俊足速攻を身上とする部隊であった。そのため将兵の服装にも大きな差があった。


輜重兵第14連隊


騎兵第18連隊


昭和22年 の兵営地 航空写真



野砲兵第二十連隊

野砲兵第二十連隊は、明治四十一年 (一九〇八)十一月、兵営に移ってきた。
現在の文星高校(宇都宮学園)・宇都宮短大附属高校・県営睦住宅・普恵園・トライアル(以上睦町) などの地である。
 この部隊は第十四師団の誕生とともに、九州の小倉で生まれ、日露戦争にも出兵した経験を有した。
このため古参兵は大半が九州・関西方面の出身者で、重兵器を扱う関係からがっしりした大男で気性が激しかった。
その上九州弁・関西弁で話すため、本県をはじめ関東各県の初年兵は大変苦労し、骨の髄まで野砲兵魂をたたき込まれたという。
野砲兵第二十連隊の南隣に兵器支廠 (武器弾薬倉庫) があった。現在の中央公園\県立博物館、の位置である。
大量の弾薬類を抱えていたので警備に神経を使い、警備は歩兵第五十九連隊と第六十六連隊の部隊が担当した。
特に宇都宮は夏場に雷の多い地であるから、その誘爆を恐れ、広い第十四師団の中でも一番嫌われた所であった。


昭和22年 の兵営地 航空写真


現在 旧 鹿沼街道を桜通りを抜け、さらに東に進むと途中から道路幅が狭くなっている箇所がある
これは野砲20連隊等が 行軍した後、兵営地に入る際1度、部隊を点呼整列するために道路を広くしたということだ




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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
写真の借用のご相談について (鈴木章弘)
2018-07-12 17:49:49
協同組合宇都宮餃子会の鈴木と申します。突然のコメント失礼いたします。現在、陸軍第14師団関連の写真を探しております。こちらのブログで使われている写真をお借りすることは可能でしょうか?またはどちらか貸していただける元をご紹介いただくことは出来ますでしょうか?何卒お教えいただけますようお願いいたします。
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写真の借用の件 (Unknown)
2018-07-13 01:46:22
記載の写真は透かし文字が入っているのでこのまま使用はNGです。スキャンした写真データは2年前の記事なのでPCより削除してしまいました。市立図書館で14師団の書籍を検索してみてください。どの本か忘れてしまったのですが・・下野新聞社:激動の50年~目で見る昭和史 や 日本陸軍の精鋭:第14師団史 等にあるんじゃないかと・・
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御礼 (鈴木章弘)
2018-07-13 09:21:11
ご丁寧なお返事ありがとうございました。現在下野新聞社および自衛隊宇都宮駐屯にもお伺いしておりますが、早速市立図書館へ行ってみます。ありがとうございました。
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