NPO法人足尾歴史館は、「足尾ガソリン軌道・歴史館線」という名の元、かつて足尾の街を走り、"ガソリンカー"と呼ばれていた機関車の完全復興を目指し、2010年に完全復元した。
ガソリンカーの運行状況:毎月第一土曜・日曜 歴史館の入館料350円で乗ることができる。歴史館は冬期は休業
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/03/833d3357474239fcc26d7d71c4c9c1f1.jpg)
かつての足尾銅山馬車鉄道
足尾銅山周辺に敷設されていた軌間610mmの鉄道で、明治期の開業時の動力は馬、大正末期にガソリン機関車に変わる。1895年(明治28年)9月に開業。1925年(大正14年)にガソリン機関車を導入し、動力が馬からガソリン機関車に変わる。小瀧(小滝)- 赤倉(あかくら)間の約20kmの「トロ道」と呼ばれた区間を10 - 15km/hで走る。町民や銅山資材の運搬に活躍した。この区間の列車本数は1日15本
明治20年代の馬車鉄道。足尾の渡良瀬付近。昔は馬がたくさんいた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/75/cca84a3f2ca814a746e0e1e2ef16fe74.jpg)
大正14年、当時の占河虎之助社長が来山したおりにガソリンカー第一号車が走った。その時の写真
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c2/812d91d0fce3082c84b1555fda75e2c8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/68/665a6647c93a2b5148fc265de03ac08e.jpg)
ガソリンカー軌道は本山製錬所から通洞、そして下の地図には記載が省かれているが、銀山平手前の小滝までの約20km
また、神子内側に沿って柏木平方面にも延びていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/4a/6e8102b8537b69d69d6982292d8eea55.jpg)
尋常高等小学校卒業の昭和15年あたりまで足尾で過ごした父は、テージーと呼ばれて足尾町民の重要な足だったと言っていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/59/6b1ebc5711aa42c0e284d651cedad2be.jpg)
上間藤あたりだろうか
ガソリン機関車が客車を牽引して走り、「ガソリンカー」とも、また、時間が正確なことから「定時」、機関車の外観から「ひょっとこ」とも呼ばれて親しまれた。1953年(昭和28年)に輸送手段がトラックやバスに取って変わり、本鉄道は廃線となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9a/95c68b9718576150402a283d1fa32c27.jpg)
小滝路の宇都野のカーブでよく脱線して、乗客が木の棒でもとに戻した、という話も残っている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/88/471c6115398ec97bea21a873011a551a.jpg)
当時、T型フォードを改造して作られたというガソリンカー
保存車両はなく、写真と設計図を元に忠実に復元したそうで、そのエンジンは現役当時とおなじ米フォード社製を探して入手したそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/9c/1cefa6bb921ba2df4d0878d3ec62c238.jpg)
フォード製エンジンは約70年前のもので、排気量3285cc、出力40PS。このエンジンを見つけ出すまでに1年以上の歳月を要したとの事。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/9b/8de5bbdd7ec69184b6e743a374b5ac51.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/d5/c13845727c6d1da395d11fecf9017582.jpg)
後部の客車も同じく現役時代のものを忠実に復元したもの全長 2260mm、全幅 1240mm、高さ 2100mm
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/67/ae34234664fad4d246221a4f63469888.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/9f/dc6059cc8d0d14dcee994228738e967c.jpg)
馬車鉄道の軌間610mmを使ったのでかなり狭い。しかし内側木製でかなりレトロな雰囲気がよく出ている。定員14-15人、車重3t
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ac/a43c5bbbcb788ed2ecc307e42224c404.jpg)
車体に描かれているヤマイチマークは、鉱山業一筋の意味をこめたもの
足尾銅山を明治期に開発した古河グループの操業者・古河市兵衛が、1877年に鉱山業に専念すると決めた際に制定したマーク
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/dd/f029b678133f1915d8259b75aa23a1d9.jpg)
他にも、全国の鉱山などで使われていたレトロな車両、トロッコ等が保管されている。1部レストア中
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/58/2ffffaf8a5d5487d9d5dc20a87abf71d.jpg)
これは動態保存の様だ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/11/4fb71806f16aaae4da410e49b6bb0898.jpg)
客車はどこかの遊園地にあったものを持ってきたらしい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/96/bf584b75fedb3dbe00217b7f7b0bb443.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/c3/c1e1311e8f46bc8bb2400fb6fd898d5c.jpg)
トロリー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/76/d15013711e29e1500118ebde9b11915a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/9d/e1bc773627675c51148fdccc06c5c1de.jpg)
鉱石運搬用のトロッコを引っ張る車両も
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/53/6e577cf251285f3a08a271cce7cf33b0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/b5/7686321ec740d3a78c54ea2a5fbb470d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/a3/e00b743334c5f9116a2512aab2c15372.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/29/25ac9f17a8faad85dc75c9926bec201b.jpg)
動態保存車として KATO4t機
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/f1/7cb9045f5e7972eb3fdd5b15a53310d9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/e8/e024b19e2d19c93eea14f930abde5913.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/dd/2b71940f775d060e4dc5ba86fb1aa107.jpg)
鉄道信号機もレストア中
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/d4/6e6d2646b2fab21c951ca7b8af600bf2.jpg)
これは足尾銅山通洞抗で実際に使用していた鉱石運搬台車らしい。木台が朽ちているが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/43/c9d1912ae9068de13fef6b4053bc2ecb.jpg)
レストア中
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/5f/ab87f7eb7851f6ea96fbe98e2ed76a7b.jpg)
大正時代はじめの通洞抗の写真。トロリーに引っ張られる鉱石の搬送台車
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/d6/19cf257ff02bd3712fac9d5b7b838125.jpg)
ガソリンカーの運行状況:毎月第一土曜・日曜 歴史館の入館料350円で乗ることができる。歴史館は冬期は休業
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かつての足尾銅山馬車鉄道
足尾銅山周辺に敷設されていた軌間610mmの鉄道で、明治期の開業時の動力は馬、大正末期にガソリン機関車に変わる。1895年(明治28年)9月に開業。1925年(大正14年)にガソリン機関車を導入し、動力が馬からガソリン機関車に変わる。小瀧(小滝)- 赤倉(あかくら)間の約20kmの「トロ道」と呼ばれた区間を10 - 15km/hで走る。町民や銅山資材の運搬に活躍した。この区間の列車本数は1日15本
明治20年代の馬車鉄道。足尾の渡良瀬付近。昔は馬がたくさんいた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/75/cca84a3f2ca814a746e0e1e2ef16fe74.jpg)
大正14年、当時の占河虎之助社長が来山したおりにガソリンカー第一号車が走った。その時の写真
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c2/812d91d0fce3082c84b1555fda75e2c8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/68/665a6647c93a2b5148fc265de03ac08e.jpg)
ガソリンカー軌道は本山製錬所から通洞、そして下の地図には記載が省かれているが、銀山平手前の小滝までの約20km
また、神子内側に沿って柏木平方面にも延びていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/4a/6e8102b8537b69d69d6982292d8eea55.jpg)
尋常高等小学校卒業の昭和15年あたりまで足尾で過ごした父は、テージーと呼ばれて足尾町民の重要な足だったと言っていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/59/6b1ebc5711aa42c0e284d651cedad2be.jpg)
上間藤あたりだろうか
ガソリン機関車が客車を牽引して走り、「ガソリンカー」とも、また、時間が正確なことから「定時」、機関車の外観から「ひょっとこ」とも呼ばれて親しまれた。1953年(昭和28年)に輸送手段がトラックやバスに取って変わり、本鉄道は廃線となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9a/95c68b9718576150402a283d1fa32c27.jpg)
小滝路の宇都野のカーブでよく脱線して、乗客が木の棒でもとに戻した、という話も残っている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/88/471c6115398ec97bea21a873011a551a.jpg)
当時、T型フォードを改造して作られたというガソリンカー
保存車両はなく、写真と設計図を元に忠実に復元したそうで、そのエンジンは現役当時とおなじ米フォード社製を探して入手したそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/9c/1cefa6bb921ba2df4d0878d3ec62c238.jpg)
フォード製エンジンは約70年前のもので、排気量3285cc、出力40PS。このエンジンを見つけ出すまでに1年以上の歳月を要したとの事。
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後部の客車も同じく現役時代のものを忠実に復元したもの全長 2260mm、全幅 1240mm、高さ 2100mm
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馬車鉄道の軌間610mmを使ったのでかなり狭い。しかし内側木製でかなりレトロな雰囲気がよく出ている。定員14-15人、車重3t
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ac/a43c5bbbcb788ed2ecc307e42224c404.jpg)
車体に描かれているヤマイチマークは、鉱山業一筋の意味をこめたもの
足尾銅山を明治期に開発した古河グループの操業者・古河市兵衛が、1877年に鉱山業に専念すると決めた際に制定したマーク
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/dd/f029b678133f1915d8259b75aa23a1d9.jpg)
他にも、全国の鉱山などで使われていたレトロな車両、トロッコ等が保管されている。1部レストア中
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これは動態保存の様だ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/11/4fb71806f16aaae4da410e49b6bb0898.jpg)
客車はどこかの遊園地にあったものを持ってきたらしい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/96/bf584b75fedb3dbe00217b7f7b0bb443.jpg)
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トロリー
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鉱石運搬用のトロッコを引っ張る車両も
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動態保存車として KATO4t機
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/f1/7cb9045f5e7972eb3fdd5b15a53310d9.jpg)
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鉄道信号機もレストア中
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これは足尾銅山通洞抗で実際に使用していた鉱石運搬台車らしい。木台が朽ちているが
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レストア中
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大正時代はじめの通洞抗の写真。トロリーに引っ張られる鉱石の搬送台車
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