第三の青春-じろさん本舗

地域デザイン、エコツーリズム、山芋四方山話
田舎暮らし奮戦記! じろさん本舗プレゼンツ

文人・画人の〝歩き〟を考察してみました(遊歩のススメ)

2022年01月25日 | ■遊歩資料アーカイブ
ひとアイコン

 本年公開された映画「HOKUSAI」では、己の描くべき画は何たるかを求めて、若き北斎はあてども無い流浪の旅に身をおきます。ある日、行き倒れるようにしてたどり着いた砂浜で、眼前に広がる大海原の荒波と出会うのです。そして、これからの北斎の作品の中に往々に現れるあの無数のエネルギーを内包した大波のモチーフ(グレートウェーブ)の力強いイメージを発見するというシークエンスがありました。
 若い頃の直接資料が少ないこともあって、この頃の北斎の足跡、クリエイターとしての葛藤や悶々とした思いなどは想像するしかありません。が、やはり新しい刺激や出会い、思いもよらないモチーフなどを求めて、方々を歩き回ったり、行く先の定まらない旅に明け暮れていた時期もあったのかもしれません。映画の中ではそのターニングポイントを象徴的な展開で描いたのでしょうが、晩年の〝前へ前へ〟というパワフル爺さんぶりを見ていると、このような〝己たる画〟の何かを求めるために、流浪の旅に身を置くようなひ弱な〝歩きぶり〟はあまり想像はできません。

 芭蕉には「新しい俳諧の世界を切り開くために」という退路を絶った覚悟の〝歩き〟が必然でした。山頭火(私もそうですが)は、〝解くすべもない惑ひ〟を打ち払うために、やむなく己を放り出すような〝歩き〟に身をおきました。中也は感性のリズムを弾ませるために、ランボオは折り合いのつかない世の中から遁走するために〝途方もない大歩行〟を続けました。
 しかし、北斎の生涯を通してその画を眺めていますと、そんな己の〝歯がゆさを埋めるような歩き〟を、北斎が行なったとは私にはどうも思えません。全く勝手な想像ですが、北斎の〝歩き〟とは、それに何かを託そう、何かを求めたというようなヤワな歩きではなく、もっとシンプルで骨太な歩きであったと思います。雑駁に言うならば〝単なる生活の歩き〟と言い切ってよいのかもしれません。

「野ざらしを 心に風の しむ身かな」と、無常の身だからいつ旅の途中で死ぬかもしれない・・・などと芭蕉は詠んで、懸念をかかえながら一歩を繰り出しますが、80歳を越えた北斎は、前に紹介した「八の字のふんばり強し 夏の富士」と吐いて、どうだ元気だろうと気勢をあげ、峠道をドンドン登っていきます。「どうしようもないわたしが歩いている」などと弱音を溢しながら、とぼとぼ歩いている50歳手前でピンコロを願う山頭火などとは真逆、もう比べようもありません。(・・・葛飾北斎にみる傑出した〝ご長寿百歳遊歩〟より。続きは下記リンクから)

新ブログ〝遊歩のススメ〟では、先人たちの〝歩き〟にまつわるあれこれを考察しながら〝遊歩の正体〟に迫っていきます。ぜひご訪問くださいませ。(下記リンクは〝遊歩のススメ〟へジャンプします)

..● あてのない行乞流転の歩き・・・・「種田山頭火」
● どこまでも散歩大好き・・・・・・「中原中也」
● 謎めいた砂漠の大歩行・・・・・・「アルチュール・ランボオ」
● 覚悟のバックパッカー・・・・・・「松尾芭蕉」
● 傑出したご長寿百歳遊歩・・・・・「葛飾北斎」
● 我がバイブル〝遊歩大全〟・・・・「コリン・フレッチャー」
● 孤高のレジェンドを追いかけて・・「加藤文太郎」

〝山歩きはアートだ!〟十人十色の〝歩き〟が百人百様の人生を彩ります。
歩くというシンプルで根元的なアクティビティ、あなたの〝歩き〟に込められたものとは何でしょうか?
先人たちにみる〝遊歩〟を通して、今一度掘り下げてみまましょう!



お知らせ
キンドル出版にて、
山端ぼう:著つたなき遊歩・ブラインドウォーカー」を出版いたしました。

遊歩大全をバイブルとして六甲山を巡り歩いた老いた遊歩人とブラインドサイト(盲視)という不思議な能力をもつ全盲の青年とが、巻き起こすミステリアスな物語です。六甲全山縦走から穂高縦走へとつたなき遊歩が始まります。
続きは・・・


●〝歩き〟に特化した新しいブログを作りました。ぜひ、お立ち寄りくださいませ。

〝歩く〟ことの意味をトコトン深掘りしました


〝遊歩〟にオススメな厳選ハイキング・グッズ10選
その1、ライト編(LED革命、スマホはOK?)
その2、トイレ編(ポンチョ?携帯トイレ?)
・遊歩とは何か? 
・幸せは歩きの距離に比例する?
・孤高の人・加藤文太郎を追いかけて・・・
・戸惑いの〝歩き〟の正体
・あるく・のぼる・あそぶ・まう・おどる・うたう・えんじる
・ウォーキングは健全なる狂気?
・遊歩のステージ(舞台)に立つ
・一人歩く時ほど孤独より遠い?

山岳ミステリー小説「つたなき遊歩」キンドルから出版!

2019年09月23日 | ■遊歩資料アーカイブ
●出版に至る経緯〜

70歳を越えてからの就職は、じつに困難を極める(汗)。凡庸な技術や職歴はそれほど役には立たない(涙)。

ハローワークで年齢70と入力して「パート・アルバイト」で検索すると、出てくる求人票の多くは、よくて60歳で5年延長雇用がある企業がほとんど。建前上60、65歳以上はダメですと書けないので、対象年齢は「年齢不問」となっている。ホント、誠実さに欠けた記述です。実際10社強ほどの応募も全てアウトだった。
 そんな中でも、期間限定や時間制限のあるパートで70歳以上OKの求人がたまにある。「健康な方なら年齢不問」これぞ本当のシニア活力、人材再発掘の国の施策に沿うものなのだろうが、在住する地域(10〜15万の地方都市)では、職種が、警備・交通整理か清掃か、もしくは悪名高い介護である。悪名とは腰痛という職業病である。「高齢者にはキツイですよ」といわれ、腰痛・膝痛のある私の選択肢から消えた。他の職種においても大なり小なりだろう。実際に行ったバイトでは、一見、体力はなくても勤まるようでも炎天下、風雨、極寒となれば、高齢者の仕事として適しているとは言えない。まあ、ぜいたくは言っておれないがこれが「人生100歳時代」の現実だ。

己を商品化、自分の中にあるコンテンツとは


 私の場合も、自分の中にある商品性を探すことしかありませんでした。それがそこそこのコンテンツになるまで、何とかバイトで食いつなぐというのが目下の残されたか細い道筋と観念しています。DTP技術や画像処理という自負できていたスキルでも、進化スピードの速い子の時代では、もう若い人には勝てるものではありません。やはり、馬鹿みたいになって六甲山を歩いていた時代から、今に至るまで自分を支えていてくれた〝遊歩〟というところに特化して、そこをコンテンツ化するしかないだろうと思ってのチャレンジです。自分自身にある、また、あったストーリーをコンテンツ化するために、新しいサイトを立ち上げ、ミステリー小説の執筆を始めました。この作業は、就活と同時に終活でもあります。人生の終わりを飾るもであり、私の生命をソフトランディングさせるための作業と重なるものです。まず手をつけたのが、自分のいままでの足跡を家族らに残しておく。それも具体的な事実をつなげたものでなく、今まで生きてきた心気やプライド、拙くはあってもその想いを伝えておきたい気持ち、そして、自分が亡くなった後の諸々の処理もエンディングメッセージとして、そこに書き込んでおきました。

終活も、前向きに第四の青春としてみたい


 今までのブログのタイトルが〝第三の青春〟でしたので、新ブログ「遊歩のススメ」も〝第四の青春〟という位置つけで、決して後ろ向きな終活だけにはならないよう戒めている次第です。という訳で、古い記事や資料を修正したり、書き足しながら新ブログ「遊歩のススメ」へ移行中です。それと並行して、書き起こした自伝的小説をミステリー仕立てにして一本の小説にまとめてみました。出来上がった後、すぐに、すばる新人賞の応募が目についたので〝もしかして〟と期待を込めて投稿しましましたが、案の定、第一次審査で見事に落選、いわゆる下読みで落とされた訳です。これが自分のもつコンテンツの現実的な価値なんだろうと、恨む前に現状を再認識することになりました。小説家になろうという気はありませんが、確かにスキル的には及ばなったようです。ブログ記事やエッセーなどは数をこなしましたが、小説となればこれは別物です。書いている途中でも自分の語彙の劣化や表現能力の低さにイラつきました。齢70の限界でした。(この続きは新ブログ「遊歩のススメ」でお読みください

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〝遊歩〟にオススメな厳選ハイキング・グッズ10選
その1、ライト編(LED革命、スマホはOK?)
その2、トイレ編(ポンチョ?携帯トイレ?)
・遊歩とは何か? 
・幸せは歩きの距離に比例する?
・孤高の人・加藤文太郎を追いかけて・・・
・戸惑いの〝歩き〟の正体
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・ウォーキングは健全なる狂気?
・遊歩のステージ(舞台)に立つ
・一人歩く時ほど孤独より遠い?

六甲山・越年キャンプは終活遊歩になる?

2016年02月19日 | ■遊歩資料アーカイブ
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 ちょっと日が経ちましたが、気力体力チェックと称した「越年キャンプ」の報告をしておきましょう。(ログが途絶えると又、安否確認がきそうなので)

●自己の表出としての遊歩


 かつては毎年の恒例行事であった摩耶山(標高701m)でのお正月の越年キャンプ、今回は9年振りの参加となりました。大晦日に新幹線で新神戸、摩耶山登山後、黒岩尾根でキャンプ・初日の出を拝んで、天上寺初詣の後に下山、すぐ新幹線で帰路という弾丸ツアーとなり、正月の三ヶ日は快い筋肉痛をたっぷり味わいました。短い時間でしたが、古いメンバーとその家族たちと旧交を暖めることができたのは何よりの喜びでした。遊歩に乾杯!です。背負子で親父に担がれてこの正月遊歩に連れてこられていた幼子が、私の背丈を越えた立派な青年に! そりゃ〜歳も喰うはずですな。

 会を設立した当初は、満足な経験・知識や装備もなく、ただ単に寒さに耐える我慢比べのようなイベントでした。
本年も山頂にはご来光を待つ多くの人の中に、上半身裸でご来光をバックに(ユーチューブ用の撮影か?)ダンスを披露する元気な若者も居ました。思い返せば、こういった輩に近い気分(ちょっと傾いた感覚)だったのでしょう。それと高価な♯0のダウンシュラフにまだまだ手が出なかったことも大きな要因ですが。
 満足な専用のテントや装備もなく、中には家庭用の毛布を担いでくるメンバーもいました。それでもやはり真冬の山頂は寒い、眠れない。屠蘇用のお酒を全部飲み干して、酔いの勢いで寝てもすぐに寒さに叩き起こされる。結局は徹夜のような状態で、(恵まれれば)ご来光を拝み、その足で天上寺へ初詣した後は、メンバーそれぞれの出身地自慢のお雑煮をいただき、昼までに三々五々の解散です。
只これだけのことでしただが、やはりこの日でないと味わえない大切な遊歩会でのセレモニーだったようです。

 遊歩会は元々は、モダンダンスチームの山上パフォーマンスイベントから出発したサークルで、「歩く」ことを自身の表出とすべく、舞台を六甲山とした仲間が集った。大袈裟に言えば「歩きは芸術だ!」というような出発点からスタートしたもので、一般の山岳クラブやハイキングサークルとは一線を画していた。(とは言え新入会者は、皆んなただハイキングを楽しむ目的で参加していたと思いますが…)

●遊歩とは自分の中に降りていく行為

 暗黒舞踏の土方巽は、自らの舞を「己の肉体に降りていく」と表したが、私たちの遊歩もこれに近い感覚があります。頭や言葉で自然の何たるかを語るのではなく、日本人として最も土俗性の根幹にある背山、山河や渓谷というフィールドを無心に歩き、彷徨う様は正しく「自然の下に降りていく」行為そのもので、自然に在ることによって、より自分で在ることができる。その実行のための奮闘するのが遊歩だったのでしょう。
 などとそんな風に格好良く、整然と言い切るのはちょっと照れ臭い。こういう言い草も後付けにすぎない。実際のところは、ただ狂ったように歩いていただけで、なぜこれほど狂おしいのかを必死に自問自答しつつ、その因果を探るためだけに歩き回っていたに過ぎなかったのが本当のところでしょうか、今振り返れば・・・。その辺りは遊歩日誌を参照くだされ。

●終活のステージとしての六甲山?

 この9年ぶり越年キャンプを敢行させた、もう一つのモチベーションとして「終活」があります。「終の時」にまつわるあれこれの中で、家族ためにも葬祭いう実務に関しては、しっかりした構図を描いて、伝えておかなければと思ってのことでありました。「葬式も墓も不要!」と家族には言ってはいますが、その言だけでは、いざその段になって家族は戸惑うのは必定でしょう。ちゃんとしたエンディングメッセージというか手順表を残しておく必要があるだろう。
 まあ、実際どんなくたばり方かも不明なので、あれこれ想定しても詮無いことだが、自分の幕引きを考え出すと妙に面白いところもあります。
「直葬」から「散骨」のストーリーですが、その舞台として六甲山でも可能なのか? 今回の越年キャンプは、そのリサーチを兼ねての「終活遊歩」でもありました。これについても折々記していきましょう。

【追記】このリサーチで粗方、決まったエンディングストーリーは、山岳ミステリー小説「つたなき遊歩」の中に反映させていただきました。死者となった主人公が一人娘を六甲山に誘って行く話です。アマゾンでキンドル出版いたしました。

■遊歩調査関連記事
 遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。









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摩耶山で越年キャンプをやりたい!

2015年11月18日 | ■遊歩資料アーカイブ
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手軽にFBの「いいね!」で済ましてしまう内に、かれこれ1年以上ブログの更新をうっちゃっていた。申し訳ありませんです。
歳も歳なんで、旧知の人から時折、安否確認をかねてコメントをもらうことも・・・。
「終活はそろそろ始めているけど、まだ生きてますよ!」

今朝も、神戸中山手の「西嬉」のご主人から(六甲全山縦走についての)コメントをいただきました。

●六甲全山縦走の記事とコメントこちらへ

確かに六甲山とアルプスの高山とは別モノですが、加藤文太郎もそうだったでしょうが、断絶したものでなく裏山・六甲山の延長線上に猛々しいアルプスや冬山があったと思います。自分たちの背山、そこでたくさんのことを学んで、育まれていることを肝として全山縦走を楽しんでいただきたいものですね。
六甲山を離れて久しいのでこういうネタを振ってくれるのがとても嬉しい。全く面識のない方ですが、ブログ未更新を気にかけていただいものとあらためて感謝する次第。早速、ページの整頓をかねて山ネタで記事をあげておきます!

本年は心機一転、老体にムチ打って摩耶山頂で越年しようと考えています。
三浦雄一郎さんが「90歳でもう一度エベレストに挑戦したい」と発言して、あれこれ反応・反響が起こっています。
「高齢者のお手本、希望だ!」と「やめろ!周りの迷惑だ!」という両極の意見が湧き上がっています。そもそも、80歳時に登頂成功のあと、ヘリで下山ということも「これが登山か? 登頂記録になるのか?」と話題になりなりましたが、スポーツの話というより社会問題的な課題として考えさせられます。
歳を経れば、劣化する体力を嫌がおうにも思い知らされますが、どの辺りが限界なのかも探りたくなります。実は、これは体力の問題でなく気力の問題なので、自分の限界に関心がある内が花というか・・・歳相応の自己チェック機能があるってことなのかな?
てなことをつらつら考えているときに「久しぶりに越年の極寒キャンプやるか!」と思いついてしまいました。摩耶山といえど、この歳でフル装備を担いで登り切る自信があるや否や!?昔の仲間にも声をかけてみるつもりですが、果たしてどれだけ返事がもらえるものかこれも楽しみですね。

■遊歩調査関連記事(新ブログへ)
・遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。
・加藤文太郎の足跡をおいかけて
・六甲全山縦走路の実測の後日譚








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永らく絶版だったバックパッカーのバイブル「遊歩大全」が復刊!

2013年06月27日 | ■遊歩資料アーカイブ
     ▲左が絶版だったわが家にある前刊、右が復刊された新しい遊歩大全、下は初版の上下販

 パックパッカーの聖典とも言われたコリン・フレッチャー『遊歩大全』が昨暮れに再販発売されていたそうだ。アマゾンでも前刊分の中古本には数万円の高値がついていたそうだ。(ブログ「大文字を食べる」での記事で偶然このことを知った)

■歩くという単純な行為の、なんという素晴らしさ!


 この本は、全くのアウトドア技術書なんだけれど、その技術の向うにあるモノ(情景や自然への想いでしょうか)を深く感じさせ、読む者との間で通じ合う共有感がすごく快いものです。
「雨で動けない。ターフを張る。バーナーをポッピングする。コーヒー用の水を湧かす」
 一つ一つのどんな些細なテクニカルな作業の説明であっても、それを行ったり、使ったりした時の心の動き、状況・状態のイメージがふつふつと沸き上げってきます。「知る人ぞ知る」なんでしょうが、アウトドアでそういう体験のある方には、リアルに体で感じるように読むことのできる心地の良い本です。ウィルダネスへ踏み出して、広大な自然に立ち向かい、それに包まれていく。著者のコリン・フレッチャーの
深化した〝遊歩〟が、700に近い全ページにちりばめられています。
 このバックパッカーのためのハウツウ本が、70年代の米国、ベトナム戦争で疲れ果てていた青年たちに、強烈に支持され、一つの生き方・スタイルを提示することになりました。広大な自然へ立ち向い、また深奥な自然に寄りそいながら自分を見つめるバックパッカー達にとって、心地良く、快い〝ひとり歩き〟の世界を押し広げることになります。必読のバイブルとも言われた名著です。六甲山にウィルダネスを求めた私においても同様でした。

■二人の師匠に通底した歩き


 このコリン・フレッチャーが正当な(遊歩の)師匠ならば、もう一方、乞食の旅に出た俳人〝山頭火〟からは、歩きを彩る感性の何たるかを知らしめてくれました。
「分け入っても分け入っても青い山」この一句で〝遊歩〟の全てを語り尽くしているようです。(新ブログ〝山頭火にみる遊歩〟をご参照ください

ウィルダネスを舞台にその地をわが原郷とすべく、明確に解き明かしていこうとするコリン・フレッチャーの〝歩き〟と、わが原郷を求めて突き動かされるように彷徨う「山頭火の歩き」この異質とも言える二つの〝歩き〟ですが、私にとっては、ともに深く共振・共有できる同質の歩きです。
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〝山歩きはアートだ!〟十人十色の〝歩き〟が百人百様の人生を彩ります。
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■ウォーキングは健全なる狂気である


(★新ブログ「遊歩のススメ」より)

『テレビ、ヘロイン、株。ひたすらのめり込み、常習患者になりがちなこれらの楽しみに、ウォーキング、すなわち「歩く」という行為にもつながっているような気がする。だが、精神的な偏執に陥りかねないこれらの狂気の中で、「歩く」だけは少し異質だなと感じられるのは、その狂気が快いものであり、精神の健全さにつながっているからであろう。』
(C.フレッチャー著「遊歩大全」より)


このフレッチャーの言葉に出会って、私はずいぶんと癒された。救われたと言っても過言ではない。

なぜ、さまようように六甲山を歩かされているのか? 
なぜ、狂おしいほど六甲の山々に魅せられているのか?


その不明を解き明かす為には、只ただ、歩き続けるほかに術がなかった、そんな初期の私の「歩き」は、オーバーに表現すると「無明の歩き」、オシャレにいうと「自分探しの旅」とでも言いますか、どちらにしても制御の効かない、どう転んでいくか行末知れない暴走ウォーキングでした。この「ウォーキング迷路」に見事、進むべき道を照らしてくれたのが、C.フレッチャーの「遊歩大全」でした。(今は多分絶版かも)
この書をバイブルとし、今までさんざん喘ぎながらの自制もきかない「暴走の歩き」に「遊歩」という名を冠らさせることで、我がcomplete walker(遊歩)実現への出発点とし、第二の青春というべき時代を謳歌することが出来た訳です。(六甲遊歩会を結成した1980年代)
人生、人の歩く道も文字通り山あり谷ありで、まだまだ道半ばですが、今では…

まつすぐな道でさみしい〔山頭火〕

などと今では余裕で、こんな句を引き合いに出せるようにもなりました。(?)

●遍歴、放浪の俳人・山頭火の〝遊歩〟も私たちの山歩きを彩ってくれます。
 ちょっとした山での体感を、彼の句に当てはめてみるのも楽しいですよ。
 ぜひ一読くださいませ。新ブログ「遊歩のススメ」にて紹介しております。

●遊歩調査関連記事(新ブログ)
・遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。
・加藤文太郎の足跡をおいかけて
・六甲全山縦走路の実測の後日譚



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〝遊歩〟にオススメな厳選ハイキング・グッズ<10選>

※ライト編(スマホは必要?・GPSは邪魔?)








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●周南ツーリズム:関連ログ/
 004:シビックプライドを支える山々
 003. 周南エコツーリズム基盤整備と宣言
 002. エコツーリズムの起点
 001. 従来型のイベントを打破できるか!「ゆの浴衣まつり」
 000. 道の駅・パブリックコメントに参加して…

●道の駅:関連ログ/
 周南市は誰のために道の駅を作るのか?
 個人ブランド米 コレクションで売れるか!
 「地域通貨 Buchi」こども達が地域経済を押し上げる?
 新産業のイノベーション基地「ワッショイ周南」
 周南の未来を切り拓く道の駅
 周南デザイン最終稿「新たなる道標」
 周南デザイン4、周南アイデンティティを生み出す「道の駅」を創ろう!
 周南デザイン3、シビック プライド in 周南?
 周南デザイン2、イメージとスペース
 周南デザイン1、プライドとブランド
 周南市西部道の駅・見直し検討会?
 周南市PR映画・第一部が完成