第三の青春-じろさん本舗

地域デザイン、エコツーリズム、山芋四方山話
田舎暮らし奮戦記! じろさん本舗プレゼンツ

文人・画人の〝歩き〟を考察してみました(遊歩のススメ)

2022年01月25日 | ■遊歩資料アーカイブ
ひとアイコン

 本年公開された映画「HOKUSAI」では、己の描くべき画は何たるかを求めて、若き北斎はあてども無い流浪の旅に身をおきます。ある日、行き倒れるようにしてたどり着いた砂浜で、眼前に広がる大海原の荒波と出会うのです。そして、これからの北斎の作品の中に往々に現れるあの無数のエネルギーを内包した大波のモチーフ(グレートウェーブ)の力強いイメージを発見するというシークエンスがありました。
 若い頃の直接資料が少ないこともあって、この頃の北斎の足跡、クリエイターとしての葛藤や悶々とした思いなどは想像するしかありません。が、やはり新しい刺激や出会い、思いもよらないモチーフなどを求めて、方々を歩き回ったり、行く先の定まらない旅に明け暮れていた時期もあったのかもしれません。映画の中ではそのターニングポイントを象徴的な展開で描いたのでしょうが、晩年の〝前へ前へ〟というパワフル爺さんぶりを見ていると、このような〝己たる画〟の何かを求めるために、流浪の旅に身を置くようなひ弱な〝歩きぶり〟はあまり想像はできません。

 芭蕉には「新しい俳諧の世界を切り開くために」という退路を絶った覚悟の〝歩き〟が必然でした。山頭火(私もそうですが)は、〝解くすべもない惑ひ〟を打ち払うために、やむなく己を放り出すような〝歩き〟に身をおきました。中也は感性のリズムを弾ませるために、ランボオは折り合いのつかない世の中から遁走するために〝途方もない大歩行〟を続けました。
 しかし、北斎の生涯を通してその画を眺めていますと、そんな己の〝歯がゆさを埋めるような歩き〟を、北斎が行なったとは私にはどうも思えません。全く勝手な想像ですが、北斎の〝歩き〟とは、それに何かを託そう、何かを求めたというようなヤワな歩きではなく、もっとシンプルで骨太な歩きであったと思います。雑駁に言うならば〝単なる生活の歩き〟と言い切ってよいのかもしれません。

「野ざらしを 心に風の しむ身かな」と、無常の身だからいつ旅の途中で死ぬかもしれない・・・などと芭蕉は詠んで、懸念をかかえながら一歩を繰り出しますが、80歳を越えた北斎は、前に紹介した「八の字のふんばり強し 夏の富士」と吐いて、どうだ元気だろうと気勢をあげ、峠道をドンドン登っていきます。「どうしようもないわたしが歩いている」などと弱音を溢しながら、とぼとぼ歩いている50歳手前でピンコロを願う山頭火などとは真逆、もう比べようもありません。(・・・葛飾北斎にみる傑出した〝ご長寿百歳遊歩〟より。続きは下記リンクから)

新ブログ〝遊歩のススメ〟では、先人たちの〝歩き〟にまつわるあれこれを考察しながら〝遊歩の正体〟に迫っていきます。ぜひご訪問くださいませ。(下記リンクは〝遊歩のススメ〟へジャンプします)

..● あてのない行乞流転の歩き・・・・「種田山頭火」
● どこまでも散歩大好き・・・・・・「中原中也」
● 謎めいた砂漠の大歩行・・・・・・「アルチュール・ランボオ」
● 覚悟のバックパッカー・・・・・・「松尾芭蕉」
● 傑出したご長寿百歳遊歩・・・・・「葛飾北斎」
● 我がバイブル〝遊歩大全〟・・・・「コリン・フレッチャー」
● 孤高のレジェンドを追いかけて・・「加藤文太郎」

〝山歩きはアートだ!〟十人十色の〝歩き〟が百人百様の人生を彩ります。
歩くというシンプルで根元的なアクティビティ、あなたの〝歩き〟に込められたものとは何でしょうか?
先人たちにみる〝遊歩〟を通して、今一度掘り下げてみまましょう!



お知らせ
キンドル出版にて、
山端ぼう:著つたなき遊歩・ブラインドウォーカー」を出版いたしました。

遊歩大全をバイブルとして六甲山を巡り歩いた老いた遊歩人とブラインドサイト(盲視)という不思議な能力をもつ全盲の青年とが、巻き起こすミステリアスな物語です。六甲全山縦走から穂高縦走へとつたなき遊歩が始まります。
続きは・・・


●〝歩き〟に特化した新しいブログを作りました。ぜひ、お立ち寄りくださいませ。

〝歩く〟ことの意味をトコトン深掘りしました


〝遊歩〟にオススメな厳選ハイキング・グッズ10選
その1、ライト編(LED革命、スマホはOK?)
その2、トイレ編(ポンチョ?携帯トイレ?)
・遊歩とは何か? 
・幸せは歩きの距離に比例する?
・孤高の人・加藤文太郎を追いかけて・・・
・戸惑いの〝歩き〟の正体
・あるく・のぼる・あそぶ・まう・おどる・うたう・えんじる
・ウォーキングは健全なる狂気?
・遊歩のステージ(舞台)に立つ
・一人歩く時ほど孤独より遠い?

山岳ミステリー小説「つたなき遊歩」キンドルから出版!

2019年09月23日 | ■遊歩資料アーカイブ
●出版に至る経緯〜

70歳を越えてからの就職は、じつに困難を極める(汗)。凡庸な技術や職歴はそれほど役には立たない(涙)。

ハローワークで年齢70と入力して「パート・アルバイト」で検索すると、出てくる求人票の多くは、よくて60歳で5年延長雇用がある企業がほとんど。建前上60、65歳以上はダメですと書けないので、対象年齢は「年齢不問」となっている。ホント、誠実さに欠けた記述です。実際10社強ほどの応募も全てアウトだった。
 そんな中でも、期間限定や時間制限のあるパートで70歳以上OKの求人がたまにある。「健康な方なら年齢不問」これぞ本当のシニア活力、人材再発掘の国の施策に沿うものなのだろうが、在住する地域(10〜15万の地方都市)では、職種が、警備・交通整理か清掃か、もしくは悪名高い介護である。悪名とは腰痛という職業病である。「高齢者にはキツイですよ」といわれ、腰痛・膝痛のある私の選択肢から消えた。他の職種においても大なり小なりだろう。実際に行ったバイトでは、一見、体力はなくても勤まるようでも炎天下、風雨、極寒となれば、高齢者の仕事として適しているとは言えない。まあ、ぜいたくは言っておれないがこれが「人生100歳時代」の現実だ。

己を商品化、自分の中にあるコンテンツとは


 私の場合も、自分の中にある商品性を探すことしかありませんでした。それがそこそこのコンテンツになるまで、何とかバイトで食いつなぐというのが目下の残されたか細い道筋と観念しています。DTP技術や画像処理という自負できていたスキルでも、進化スピードの速い子の時代では、もう若い人には勝てるものではありません。やはり、馬鹿みたいになって六甲山を歩いていた時代から、今に至るまで自分を支えていてくれた〝遊歩〟というところに特化して、そこをコンテンツ化するしかないだろうと思ってのチャレンジです。自分自身にある、また、あったストーリーをコンテンツ化するために、新しいサイトを立ち上げ、ミステリー小説の執筆を始めました。この作業は、就活と同時に終活でもあります。人生の終わりを飾るもであり、私の生命をソフトランディングさせるための作業と重なるものです。まず手をつけたのが、自分のいままでの足跡を家族らに残しておく。それも具体的な事実をつなげたものでなく、今まで生きてきた心気やプライド、拙くはあってもその想いを伝えておきたい気持ち、そして、自分が亡くなった後の諸々の処理もエンディングメッセージとして、そこに書き込んでおきました。

終活も、前向きに第四の青春としてみたい


 今までのブログのタイトルが〝第三の青春〟でしたので、新ブログ「遊歩のススメ」も〝第四の青春〟という位置つけで、決して後ろ向きな終活だけにはならないよう戒めている次第です。という訳で、古い記事や資料を修正したり、書き足しながら新ブログ「遊歩のススメ」へ移行中です。それと並行して、書き起こした自伝的小説をミステリー仕立てにして一本の小説にまとめてみました。出来上がった後、すぐに、すばる新人賞の応募が目についたので〝もしかして〟と期待を込めて投稿しましましたが、案の定、第一次審査で見事に落選、いわゆる下読みで落とされた訳です。これが自分のもつコンテンツの現実的な価値なんだろうと、恨む前に現状を再認識することになりました。小説家になろうという気はありませんが、確かにスキル的には及ばなったようです。ブログ記事やエッセーなどは数をこなしましたが、小説となればこれは別物です。書いている途中でも自分の語彙の劣化や表現能力の低さにイラつきました。齢70の限界でした。(この続きは新ブログ「遊歩のススメ」でお読みください

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〝歩く〟ことの意味をトコトン深掘りしました


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その1、ライト編(LED革命、スマホはOK?)
その2、トイレ編(ポンチョ?携帯トイレ?)
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・幸せは歩きの距離に比例する?
・孤高の人・加藤文太郎を追いかけて・・・
・戸惑いの〝歩き〟の正体
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・ウォーキングは健全なる狂気?
・遊歩のステージ(舞台)に立つ
・一人歩く時ほど孤独より遠い?

六甲山・越年キャンプは終活遊歩になる?

2016年02月19日 | ■遊歩資料アーカイブ
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 ちょっと日が経ちましたが、気力体力チェックと称した「越年キャンプ」の報告をしておきましょう。(ログが途絶えると又、安否確認がきそうなので)

●自己の表出としての遊歩


 かつては毎年の恒例行事であった摩耶山(標高701m)でのお正月の越年キャンプ、今回は9年振りの参加となりました。大晦日に新幹線で新神戸、摩耶山登山後、黒岩尾根でキャンプ・初日の出を拝んで、天上寺初詣の後に下山、すぐ新幹線で帰路という弾丸ツアーとなり、正月の三ヶ日は快い筋肉痛をたっぷり味わいました。短い時間でしたが、古いメンバーとその家族たちと旧交を暖めることができたのは何よりの喜びでした。遊歩に乾杯!です。背負子で親父に担がれてこの正月遊歩に連れてこられていた幼子が、私の背丈を越えた立派な青年に! そりゃ〜歳も喰うはずですな。

 会を設立した当初は、満足な経験・知識や装備もなく、ただ単に寒さに耐える我慢比べのようなイベントでした。
本年も山頂にはご来光を待つ多くの人の中に、上半身裸でご来光をバックに(ユーチューブ用の撮影か?)ダンスを披露する元気な若者も居ました。思い返せば、こういった輩に近い気分(ちょっと傾いた感覚)だったのでしょう。それと高価な♯0のダウンシュラフにまだまだ手が出なかったことも大きな要因ですが。
 満足な専用のテントや装備もなく、中には家庭用の毛布を担いでくるメンバーもいました。それでもやはり真冬の山頂は寒い、眠れない。屠蘇用のお酒を全部飲み干して、酔いの勢いで寝てもすぐに寒さに叩き起こされる。結局は徹夜のような状態で、(恵まれれば)ご来光を拝み、その足で天上寺へ初詣した後は、メンバーそれぞれの出身地自慢のお雑煮をいただき、昼までに三々五々の解散です。
只これだけのことでしただが、やはりこの日でないと味わえない大切な遊歩会でのセレモニーだったようです。

 遊歩会は元々は、モダンダンスチームの山上パフォーマンスイベントから出発したサークルで、「歩く」ことを自身の表出とすべく、舞台を六甲山とした仲間が集った。大袈裟に言えば「歩きは芸術だ!」というような出発点からスタートしたもので、一般の山岳クラブやハイキングサークルとは一線を画していた。(とは言え新入会者は、皆んなただハイキングを楽しむ目的で参加していたと思いますが…)

●遊歩とは自分の中に降りていく行為

 暗黒舞踏の土方巽は、自らの舞を「己の肉体に降りていく」と表したが、私たちの遊歩もこれに近い感覚があります。頭や言葉で自然の何たるかを語るのではなく、日本人として最も土俗性の根幹にある背山、山河や渓谷というフィールドを無心に歩き、彷徨う様は正しく「自然の下に降りていく」行為そのもので、自然に在ることによって、より自分で在ることができる。その実行のための奮闘するのが遊歩だったのでしょう。
 などとそんな風に格好良く、整然と言い切るのはちょっと照れ臭い。こういう言い草も後付けにすぎない。実際のところは、ただ狂ったように歩いていただけで、なぜこれほど狂おしいのかを必死に自問自答しつつ、その因果を探るためだけに歩き回っていたに過ぎなかったのが本当のところでしょうか、今振り返れば・・・。その辺りは遊歩日誌を参照くだされ。

●終活のステージとしての六甲山?

 この9年ぶり越年キャンプを敢行させた、もう一つのモチベーションとして「終活」があります。「終の時」にまつわるあれこれの中で、家族ためにも葬祭いう実務に関しては、しっかりした構図を描いて、伝えておかなければと思ってのことでありました。「葬式も墓も不要!」と家族には言ってはいますが、その言だけでは、いざその段になって家族は戸惑うのは必定でしょう。ちゃんとしたエンディングメッセージというか手順表を残しておく必要があるだろう。
 まあ、実際どんなくたばり方かも不明なので、あれこれ想定しても詮無いことだが、自分の幕引きを考え出すと妙に面白いところもあります。
「直葬」から「散骨」のストーリーですが、その舞台として六甲山でも可能なのか? 今回の越年キャンプは、そのリサーチを兼ねての「終活遊歩」でもありました。これについても折々記していきましょう。

【追記】このリサーチで粗方、決まったエンディングストーリーは、山岳ミステリー小説「つたなき遊歩」の中に反映させていただきました。死者となった主人公が一人娘を六甲山に誘って行く話です。アマゾンでキンドル出版いたしました。

■遊歩調査関連記事
 遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。









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摩耶山で越年キャンプをやりたい!

2015年11月18日 | ■遊歩資料アーカイブ
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手軽にFBの「いいね!」で済ましてしまう内に、かれこれ1年以上ブログの更新をうっちゃっていた。申し訳ありませんです。
歳も歳なんで、旧知の人から時折、安否確認をかねてコメントをもらうことも・・・。
「終活はそろそろ始めているけど、まだ生きてますよ!」

今朝も、神戸中山手の「西嬉」のご主人から(六甲全山縦走についての)コメントをいただきました。

●六甲全山縦走の記事とコメントこちらへ

確かに六甲山とアルプスの高山とは別モノですが、加藤文太郎もそうだったでしょうが、断絶したものでなく裏山・六甲山の延長線上に猛々しいアルプスや冬山があったと思います。自分たちの背山、そこでたくさんのことを学んで、育まれていることを肝として全山縦走を楽しんでいただきたいものですね。
六甲山を離れて久しいのでこういうネタを振ってくれるのがとても嬉しい。全く面識のない方ですが、ブログ未更新を気にかけていただいものとあらためて感謝する次第。早速、ページの整頓をかねて山ネタで記事をあげておきます!

本年は心機一転、老体にムチ打って摩耶山頂で越年しようと考えています。
三浦雄一郎さんが「90歳でもう一度エベレストに挑戦したい」と発言して、あれこれ反応・反響が起こっています。
「高齢者のお手本、希望だ!」と「やめろ!周りの迷惑だ!」という両極の意見が湧き上がっています。そもそも、80歳時に登頂成功のあと、ヘリで下山ということも「これが登山か? 登頂記録になるのか?」と話題になりなりましたが、スポーツの話というより社会問題的な課題として考えさせられます。
歳を経れば、劣化する体力を嫌がおうにも思い知らされますが、どの辺りが限界なのかも探りたくなります。実は、これは体力の問題でなく気力の問題なので、自分の限界に関心がある内が花というか・・・歳相応の自己チェック機能があるってことなのかな?
てなことをつらつら考えているときに「久しぶりに越年の極寒キャンプやるか!」と思いついてしまいました。摩耶山といえど、この歳でフル装備を担いで登り切る自信があるや否や!?昔の仲間にも声をかけてみるつもりですが、果たしてどれだけ返事がもらえるものかこれも楽しみですね。

■遊歩調査関連記事(新ブログへ)
・遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。
・加藤文太郎の足跡をおいかけて
・六甲全山縦走路の実測の後日譚








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永らく絶版だったバックパッカーのバイブル「遊歩大全」が復刊!

2013年06月27日 | ■遊歩資料アーカイブ
     ▲左が絶版だったわが家にある前刊、右が復刊された新しい遊歩大全、下は初版の上下販

 パックパッカーの聖典とも言われたコリン・フレッチャー『遊歩大全』が昨暮れに再販発売されていたそうだ。アマゾンでも前刊分の中古本には数万円の高値がついていたそうだ。(ブログ「大文字を食べる」での記事で偶然このことを知った)

■歩くという単純な行為の、なんという素晴らしさ!


 この本は、全くのアウトドア技術書なんだけれど、その技術の向うにあるモノ(情景や自然への想いでしょうか)を深く感じさせ、読む者との間で通じ合う共有感がすごく快いものです。
「雨で動けない。ターフを張る。バーナーをポッピングする。コーヒー用の水を湧かす」
 一つ一つのどんな些細なテクニカルな作業の説明であっても、それを行ったり、使ったりした時の心の動き、状況・状態のイメージがふつふつと沸き上げってきます。「知る人ぞ知る」なんでしょうが、アウトドアでそういう体験のある方には、リアルに体で感じるように読むことのできる心地の良い本です。ウィルダネスへ踏み出して、広大な自然に立ち向かい、それに包まれていく。著者のコリン・フレッチャーの
深化した〝遊歩〟が、700に近い全ページにちりばめられています。
 このバックパッカーのためのハウツウ本が、70年代の米国、ベトナム戦争で疲れ果てていた青年たちに、強烈に支持され、一つの生き方・スタイルを提示することになりました。広大な自然へ立ち向い、また深奥な自然に寄りそいながら自分を見つめるバックパッカー達にとって、心地良く、快い〝ひとり歩き〟の世界を押し広げることになります。必読のバイブルとも言われた名著です。六甲山にウィルダネスを求めた私においても同様でした。

■二人の師匠に通底した歩き


 このコリン・フレッチャーが正当な(遊歩の)師匠ならば、もう一方、乞食の旅に出た俳人〝山頭火〟からは、歩きを彩る感性の何たるかを知らしめてくれました。
「分け入っても分け入っても青い山」この一句で〝遊歩〟の全てを語り尽くしているようです。(新ブログ〝山頭火にみる遊歩〟をご参照ください

ウィルダネスを舞台にその地をわが原郷とすべく、明確に解き明かしていこうとするコリン・フレッチャーの〝歩き〟と、わが原郷を求めて突き動かされるように彷徨う「山頭火の歩き」この異質とも言える二つの〝歩き〟ですが、私にとっては、ともに深く共振・共有できる同質の歩きです。
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〝山歩きはアートだ!〟十人十色の〝歩き〟が百人百様の人生を彩ります。
このシンプルで根元的なアクティビティ、あなたの〝歩き〟とは何なのか?
先人たちにみる〝遊歩〟を通して、今一度掘り下げてみまましょう!



■ウォーキングは健全なる狂気である


(★新ブログ「遊歩のススメ」より)

『テレビ、ヘロイン、株。ひたすらのめり込み、常習患者になりがちなこれらの楽しみに、ウォーキング、すなわち「歩く」という行為にもつながっているような気がする。だが、精神的な偏執に陥りかねないこれらの狂気の中で、「歩く」だけは少し異質だなと感じられるのは、その狂気が快いものであり、精神の健全さにつながっているからであろう。』
(C.フレッチャー著「遊歩大全」より)


このフレッチャーの言葉に出会って、私はずいぶんと癒された。救われたと言っても過言ではない。

なぜ、さまようように六甲山を歩かされているのか? 
なぜ、狂おしいほど六甲の山々に魅せられているのか?


その不明を解き明かす為には、只ただ、歩き続けるほかに術がなかった、そんな初期の私の「歩き」は、オーバーに表現すると「無明の歩き」、オシャレにいうと「自分探しの旅」とでも言いますか、どちらにしても制御の効かない、どう転んでいくか行末知れない暴走ウォーキングでした。この「ウォーキング迷路」に見事、進むべき道を照らしてくれたのが、C.フレッチャーの「遊歩大全」でした。(今は多分絶版かも)
この書をバイブルとし、今までさんざん喘ぎながらの自制もきかない「暴走の歩き」に「遊歩」という名を冠らさせることで、我がcomplete walker(遊歩)実現への出発点とし、第二の青春というべき時代を謳歌することが出来た訳です。(六甲遊歩会を結成した1980年代)
人生、人の歩く道も文字通り山あり谷ありで、まだまだ道半ばですが、今では…

まつすぐな道でさみしい〔山頭火〕

などと今では余裕で、こんな句を引き合いに出せるようにもなりました。(?)

●遍歴、放浪の俳人・山頭火の〝遊歩〟も私たちの山歩きを彩ってくれます。
 ちょっとした山での体感を、彼の句に当てはめてみるのも楽しいですよ。
 ぜひ一読くださいませ。新ブログ「遊歩のススメ」にて紹介しております。

●遊歩調査関連記事(新ブログ)
・遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。
・加藤文太郎の足跡をおいかけて
・六甲全山縦走路の実測の後日譚



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〝遊歩〟にオススメな厳選ハイキング・グッズ<10選>

※ライト編(スマホは必要?・GPSは邪魔?)








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遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。

●周南ツーリズム:関連ログ/
 004:シビックプライドを支える山々
 003. 周南エコツーリズム基盤整備と宣言
 002. エコツーリズムの起点
 001. 従来型のイベントを打破できるか!「ゆの浴衣まつり」
 000. 道の駅・パブリックコメントに参加して…

●道の駅:関連ログ/
 周南市は誰のために道の駅を作るのか?
 個人ブランド米 コレクションで売れるか!
 「地域通貨 Buchi」こども達が地域経済を押し上げる?
 新産業のイノベーション基地「ワッショイ周南」
 周南の未来を切り拓く道の駅
 周南デザイン最終稿「新たなる道標」
 周南デザイン4、周南アイデンティティを生み出す「道の駅」を創ろう!
 周南デザイン3、シビック プライド in 周南?
 周南デザイン2、イメージとスペース
 周南デザイン1、プライドとブランド
 周南市西部道の駅・見直し検討会?
 周南市PR映画・第一部が完成

遊歩の舞台としての六甲山とは

2010年09月19日 | ■遊歩資料アーカイブ
●これは六甲遊歩会にての記録資料のアーカイブページです。
(1984-1994年の間に編集されたもので、ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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■遊歩の舞台としての六甲山とは(1984-1994年のまとめ)
■平凡な?裏山…六甲山
 六甲山系は、日本各地のどこにでもあるごく普通の山塊です。日本アルプスなど内陸地帯にある山系に比べれば、標高、スケールなどでは到底およばない小規模で、しかもかなり観光化された山域です。ドライブウェイを始め、ケーブル(3系統)、ロープウェイ(3系統)などによる山上へのアクセスも整備され、植物園、牧場、スキー場、ホテル、レストラン、ゴルフ場(日本最古)住宅地、別荘群、郵便局、小学校などの行政施設も整った都市機能も有しています。
 東西約30km~南北約10km、100余りのピークがあり、931.3mの最高峰をもつこの山塊は、数十万年前から始まった準平原の隆起でできあがったと言われています。火山活動や氷河作用をあまり受けていないので、単独峰や尖鋒が少なく、山上は大きな平たん部分をもっています。
 1000メートルに満たない標高ですが、南山麓は急な斜面が多く、アプローチがほとんど海抜20~50mといった地点から始まることを考えれば、内陸地の1500~2000m級に準じる実標高差をもっているともいえます。気象的には瀬戸内海の温暖な気候域に含まれ、さほど厳しさ・険しさはなく、降雪時のみ積雪する程度で冬期の登山も特に問題ありません。




■遊歩の最大条件

 さて、我が裏山もこのような紹介であれば、何も遊歩においてもさほど際立つ特色があるとは言えないステージですが、「遊歩」がより遊歩のステージとして鮮明に浮き上がる重要な条件で、他の山域にはあまり類のない条件が六甲山にあります。
 それは山麓に拡がる「巨大な都市圏」というものの存在です。東西南北から圧倒的な都市化の波を受け、また山頂もドライブウェイ沿いに観光化が戦前より進んでおり、自然の保全という点では、ほとんど六甲山系は満身創痍といえます。この点では日本各地の都市近郊の山系は大なり小なり似たようなものです。しかし、山麓に数百万という人口(ほとんどが都市生活者)を抱え、都市化の脅威を受けつつも、なおかつこの山系が 独自の秩序…父親のような凛々しい威風と母親のような優しい慈愛を持ちつづけている のは不思議と言うほかありません。
 「六甲山に一体、本来の自然がどれだけ残っているのか?」と問われることがあります。答えに窮する場合が多いのですが、未開のジャングルや未踏の深山のような状態を自然というなら、そういう自然は残念ながら、このエリアにはほとんど無いと言えるでしょう。 植生の多くは明治以降の植林事業によるし、沢のほとんどが都市を守る名目で進んでいる堰堤(砂防ダム)100年計画で、無傷な谷はなく、都市化のあおりで猿、鹿などの野生の動物も消え去り、保護されているイノシシ(というより猟の危険から都会人を守るためか)は野生を忘れ料金所で餌をねだっています。
 「六甲山は巨大な公園だよ」と断言する人もいたりする。それも確かに立派な言い草なのだけれども、もっと大切なことは自分の内に向かって「自然とは何か?」という問いかけを続けることと思います。 ヒマラヤやアマゾンでこれが自然だと頭を垂れる人もいれば、そこでも文明だけを妄信して自然を受容できない人もいる。アウトドアと称しながら、室内道具を満載して学校の校庭のようなグラウンドでキャンプ張る。これでは日常のドアから少しも足を踏み出していない。アウトドアの振りをしたインドアと言わざるを得ません。要は、自然とは何かを問う前に、自身の中に自然を感じる感性がどれだけあるか、その問題の方が重要なのです。 高層マンションの鉄筋の部屋の中で飾られた一輪の花にであっても、それから自然を感じることができる人ならば、その部屋には自然があり、カルキ臭い水道水であっても、その源流を知る者、沢を登り詰め岩の間からわずかに滴る水を一度でもノドに通したことがある者にとっては、自然の何であるかを、また不自然の何であるかを 十分に知ることができるし、その他、風であれ雨であれ然り。わが内にある自然が問題なのです。
 話は少し逸れましたが(詳しくは「自然とは何か?環境問題と六甲山」の項目を読んで下さい)自然と不自然が圧倒的にせめぎあっている状態がこのエリアにあらゆる場所で感じられるのです。 (つづく)


●これは六甲遊歩会にての記録資料のアーカイブページです。
(1984-1994年の間に編集されたもので、ブログの日付けは収録日に過ぎません)
 遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。

〝遊歩〟にオススメな厳選ハイキング・グッズ、ライト編(LED革命、スマホはOK?)
〝遊歩〟にオススメな厳選ハイキング・グッズ、トイレ編(ポンチョ?携帯トイレ?)
●読本:遊歩のススメ
・遊歩とは何か? 
・幸せは歩きの距離に比例する?
・孤高の人・加藤文太郎を追いかけて・・・
・戸惑いの〝歩き〟の正体
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・ウォーキングは健全なる狂気?
・遊歩のステージ(舞台)に立つ
・一人歩く時ほど孤独より遠い?
・自分の一歩、己の居場所(地図・コンパス・GPS)
●先人たちの遊歩
・そぞろ神のものにつきて心をくるわせるもの(松尾芭蕉)
・解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
・何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
・世界と通じ合うための一歩一歩(アルチュール・ランボオ)








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自然とは何か?(六甲山はウィルダネスか)

2010年09月12日 | ■遊歩資料アーカイブ
●これは六甲遊歩会にての記録資料のアーカイブページです。
(1984-1994年の間に編集されたもので、ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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■自然とは何か



 六甲山が抱えている現実的な環境問題はここでは紹介いたしません。この遊歩会とは別な形で取り組まなければいけないでしょう。 「私たちが六甲山に入ることで六甲山を傷つけている」という前提を胸に刻みながら、ここでは遊歩と自然との関わり合いを紹介したいと思います。 まずは、「神秘のフィールド/ウィルダネス」を紹介したばかりに、多くのバックパッカーを引き入れてしまったことに関して、C.フレッチャーが次のように語っています。



 バックパッカーの数が次第に増え、自然そのものの存在が危機に瀕しているとすれば、私のやった仕事(ガイドの著作など)は、そうした侵略を促進させる役割を果たしているのではないかと思えてきて、(遊歩大全の)改訂版を出すことに躊躇を感じていたのだ。 そのとき、ある人が言ってくれた。「問題はウィルダネスに入り込む人の数の多さにあるのではなく、本当の生活、最も正しい生き方を知らずにいる人間の多さにあるのだ。われわれには、このような本がもっともっと必要なのだ。」私はこの好意あふれる気持ちが正当なものかどうか確かめることもせず、ひたすら嬉しくなって、すべてを受け入れてしまったわけである。             (C.フレッチャー著「遊歩大全」より)



 太字部分の本当の生活、最も正しい生き方とは価値観の問題で、その中味の是非は云々できませんが、おそらく一般的なナチュラリスト的な言葉として考えておきましょう。私個人からは、一体何が「本当」何が「正しい」のかを断言するつもりは毛頭ありませんし、その勇気もありません。 今、言えることは、都会的な生活が間違いで、ナチュラリスト的な生活が正しいという単純な理屈は不毛だということです。私は、週末は自然の静寂の中に身をおいても、それ以外では都会の喧噪の中で暮らしています。どちらが是か非かの問題ではなく、その両極を自由に行き来できる自在さを「遊歩」に求めることが大切なことと考えています。 自然というものは、自然と呼ばれるエリアがあって、そこへ行けば必ず自然と出会えるというものではありません。逆に、カルキ臭い水道水、どんよりした空、埃っぽい風…都会的な環境の中であっても、自然を感じ、掴み取ることもできるのです。要は感性の問題です。そして、天才的なアーティストか悟りを開いた聖人でない限り、この感性はバーチャルな環境では決して磨かれることはありません。われわれ凡人は手足、肌、目、耳、口を使って自然の何であるかを実際に体感し、自らの「内にある自然」と出会っていく以外にはありません。



 ----なぜ人は、冷えたシャンペンの方が、マウンティン・クリークから流れ落ちるあの氷のように冷たい水よりも「リアル」なのだと考えるのか。なぜ、ほこりっぽいアスファルトの歩道の方が、あおタンポポのじゅうたんよりも「現実」なのだろうか。ボーイング747ジャンボジェットは、日の出と一体になって飛翔する純白のペリカンよりも「リアル」だと、なぜ言えるのだろうか。言葉を換えて、もう一度言おう。ウィルダネスの美、沈黙、孤独から生まれ出るものより、シティーライフから生じる行動、感情、価値観の方が、なぜ「リアル」なのだろうか。(中略) こうしたもの(文明的な物)こそ、動物と人間とを別の存在にさせてしまい、私たちの視野を狭いものにしてしまっている原因なのだ。私はこう結論したい。山の清水、砂漠の花、白い鳥の夜明けの飛翔、こうしたものこそ、いっそう激しさを増した現代生活の複雑さの根本にあるリアリティーであり、シャンペン、アスファルト歩道、ジャンボジェットは、その真のリアリティーの延長線上にあるものとして視野に捕らえてこそ、初めて意味を持ち得るのだと。            (C.フレッチャー著「遊歩大全」より) 



 広大な〝ウィルダネス〟と世俗化、公園化された〝六甲山〟とでは、事情はかなり異なりますが、六甲山域でも都会生活ではなかなか見いだせない「リアル」と数多く出会うことができます。
 神戸市内には六甲山の沢から、大阪湾へ流れ込む数本の小さな川があります。護岸されて環境的にも自然な河川といえない状態ですが、そんな流れを源頭へ向かってどんどん遡っていくと大変、面白い体験ができます。山中にさしかかると護岸もなくなり、自然の沢の有様に戻って、時には渓谷状になったりします。できる限り水際を歩いていきますと、生活ゴミが浮いていた淀んだ流れが、清流に変わり水中の生物などもたくさん現れ、変化し、所によってはそのまま飲めるようになります。砂防柵や堰堤に度々遮れますが、なんとかそれも乗り越えて遡っていきます。谷の核心部分ではその沢がまるで自己主張しているような特色ある滝がいくつか姿を見せくれます。その滝の飛沫を浴びながら、急場を巻きこんで乗り越えていきます。いくつかの支谷を過ぎやり、本流と思える沢の急斜面をつめると徐々に流れは細くなります。そして、いよいよ源頭に辿りつくと、岩の間からポタポタと湧き出る水滴を、または地中からしみ出る小さな湧き水を発見することでしょう。これは感動です。(感動せん奴も居るかも?)ここまでが、短い沢で半日、長い沢でもまる一日あれば六甲山では充分です。時間があれば沢の中で孤独なキャンプを楽しむのもいいかもしれません。6月中旬頃なら、もしかして天然のホタルなんかと出会うかもしれません。
 私は、自宅の蛇口から流れる水道水に「哀れさ」を感じると同時に「大いなる自然の営み」も同時に感じることができます。その「二つのリアリティ」を持ち得ることができます。それも、その水が何所でうまれ、何処から湧き出てきたのか、源流のあの水滴をこの目で見て、この手ですくい、この口で味わっているからです。そういう本来的な水と出会った感動があるからです。風や雨もしかり、木々や日ざしも然りです。
 禅から生まれた茶道の茶室には、よく一輪の花が飾られます。それだけで大自然の多くをそこに凝縮させている訳ですが、禅の達人でなくとも、遊歩を積み重ねた体験があれば、一輪の花から、一陣の風から、小さな木漏れ日から、「リアル」を感じ、心を動かすことができます。


「引き裂かれた私」
 よく現代人は「引き裂かれている」と言われることがあります。この引き裂かれた状態とは、バーチャルな環境(生活)においての自分と本来的な自分(これが何かは難しいが)とのギャップをさすと思います。「自然」というテーマに絞れば、上手な言葉ではありませんが、「私たちが今、定義している自然」(頭で考えている自然)と「あるべき自然」(感性で実体験した自然)のギャップがあって、その「二つの自然」に引き裂かれている状態を感じてしまいます。
 俗化した六甲山なんかに本当の自然はあるのか? と毒づく方がたまに居ます。また、六甲山の自然を守れ!とか叫ばれる方も多いです。しかし、そう言う前に「豊かな自然、守るべき自然」とは何なのかを、まずは深く突きつめなければいけないと思います。その問いかけは「傷つき続ける六甲山」自体から発せられているように感じます。その問いかけに応えるためには、「私」がハッキリと感じえた「リアル」を積み重ねていくしかありません。これこそが「内なる六甲山」と言えるのではないでしょうか。 自らの内に六甲山を見い出すことが、内なる自然との出会いへと通じています。ここに至れば私たちの「二重の現実」をよく見渡すことができます。その上で環境問題や自然保護の課題を考えてみてください。そして、自分の生活も…。そこから先は貴方次第です。

●これは六甲遊歩会にての記録資料のアーカイブページです。
(1984-1994年の間に編集されたもので、ブログの日付けは収録日に過ぎません)
 遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。

〝遊歩〟にオススメな厳選ハイキング・グッズ、ライト編(LED革命、スマホはOK?)
〝遊歩〟にオススメな厳選ハイキング・グッズ、トイレ編(ポンチョ?携帯トイレ?)
●読本:遊歩のススメ
・遊歩とは何か? 
・幸せは歩きの距離に比例する?
・孤高の人・加藤文太郎を追いかけて・・・
・戸惑いの〝歩き〟の正体
・あるく・のぼる・あそぶ・まう・おどる・うたう・えんじる
・ウォーキングは健全なる狂気?
・遊歩のステージ(舞台)に立つ
・一人歩く時ほど孤独より遠い?
・自分の一歩、己の居場所(地図・コンパス・GPS)

●先人たちの遊歩
・そぞろ神のものにつきて心をくるわせるもの(松尾芭蕉)
・解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
・何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
・世界と通じ合うための一歩一歩(アルチュール・ランボオ)
・おくのほそ道にみる芭蕉の〝遊歩〟とは(バックパッカー・松尾芭蕉)








お知らせ

キンドル出版にて、
山端ぼう:著つたなき遊歩・ブラインドウォーカー」を出版いたしました。

遊歩大全をバイブルとして六甲山を巡り歩いた老いた遊歩人とブラインドサイト(盲視)という不思議な能力をもつ全盲の青年とが、巻き起こすミステリアスな物語です。六甲全山縦走から穂高縦走へ・・・
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フィトンチッドのシャワー

2008年06月20日 | ■遊歩資料アーカイブ

久しぶりに”遊歩”の話題を。
”遊歩”とは自己の探求、自己の再発見、自己の表出だ!と、時間さえあれば昼夜の区別なく、六甲山中を彷徨うように歩いていた頃は、今思い返すと随分と自然に癒され元気をいただいていたものでした。ストレスにまみれた身体を、森の緑に預け樹々をすり抜け、沢の清水に浸しながら黙々と歩くことで、芯から浄化していたのでしょう。これほど心身が健全であった時期は、この頃を外してなかったでしょう。
最近、「歩き」が健康法に積極的に取り入れられて、いろんな形のウォーキングを見ることができます。良く見かけるのが、腕をくの時に曲げて、競歩のようにせかせか歩くウォーキングです。あれは全く感心できません。
有酸素運動がどうだ、何分で何カロリー燃焼したとか、そういう計算が先にあって、足下の雑草や小花を見る余裕もままならいとなれば、これは逆にストレスを貯めているようなものです。やはりロハスな遊歩というのは、自然に身をゆだね、心をとけ込ませたところに在ると思います。

森林浴という言葉がすっかり定着していますが、私が六甲山を歩き出した20数年前では珍しい言葉でした。それもそのはず日本では1982年に当時の林野庁などによって提唱され、長野県の赤沢自然休養林が発祥地とされています。官民で組織して研究を進めている「森林セラピー研究会」が、その中心的な役割を担っているらしいが、現在、日本全国で35ヶ所のセラピー「基地」や「ロード」が認定されている。
山口県下では、前回の記事にもあった旧徳地町の「ブナ天然林と樹齢200年以上のアカマツ林」エリアが森林レラピーの基地作りに取り組んでいる。樹木が発散する香り成分「フィトンチッド」が医学的にもストレスホルモンを低下させるのが実証されています。昨今は森林浴というのはアウトドア・スポーツという分野というよりは、医学治療への利用・活用に注目を浴びいて、その取組みが本格化しています。

終日のんびりと、嫌というほどにフィトンチッドのシャワーを浴びてみたいものですが、まずはその前にストレスの少ない生活を築いていくことが先決のようです。

 風の中おのれを責めつつ歩く 〔山頭火〕

う~ん、これはこの歩きは辛いですね。ストレスが溜ります。
★写真はフィトンチッドの塊がゴロゴロしているような針葉樹林。マツとかヒノキに成分が多いらしい。

■遊歩調査関連記事
 遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。









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放浪、遍歴の旅~『私に向かう旅』としての遊歩

2006年12月09日 | ■遊歩資料アーカイブ

 【遊歩のススメ】No.05

■放浪、遍歴の旅にみる遊歩
スポーツとしての遊歩に始まって、冒険そして前回はアートと進んで、今回は予告通り遍歴の俳人・山頭火が登場です。

「遊歩とは、限りなき自己への旅立ち」…。ここまで少しずつ「遊歩」の核心に近づいてきましたが、ここで少し「遊歩」と旅、それも「放浪の」とか「遍歴の」と形容される「旅」とのかかわりを考えてみたいと思います。こういう旅に身を置いた先人、身を投げ出した方々は数多くいます。古から、学問にしろ、武術にしろ、宗教上の修行にしろ、また、ごく些細なきっかけにしろ、とにかくもあてどなく、または何かを求めて「歩き」始めた人々の、それぞれの軌跡を追ってみるのも「遊歩」を深める大きなヒントになるやもしれません。

 そういう先人の一人に山頭火がいます。このブログにも度々に引用させていただいています。奇しくも3年前にこの地(山口県)へ移住してきて、近くにあった彼の人の生家近くへも寄ってみましたが、地の人たちの山頭火への視線は、外部で抱いている孤高の俳人という視線とは少し違っているようでした。生活者としての負のイメージ(事業の失敗、夜逃げなど)が強かったようで、やや冷ややかな視線を感じるところもあります。全国的な彼の人への熱いブームもあって、地元でも再評価されたのは、平成の世になってからのようです。
(追記:平成29年になって、やっと種田山頭火顕彰記念館が生家近くにオープン)。

 山頭火のアルバムを20年ぶりに本棚から引っ張り出して読み返しました。もともと私自身、詩歌、俳句などに何の造詣もなく、ブログ用に句をつまみ食いをしているだけで、山頭火へ深く傾斜している訳でもなく、どちらかといえば生活者としてのひ弱さに対して(共感を抱きつつも?)嫌悪を感じることも多くあります。

  分け入っても分け入っても青い山 〔山頭火〕

 この遍歴を告げる句の前書きには「解くすべもない戸惑いを背負うて。行乞流転の旅にでた」と記されています。お堂で悠然と禅をむすんでいるだけでは己を掴まえきれなかった。とにもかくにも居を温めておれずに山頭火は歩き始めたのでしょう。彼にとっては確かな目算があって歩き出したのではなく、背負った戸惑いを解くために、つまり、我執にからまれ動きのとれない心を動かすために、とにかくは「歩き」始めるしかなかったのかもしれません。
「心があることにしがみついて動こうにも動けない。動けない心を動かすためには、体をうごかさなければならない。歩き続けるしかなかった。」

 20数年前、この句に出会った時は、私は唖然としました。C.フレッチャー「遊歩大全」の前書きを、瞳孔が開ききったままで読んだような感動とよく似た、いや全く同質な感動に襲われました。
狂ったような、這いずるような不明の遊歩を続けていた自分を、この15文字の句がすっぽりとおおい包んでくれた。「まるでその通りだろう!」この共感は解脱にちかい感動ともいえます。

「分け入っても分け入っても青い山」 山頭火にとっては、<原郷>を得ない者の このもどかしさを読んだのかも知れないですが、私にとっては青い山のそれ以上でも以下でもない自明の「遊歩」に光をさし照らしてくれるものでした。

▲上の写真/C.フレッチャーの「遊歩大全」の表紙挿絵(左)と山頭火アルバム(春陽堂)のグラビアを拝借しました。

私には、C.フレッチャーと山頭火の後ろ姿が二重に映ります。

『遊歩のススメ』
●読本10:遍歴、放浪の俳人・山頭火に見る〝遊歩〟
●読本6:ウォーキングは健全なる狂気である?(C.フレッチャー/遊歩大全)

 ■遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。








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自分と出会う「アート」なの?

2006年11月22日 | ■遊歩資料アーカイブ

親バカですいません。娘の入選作を学校美術展へこっそり一人で見にいきました。何やら気恥ずかしくてそこそこで退散しました。
と言う訳でアートにちなんだお題に(無理やり)もっていきましょう。

 【遊歩のススメ】No.04

■遊歩は「アート」そのものなのだ!

スポーツとしての遊歩に始まって、冒険と進んできましたが、今回はアートという切り口で「遊歩」を見てみましょう。
「パフォーマンス」という言葉、最近では、今では生活用語ですが、本来は一つの先鋭的な芸術思潮で60年~70年アメリカのアーティストを中心に流行しました。簡単に言えば「アートとは作品そのものでなく、作品にいたるまでの行為こそアートなのだ」と言うことです。
初期の遊歩仲間には、私を含めモダンダンスをやっていたメンバーが数人いたこともあって、「歩き」をダンス表現の一つとして考えてみようという試みがありました。まさに再現不能の一回性アート、六甲山という巨大なステージで、観客不在のパフォーマンスでした。

東お多福山の草原でストレッチをした他は、別に踊りながら歩いた訳ではなく、見かけはごく普通のハイキングとさほど変わりないものでした。しかし、これを期に「歩き」における自己の表出の可能性を深く考えることとなりました。
その後「近所登山パフォーマンス」と称した遊歩を、公募したメンバーで十数回おこないました。参加者の多くが「ん?」「アートとしての歩き?」「自己の表出?」「なんのこっちゃ?」と思いつつ、戸惑いつつ、我が遊歩に付き合ってくれました。
昨今「アウトドア」と称して、実は「インドア」、歩きもせずキャンプ場まで車で来て、ほとんど家にいるのと変わらない設備で、自然をおう歌しているふうな連中が多いですが、そういう似非アウトドアではない、目の前の扉をたたき破って「外へ」うって出ようとするパフォーマンスへと邁進していきました。(イノシシのように)

「山へ行けば、自然に出会えるとは限らない」
「自然と出会うための心とは?」
「自然と出会う時にまだ見ぬ自分を発見する」そして
「己との出会いこそが遊歩なのだ!」

などという屁理屈で立ち向かっても巨大なステージにさんざん跳ねかえされるのがおち、それよりもより自然というステージの中に、素直に溶け込み、自分を委ねてしまうことの方がいかに自分らしくなれるものか。アートとは自己の表出に他ならない。そこには平安な感性や想いだけではなく、屈折したり、押し込められた、歪なものもあるでしょう。この社会のあふれた情報に混乱して、自分自身や自らの進む道を見失いがちな自分をとにかく表出させようと来る日もくる日も歩き続けました。

過酷な登りに喘ごう! 気の根につまずこう! 暗闇に脅えよう! 風や沢の水に感謝しよう! 雪や氷壁に驚こう! 素直に、あるがままに! 

いつの日か、山頂に立つ一歩が大切なのでなく、それに至る全ての一歩が大切だと言うことが、うなずける自分と出会えるようになりました。今までに見知らなかった自分、隠されていた己を発見することが、どれだけ私を自由にさせてくれたか。これぞ素晴らしいパフォーマンスに違いありません。

さあ!次は、いよいよ山頭火の戸惑いの歩きに肉薄する「遍歴の遊歩」がお題なのか?


 舞踏とは自らの肉体と出会うことだ 〔土方 巽〕

   遊歩もまさしくそうありたいものです。



■新ブログ・文人たちに見る〝遊歩〟
・解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
・何時までも歩いていたいよう!(中原中也)

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遊歩大全をバイブルとして六甲山を巡り歩いた老いた遊歩人とブラインドサイト(盲視)という不思議な能力をもつ全盲の青年とが、巻き起こすミステリアスな物語です。六甲全山縦走から穂高縦走へ・・・
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