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池上彰「パクリ疑惑」へ「Me Too」騒動   / 著作物でも不可解な行為

2018-09-14 13:42:11 | マスコミ

池上彰「パクリ疑惑」へ「Me Too」騒動

2018年09月11日 17:30   アゴラ  八幡一郎
 

池上彰氏の番組について「池上彰のパクリを八幡和郎が告発」などと話題になっています。

これは、この件を報道したメディアが付けたタイトルで、ちょっと言い過ぎです。

池上氏と八幡氏


池上彰の番組から取材があってさんざん時間を取らされたあと、「池上の番組の方針で、番組では八幡さんの

意見ではなく池上の意見として紹介しますがご了解いただけるでしょうか」といわれたので、

断固、「私が言ったことをいっさい使ったりよく似たことを池上に言わせないように」といって

電話を切ったことがある。こんなのがジャーナリストのような顔してるのがおかしい。


という投稿をFacebookでしたら、なんと2500をはるかに超える「いいね」をいただき700人以上の方がシェア

されています。

 

もっとも投稿といっても、池上氏の番組で一般の小学生のように見せて、劇団ひまわりの子に

「トランプさんが校長先生で安倍さんが担任の先生みたいな」「身分が違うような違うように見えてきちゃいました」

「やっぱり日本も自分の考えていることをちゃんと言った方がいいと思います」としゃべらせたという話が

ネットに載っていたので、それを紹介するついでにコメントしただけで、最近のことではありません。


ところが、この投稿を見た方から、「私もだ」という声が続々と上がっています。とくに、、宮下研一さんから

以下のようなコメントがあったので、私に対してだけでなく、常習的なものだと分かりました。


全く同様の経験があります。私が関連するホームページの中身をテレビで発表したいと言って、

事務所の人間が取材。こちらも喜んで懇切丁寧に説明しました。


ところが最後に「池上の方針で池上の意見として」と、全く同じ言い方をしたのです。

何が池上の方針だ!


かっぱらいが「これからお宅の商品をただで持っていくが、決して泥棒じゃないよ。それが俺の方針だ」と

言うようなもの。すぐに断りました。ジャーナリストなんて言ってますが、記事泥棒ですね。

説教泥棒っぽい感じもありました。』


宮下さんが書かれているように、私も「池上の方針で池上の意見として」という表現を私にも使ったということなので

驚きました。つまりディレクターの意向でなく、池上さん本人の方針だという言い方でした。誰がこういってるという

いいかたをせずに、あたかも自分の意見であるようにいうというのが、方針らしいのです。


私の記憶だけでは間違いがあってはいけないと思って最初の投稿では、表現を曖昧にしていたのですが、

宮下さんに対しても同じ発言があったのなら、私の記憶で間違いないと思いますし、ディレクターの独断でも

なさそうです。逆にいうとディレクターは内心忸怩(じくじ)たるものがあって、「池上の方針」といったの

かもしれません。


問題はより深刻だと思います。


普通は、一般的な知識でなく特定の人が唱えている説を紹介するときは、誰それの意見ではとか、

それを言わないまでも、「といっている人がいる」とかいうものだからです。

やはり、自分のオリジナルでもないことをいうときには、あたかも自分の見識を開陳しているというイメージの

言い方は避けるべきだと思います。


そこは、NHKの子供向けの番組のときと同じポジションであるべきではないと思います。

ちなみに、NHK時代の番組は現在のように偏っていなかったし、私も非常に高く評価して小学生の子供の

中学受験対策に見せていたのです。


「私も」という声はその後も、いろんな方から上がっています。板東忠信、有本香、高橋洋一といった方からも

声が上がって、いまや、「Me Too」運動状態です。板東忠信さんのTwitterでの投稿はこんなこと書いてます。


池上彰さんのネタ取り、テレ朝から私にも来ましたよ。簡単に言うと

● 名前は出さない
● 私が出演するわけでもない
● 私が話したことを池上さんが話すので局に来て事前チェックしてほしい

ということでした。都合のいいことやってんなあ、と思ったのを覚えてます。

 

こんなことで 私が“Me Too運動”の主役になるとは思いもしませんでしたが、別に池上氏を告発するとか言う気は

ありません。しかし、やはり、他人が言論として、あるいは、自説として書いた意見をあたかも自分の意見のように

テレビで仰るのはこれを機会におやめになった方がいいと思います。


「特定の先生が言ったことを自分の意見として言うことはありえない」と池上氏は仰っているようですが、

もし、そうなら、スタッフが用意した原稿を、誰かの意見だというような説明すら聞かされずに、俳優の台詞として

仰っていたと言うことなのでしょうか。

 


池上彰氏は著作物でも不可解な行為

2018年09月12日 19:00   アゴラ 中村仁
 

参考文献、引用部分が不明

論客のブロガー、八幡和郎氏(元通産官僚)が人気絶頂のジャーナリスト、池上彰氏を厳しく批判しています。

池上氏は多くのテレビでジャーナリズム番組を持ち、一方でおびただしい数の著書も出版しています。

パクリに当たることもしているのではないかとの批判が聞かれます。NHK出身で経験豊富だとしても、なぜこんな

超人的な活躍ができるのだろうかと、疑問を持っていた人は多いでしょう。

 

池上氏の著書についていえば、参考にしたであろう文献、論文をほとんど明示していないのを、私はずっと

不思議に思ってきました。どこまでが自力の取材、研究の成果で、どの部分が第三者から学んだのかの境界線が

分からないことがあまりにも多いのです。


私は「池上彰の自慢の新書ー大世界史の難点」(15年11月9日)、「池上さん、本の書きすぎが心配」(15年3月18日)

のタイトルで、著作権法の引用規定を守っているのかどうかという観点からブログを書きました。

第三者の研究成果を取り入れているとすれば、それを明示しないのは、フェアでないという問題意識です。


池上氏の意見ということに

著作物の問題に言及する前に、八幡氏がフェイスブックに投稿したテレビ番組の問題を先にいたします。

あるテーマで「池上さんの番組から取材(電話?)を受けた。さんざん時間を取らされた後、最後に池上の方針で、

番組では八幡さんの意見ではなく、池上の意見として紹介します。了解していただけますか」と、いうのです。


これには驚き、八幡氏は「私が言ったことを番組で使ったり、池上さんに似たようなことを言わせないように」と、

担当者に強く申し入れました。「一般的な知識ではなく、特定の人が唱えている説を紹介する時は、だれそれの

意見ではとか、〇〇と言っている人がいる、というべきだ」。

 

「自分のオリジナルでないことを言う時は、あたかも自分の意見を開陳しているというイメージは避けるべきだ」と、

八幡さんは怒っています。池上氏の著作物について、第三者の成果が出所の明示がないまま、

紛れ込んでいるのではないかと、私が感じたことが、テレビ番組でも起きているのではないか。

八幡さんに対するコメントには「自分も同じ経験をした」という声も寄せられています。

 

気鋭のイスラム学者、池内氏の批判


著作物の話に戻ります。私が「はやりそうか」と思ったのは、気鋭のイスラム研究者で、その分野の著書が多い

池内恵・東大准教授がネットに投稿しているのを読んだ時です。

池内氏は「あなたの本には、池上さんの本に載っているようなことが書かれている」と、指摘され、驚いたというのです。

実態は逆で、池内氏の本が先で、池上氏の本が後であるはず、という疑問を持ったのでしょう。

 

池内氏は中東に独自の研究、取材拠点も持ち、中東問題では最先端をいっているとされます。何が自分の

オリジナルな成果であるか、当然、熟知しています。池上氏が池内氏を先行することはまずないとの意識でしょうか。

池内氏は「池上彰本なんて、全てどこかのいろいろな本の内容をもってきている」と、酷評しました。


さらに舌鋒鋭く、池内氏は「他人の知識、情報の転用だ。なんでも知っているように見える。実際は人を使って

調べさせている」と。必死になって独自の人脈、情報源を開拓し、オリジナリティのある著書を書いたのに、

出典の明記もなく、第三者に使われているとすれば、怒るのも当然でしょう。


学問、研究の発展のために、他人の著作物を筆者に断わらず、自分の著書、論文に取り込むことはできます。

ただし、無断引用をする場合、条件があり、「引用箇所を明示する」、「出所を明示する」、

「引用部分が従で、本文が主という構成になっていなければならない」などです。

主従というのは、自分の研究成果(主)を補強(従)するためなら、第三者の成果を無断で使っていいという意味です。


私の手元に池上本が10冊ありますが、これらを見ると、引用箇所の明示も、参考文献を巻末に一括して

掲載することもほとんどない。その実例を挙げましょう。

「大世界史ー現代を生き抜く最強の教科書」(文春新書、15年発行)は元外務省の佐藤優氏との共著(対談形式)です。


佐藤氏の部分には、引用や出所の明示があります。「先日、イスラエルのインテリジェンス(情報活動、分析)

機関の元幹部と話す機会があった」という具合です。「20世紀の歴史(河合秀和訳、三省堂)を書いた

ホブズボームが非常に鋭い見方をしている」など。

 

池上氏も出所の明示は皆無とはいいません。知人を通じて確認したところ、同じ佐藤氏との対談本で

東洋経済から出た書籍(「僕らが毎日やっている最強の読み方」)のほうは、巻末に出典を羅列していました。

しかし、刊行済みの書籍によっては、出典が十分に示されていないものがあるのは確かです。

 

複雑な話も分かりやすく説明する人物としては、池上氏は有数でしょう。惜しいですね。

テレビ番組については八幡氏、著作物については池内氏に、厳しく問題点を指摘されているのですから、

番組の制作方法、著作権法の引用規定に関する考え方などを説明されるといいですね。


 
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