スーチーが「民族浄化」を批判できない理由
軍をかばうかのようなスーチーの発言に国際社会は失望している
<ロヒンギャに対する軍部の残虐行為を黙認している、と激しい非難をスーチーは浴びているが>
ミャンマーの国家顧問で実質的な最高指導者であるアウンサンスーチーはここ3カ月、厳しい試練にさらされている。
西部ラカイン州に住むイスラム教徒の少数民族ロヒンギャに対し、国軍が虐殺やレイプなど組織的な迫害を行った問
題で、ミャンマー政府は国際社会から非難の集中砲火を浴びた。
とりわけスーチーに対する風当たりは強い。「スーチーには失望した」「ノーベル平和賞受賞者で、世界の人権運動の
シンボルなのに、なぜこの問題では言葉を濁しているのか」といった批判が渦巻いている。
ミャンマーの人々に「国母」と慕われるスーチーだが、期待が大きければ失望もまた大きい。経済、教育、報道の自由
など、あらゆる分野で改革の遅れが目立つことでも、彼女は非難の矢面に立たされている。
だが忘れてはならないのはスーチーを取り巻く状況だ。改革派と抵抗勢力が激しくせめぎ合い、さまざまな既得権益
集団が複雑な綱引きを繰り広げている。
まず現行憲法の縛りがある。スーチー率いる与党・国民民主連盟(NLD)は憲法改正を目指しているが、軍の権限を
めぐり激しい攻防が予想される。
現行憲法では連邦議会の議席の25%を軍人が占め、さらに軍政下の政権与党だった連邦団結発展党(USDP)の
議員がそれに加わる。国軍の最高司令官は文民ではなく軍人が務め、国防相、内務相、国境相も国軍最高司令官
が指名する。
大きな誤解は、スーチーにはロヒンギャの虐殺を止める力があったのに止めなかったという認識だ。現政権もスー
チーも、軍に対しては何の権限も持っていない。軍による人権侵害でスーチーを責めるのは、まったくの筋違いだ。
文民政権がつぶされる
軍の決定を阻止できないまでも、政権与党の指導者として、軍の行為を強く非難することはできたはずだ――そう
言ってスーチーを批判する人々もいる。
確かに、最近のインタビューで彼女は軍のやり方には同意できないと言いつつも、ロヒンギャに対する迫害は「民族
浄化」ではないと主張している。
だが、この点でも彼女が置かれた状況を考慮する必要がある。民族浄化と認めたらどうなるか。
半世紀にわたって人々を苦しめてきた軍政は文民政権に部分的にせよ権限を移譲したが、それには厳しい条件が付
いた。軍のやることには目をつぶり、沈黙を守ること。スーチーが強く軍を非難すれば、現政権ばかりか、生まれたば
かりのミャンマーの民主主義も即座につぶされるだろう。
軍はスーチーを必要としている。半世紀に及ぶ鎖国状態から脱して経済的に門戸を開放し、外資を呼び込むには、彼
女と手を組むしかない。
スーチーとNLDは軍に協力する代わりに限定的な行政権限を握り、教育、エネルギー、インフラなど山積する問題を
少しずつ解決しようとしている。その過程でじわじわと軍の権限を切り崩し、完全な民政移管を実現しようとしている
のだ。
こうした現実は美しくないし、感動的でもない。だが真の自由は一夜にして勝ち取れるものではない。何年にも及ぶ闘
いや揺り戻し、妥協や取引を経てようやく実現する。理想的ではなく、分かりやすくもないが、それが現実の政治とい
うものだ。
スーチーとNLDが政権を獲得してからまだ1年余り。軍政の負の遺産を一掃するには、これから何年もかかるだろう。
From thediplomat.com