南スーダンの衝突再燃、激しい交戦で死者150人超か
2016.07.11 Mon posted at 12:05 CNN
(CNN) 南スーダンの首都ジュバで大統領支持派と副大統領支持派の衝突が激化し、国連によると10日も戦闘が続いている。
一方、同国のルエス情報相は、首都は完全掌握できていると強調した。
今回の戦闘による死者の数は不明だが、約150人とする情報も、270人以上とする情報もある。
ルエス情報相は地元放送局に対し、衝突によって教会の礼拝に支障が出たものの、その後戦闘は収まったと説明。
「現時点で状況は平穏であり、正常だ。 ジュバの街は政府が完全掌握している」とした。
しかし後にこの発言を修正し、政府が掌握できていない地域もあると明らかにした。
情報相によると、キール大統領は一方的な停戦を宣言し、マシャール副大統領に対しても停戦を促す方針。
国連南スーダン派遣団(UNMISS)は10日、ジュバ郊外にある国連施設前で銃声や激しい交戦の音が聞こえると伝えた。
米大使館も、UNMISS本部や空港付近で戦闘が続いているとして警戒を呼びかけている。
避難民キャンプに身を寄せていた1000人は避難を強いられ、UNMISSの施設にも戦闘の影響が出ているという。
南スーダンは9日で独立から5年を迎え、大統領府でキール大統領とマシャール副大統領が会談してこれまでの衝突について話し合っ
ていたところ、大統領府の前で銃撃戦が発生した。
これに先立つ7日夕には散発的な衝突があり、8日には大統領派と副大統領派の銃撃戦に発展して、副大統領の広報によれば9日ま
でに約150人が死亡したという。
衝突は9日遅くにいったん収まったものの、10日の銃撃戦は緊張がまだ続いていることを物語る。
南スーダンへ自衛機3機を派遣、邦人退避を準備
東京 11日 ロイター] - 中谷元防衛相は11日夕、南スーダンからの日本人の退避に備え、自衛隊の輸送機3機を隣国ジブチへ派
遣することを命じた。
現地では大統領派と反大統領派の 戦闘が激化。各国が自国民の退避を準備するなど事態が緊迫する中、日本人も約70人が首都
ジュバから動けない状態が続いている。
1機目の輸送機は愛知県の小牧基地をすでに離陸。給油のため自衛隊の那覇基地など数カ所を経由してジブチまで飛行する。
14日にも到着する見通し。残りの輸送機も、準備が整い次第出発する。
中谷防衛相は記者団に対し、「迅速な安全な退避のため、他国軍による輸送も含め、あらゆる可能性を追求する。
(実際の輸送は)情報をしっかり把握し、現地の状況をみて判断したい」と語った。
現地にいる日本人は、国際協力機構(JICA)の関係者47人を含め約70人。
ジュバのホテルなどから身動きが取れない状態で、国連平和維持活動(PKO)のために駐留中の自衛隊部隊が空港まで車両で輸送
することも検討している。
自衛隊のPKO部隊も、情勢が悪化した7日以降は宿営地にとどまっている。
自衛隊の輸送機で実際に日本人を退避させれば2例目となる。前回は2004年4月、イラクからクウェートまで報道陣を運んだ。
自衛隊PKO
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内戦危機の南スーダン、誰と誰がなぜ対立してるのか
2013年12月15日、アフリカ北東部にある南スーダンで軍の一部が反乱を起こし、他の部隊との間で戦闘が発生しました。
これをきっかけに戦闘は国内の 各地に広がり、年明けまでに数千人が死亡し、約20万人(南スーダンの人口は約1000万人)が避難
する事態になりました。
2011年に誕生、最も若い独立国
南スーダンは2011年7月、スーダンの南部が分離独立してできた、世界で最も若い独立国家です。
かつてのスーダンでは、アラブ系のイスラム教徒が多い北部が、アフリカ系のキリスト教徒が多い南部を支配する構図が定着していま
した。
これに対する反発から、1955年から72年まで第一次内戦が、1983年には第二次内戦が発生。
20年近く続いた第二次内戦の果てに、2005 年1月には南北間で即時停戦、南部に暫定自治政府を設置すること、さらに将来的に独
立に関する住民投票を南部で実施することなどに合意。
6年近くの暫定自 治を経て、2011年1月に実施された住民投票の結果、南スーダンは独立を達成したのです。
大統領と前副大統領が対立、民族間の戦闘に
ところが、南スーダンでは独立から間もなく、内部分裂が深刻になりました。キーパーソンになったのは、キール大統領とマシャール前
副大統領の二人でした。
もともと、この二人が所属し、南スーダン政府を握るスーダン人民解放運動(SPLM)は、スーダンからの独立を目指して戦ったゲリラ
組織です。
しかし、SPLMはアフリカ系キリスト教徒がほとんどという点で共通しながらも、内部は必ずしも一枚岩ではありません。
キール大統領は南スーダン最大の民族ディンカの出身で、これに対してマシャール前副大統領は人口で二番目に大きい民族ヌエル
の出身です。
スーダン からの独立闘争の最中には、マシャール率いるヌエルのグループが、キール率いるディンカの主流派と対立し、
一時SPLMを離れた経緯があります。
独立後、マシャール氏が副大統領に就任したことで、この派閥争いは沈静化したかにみえました。
しかし、SPLM内部での対立は続き、最終的に 2013年7月にキール大統領がマシャール副大統領を罷免。
これに対して、マシャール氏は「キールが独裁化した」と非難。
マシャール派の兵士が蜂起して政 府軍と衝突すると、キール大統領は「マシャールがクーデタを起こした」と非難。
民族間の戦闘が一気に拡大したのです。(クーデター未遂事件)
和平交渉の行方は
南スーダンはアフリカでも指折りの産油国で、国家収入の98パーセントが石油収入といわれます。
南スーダンには 特に米国と中国の石油企業が急速に進出していますが、2013年の戦闘で北部の油田地帯が反乱軍に制圧され、
これらの外国人も退避を余儀なくされてました。
そのため、2013年12月24日には国連安保理が、平和維持部隊を6000名近く増派することを決議。
これと並行して、米国や中国、さらにスーダンもキール派とマシャール派に停戦を呼びかけ、2014年1月には隣国エチオピア政府の仲
介で和平交渉が始まりました。
政府間開発機構が仲介に入り、和平協議が続けられた結果、2015年8月、政府間開発機構による調停の下、
対立していたキール大統領派とマシャール派が調停案を受け入れ、紛争解決に関する合意文書へ署名を行なった。
2015年8月の調停までに5万人が死亡、避難民は230万人以上と推定されている
2016年4月26日、合意文章に基づき、マシャール前副大統領が第一副大統領に就任し、
4月29日、国民統一暫定政府が設立された。
しかし合意後も両陣営から協定の細部への不満に加え、内戦中の戦争犯罪の特別法廷の設置や州の再編案などで対立は続き、
内戦により疲弊しきった経済はインフレ率295%のハイパーインフレーションを引き起こしており、
首都ジュバでは両陣営による銃撃戦が断続的に続くなど内戦再燃の危機が高まり、2016年7月、現地で支援活動を行う日本を含め
た欧米各国は国外退避を決定している。
2015年8月の調停までに5万人が死亡、避難民は230万人以上と推定されている
失敗国家ランキングでは、2014年・2015年の2年連続で1位となった
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