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我が国を守らなければ、全ての自由は無くなる。::令和時代になぜ憲法改正(その1)世界で目撃 日本国憲法の異端 / (その2)日本国憲法書いたアメリカ人の述懐

2019-10-30 15:19:16 | 憲法・法制・条例等

 令和時代になぜ憲法改正 

(その1)世界で目撃 日本国憲法の異端

2019/10/14  Japan In-depth  古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

新元号『令和』を発表する菅官房長官(2019年4月1日)出典:内閣官房内閣広報室

【まとめ】

・外国の激動の中で実感する日本国憲法の異様性。

・この異様な状態を令和の新時代に変えねばならない。

・憲法論議でアメリカという要素は極めて重要。

 

■ 世界で目撃した日本国憲法の異端

令和の時代が幕を開け、日本にとっての新たな始動が感じられるようになった。

私自身はアメリカの首都ワシントンにあって、報道活動を続けるなかで世界の情勢が令和の始まりで

区切られることはないとわかっていても、日本にとっての新時代の新たな輝きは日本人として自然に

実感してしまう。

日本にとっての新時代のスタートとなれば、どうしてもその曲がり角に立って、日本という国の

あり方を改めて考えてしまう。昭和、平成、令和と長い年月、日本の外にあって日本をみつめ、

考えてきた私にとって、日本のあり方という命題となれば、まず迫ってくるのは日本国憲法である。

▲写真 日本国憲法 原本 (2014年5月6日)出典:Flickr; Ryo FUKAsawa

 


いまの日本国憲法は日本を国家であって国家ではなくしている。国家が自国や自国民を守るという

最小限の責務をもないがしろにさせる。日本を国際社会の平和を守るという共同作業にも背を向ける

異端の存在としている。日本国民にも外部の国際情勢がどのような現実で動くのかの理解を妨げている――

私はこのように思うのだ。


いまの憲法が顕在、潜在に日本国自身を抑える要素の異様性を外国の激動のなかでも実感してきた。


たとえば、1975年、ベトナム戦争の終結時に勝利した北ベトナムの首脳が国家や民族にとって

「独立と自由より貴重なものはない」と宣言するのを聞いた。憲法が日本にとってなによりも貴重だと

する平和を優先するならば独立も自由も犠牲になりうるという日本の戦後パラダイムの異端を瞬時、

痛感した。


1999年、中国の北京では建国50周年記念の式典で核兵器を開発した科学者たちへの改めての国家と

人民からの謝意の表明を目撃した。核兵器こそが自国の自立と発展を可能にするのだという国家主席

からの言明があった。これまた戦力すべてを否定するに等しい日本の憲法とは正反対の価値観だった。


2017年、アメリカ議会下院公聴会で民主党の有力議員が「日本は防衛面の対米協力をいつも憲法を

口実に断るが、なぜ憲法を変えてアメリカに協力しないのか」と非難するのを目前に聞いた。

日本が集団的自衛権を行使できないならば、トランプ政権は尖閣諸島を守るな、との主張だった。

▲写真 尖閣諸島 出典: 石垣市ホームページ


日本の憲法は自国を防衛することも自縄自縛としている要素が強い。いくつもの特別な条件を

つけないと、自国を守る行動をとれない。そんな国家はいまの世界には他に存在しない。


アメリカでもイギリスでも中国でも、あるいは北朝鮮でも韓国でも、自国を軍事力で防衛することは

国家の自然な責務だという大前提が自明の理となっているのだ。


だがわが日本は世界でもまったく例外的な憲法によりその自明が自明ではないのである。この異様な

状態を令和の新時代にはぜひとも変えねばならないと切望してしまうのである。


さていまの日本の憲法への私の基本的な考えを以上のように明らかにしたうえで、憲法とアメリカとの

関係について報告したい。憲法の今後を考えるためにはアメリカという要素はきわめて重要であるのに、

日本での憲法論議で意外とアメリカへの言及は少ない。

当然ながら日本の憲法は日本独自の課題である。そこに外国の事情や思惑を介入させる必要はない。

ただし、この基本が原則であってもアメリカという国の意義は例外である。

 ▲写真 日の丸と星条旗 出典:在日本アメリカ大使館 facebook

 


その理由の第一は日本国憲法がアメリカによって書かれたという事実である。

第二には日本の憲法が縛る日本の防衛の欠陥をアメリカが補ってきたという現実である。

日本国憲法とアメリカとの関連について以上の二点を主体に私自身の体験を基礎として論考することと

したい。


憲法第9条を忠実に解釈すれば、日本は自国の防衛も禁じられているようにも思える。

いや、憲法の本来の趣旨としてはその解釈も十二分に成り立つのである。この点にも実はアメリカという

歴史的な要因が作用しているのだ。

 

(その2)日本国憲法書いたアメリカ人の述懐

 厚木に到着したダグラス・マッカーサー元帥(1945年8月30日)出典:Public domain


【まとめ】

・起草した米国人が述懐。「9条の目的は日本の永久非武装」。

・東西冷戦、朝鮮戦争で米は「日本の非武装」を悔いる。

・伏せられた米国製憲法の事実。米は改憲望むも実現せず。

 

さて第一のアメリカによる日本国憲法づくりについて説明しよう。

「憲法第9条の目的は日本を永久に非武装にしておくことでした」

私は日本国憲法起草の実務責任者チャールズ・ケーディス氏から直接に聞いた言葉をいまも忘れる

ことはできない。同氏は日本を占領した米軍の総司令部(GHQ)の民政局次長だった。1946年2月、

GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥からの命令で急遽、憲法草案づくりにあたった米軍専門家

たちの責任者で当時、陸軍大佐だった。

▲写真 チャールズ・ケーディス氏(1945-48年頃撮影)出典: Public domain

 

私はケーディス氏に1981年4月にニューヨークで会い、4時間近く、日本国憲法草案づくりの実態に

ついて話しを聞いた。おこがましいが、日本国憲法を書いたアメリカ側の責任者から直接に詳細な

回顧を聞いた日本人はきわめて少ないと思う。だからこそその記録はできるだけ多くの日本国民に

知ってほしいと願うわけだ。ただしケーディス氏とのインタビュー記録はいくつかの場所で公表してきた。

全容は私の著書「憲法が日本を亡ぼす」(海竜社)に掲載した。


さてケーディス氏は当時の勤務先のウォール街の法律事務所に私を温かく迎えてくれた。

そして日本国憲法草案作成についてはもうアメリカ当局の秘守義務は一切ないという点を明言した

うえで、当時の資料をときおり点検しながら、驚くほど率直に憲法づくりの実態を語ってくれた。

 

▲ 「憲法改正要綱」(「松本案」)に対するケーディスの所見(1946年2月12日)出典: 国立国会図書館

 


「当時のアメリカの意向は日本を二度と軍事大国にさせないために非武装にしておくことでした。

当初の上からの指令では『日本は自国の防衛のためでも戦争を放棄する』という項目を入れることに

なっていましたが、私の一存でこれでは国家となりえないと判断して、その項を削除しました」

 

ケーディス氏はこんなことまで淡々と話した。そして当のアメリカ政府がその後すぐの朝鮮戦争勃発

などで日本の非武装を悔いるようになったことを告げた。

 

▲写真 朝鮮戦争で仁川に上陸した国連軍(1950年9月15日)出典:Public domain

 

 

日本国憲法はその作成の時点での意図は日本の非武装だったのだ。しかも日本を占領していたアメリカの

その時点での一方的な命令だったのだ。日本からすべての国家防衛の能力も手段も奪ってしまうことが

真意だったのである。

 

だから憲法第9条はよく読めば読むほど、日本は防衛とか軍事とか戦争とかには一切、かかわっては

ならないという意味に解釈できるのである。

 

ただしアメリカ自身がその意思をすぐに変えることとなった事情は日本側でも広く知られてきた。

 


しかし1946年2月の10日間ほどであわただしく書かれた日本国憲法は日本に対して他の主権国家で

あれば自明の自国の防衛の権利を否定することが主目的だった。しかも日本は当時、主権国家でも、

独立国家でもなく、米軍の占領地域だったのである。

 


第二次大戦後の世界の潮流のなかでみれば、超大国のアメリカが日本に対する戦勝直後の特殊な時期に

対外政策、対アジア政策の一貫として決めたのが「日本の永久的な非武装」だったのだ。その後すぐに

激しくなるソ連との軍事対立や北朝鮮の南への全面侵攻という展開を予期しない、ごく短い小休止の

ような時期に決めた日本の憲法9条だったのである。

 


起草者のケーディス氏自身が「アメリカ政府はすぐに日本に憲法を改正してほしかったが難しかった」

とか「私自身も日本はとっくに改憲をすべきだったと思う」などと述懐していたのが皮肉だった。

 


しかし日本国憲法はその起源がどうあれ、日本国民の多数派に支持されてきた。その後の東西冷戦の

ソ連の軍事脅威に対しても日本は防衛努力を最小限に抑え、経済復興に専念できた。 

 

▲写真 富士総合火力演習(2019年8月25日)出典:防衛省・自衛隊ホームページ

 

 

だからいまの憲法がアメリカ製の押しつけであっても、占領下の作成でも、日本の国家主権を自縄自縛に

する規制であっても、いいではないか、という議論は成り立つだろう。

 


ただしこの種の主張の欠陥となるのは日本国憲法がまったくのアメリカ製だった事実が長年、日本国民に

対して隠されてきたことである。護憲の主張ではその憲法の生い立ちがまったく曖昧にされてしまう

点にも問題がある。

 


こうした憲法の生い立ちを知ったうえで憲法第9条を改めて読むと、この記述から自衛隊を違憲だと

する解釈が生まれてもふしぎはないと感じる向きが多いだろう。なぜなら本来の第9条はまさに日本の

非武装を意図して書かれていたからである。


【註】この記事は日本戦略研究フォーラム季報(2019年10月刊行)に掲載された古森義久氏の論文の転載です

 

日本の周りは核だらけ。現憲法の異常さに気付こう。::令和時代になぜ憲法改正(その3) 改憲を求めるアメリカ / (その4)カラスも行使する集団的自衛権

 

 
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