EMERALD WEB≪拝啓 福澤諭吉さま≫

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「革命の英雄」が独裁者に変貌したニカラグアの惨状

2018-10-01 07:00:05 | 南米
 

 1972年、大きな地震が起こり、首都のマナグアは壊滅状態になった。ただでさえ貧しい国である。

大地震により瓦礫となったこの国は、その後復興の道をたどったかというとそうではない。左派勢力に

よる革命が起こり、社会主義政権が誕生したものの、これに反発するコントラ(新米反政府民兵)との

間に内戦が勃発、国土は荒廃し左派政権は崩壊、反体制派がとってかわり更にその後右派の自由連合が

政権の座に就いたものの、2006年、再び左派勢力が政権の座についた。しかし、昨年来、主要な援助

供与国であったベネズエラからの支援が途絶えたことが影響し経済が疲弊、この4月からの混乱に至って

いる。

 

 この、革命勢力と反革命勢力に揺れるニカラグアにあって、現在大統領として同国を率いているのが

ダニエル・オルテガ氏である。オルテガと聞いて、昔の革命の闘士の名を思い浮かべる人もいるかも

しれない。それもそのはず、このオルテガ氏、1970年代末に、時の独裁者を倒し革命政権を樹立した

「革命の英雄」に他ならない。

 

40年以上におよぶ独裁支配を終わらせた英雄

 ニカラグアという国の実権は、長い間、ソモサ一族の手に握られていた。1936年からのアナスタシオ・

ソモサ・ガルシア氏、1957年からのその子ルイス・ソモサ・デバイレ氏、63年からのその弟アナスタシオ・

ソモサ・デバイレ氏と、実に40年以上もソモサ一族がこの国に君臨し続けた。当時、国民にとり、ソモサ

という名前は絶対で、誰もがソモサ氏を恐れていた。反逆でもしようものなら容赦ない弾圧が加えられる

という空気が国中にみなぎっていた。1960年代半ばのことである。確かに当時のアナスタシオ・ソモサ・

デバイレ大統領は堂々たる体格で他を圧倒するような威厳があった。誰もがこの大統領の前でひれ伏し

小さくなっていた。

アナスタシオ・ソモサ・デバイレ大統領

 

 そのソモサ大統領を、1962年に結成された革命組織サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が倒す。

背景には、40年以上にわたり続けられたニカラグアの独裁支配、及び数々の腐敗と利益の独占に対する

不満があった。国民の怒りがサンディニスタ革命を呼んだ。ソモサ氏は外国に亡命、サンディニスタが

政権を掌握した。

 

 このサンディニスタ革命を主導したのがオルテガ氏である。1945年生まれの現在72才。サンディニスタ

が組織された1962年当時、まだ18才の若者だった。若者の純粋な正義感はソモサの独裁を赦すわけには

いかない。しかし、オルテガ氏はサンディニスタに参加したものの政府により逮捕、7年間の獄中生活を

強いられた。その後1974年、捕虜交換により釈放、キューバに渡りカストロの下で革命の手法を学んで

いく。やがて機を見て帰国、学んだことを実践に移し、1979年、とうとうソモサ打倒に成功する。

 

 あの絶対と思われたソモサ大統領が、弱冠34才の若輩が率いるサンディニスタにより打倒される。

多くの国民は信じられない思いで革命を見守った。この時、オルテガ氏は、やや理想主義に偏るところは

あったにせよ、独裁を排し国民すべてが幸福に暮らせる国を建国する、との崇高な志に燃えていた。

それを疑う者はいない。オルテガ氏の人生第一幕は前途洋々たるものだった。実際、オルテガ氏は1984年、

民主的な選挙により大統領に選出、矢継ぎ早に社会インフラの整備、福祉の充実等、革命の理想を実現に

移していった。

 

現実を知ればこその「日和見主義者」

 しかし、急進的な変革は反動を呼ぶ。改革に反対する者は「コントラ」を組織、政府に対抗していった。

やがてサンディニスタ率いるニカラグア政府とコントラは武力衝突に突入、国内は内戦状態になっていく。

治安は悪化し、国土は荒廃。コントラ支持の米国による経済制裁もあり、経済は極度に疲弊、一時、6万%

に及ぶインフレが国内に吹き荒れた。

 

 混乱の中、1990年、オルテガは選挙で敗北、代わって反体制派のヴィオレッタ・バリオス・デ・

チャモロ氏が大統領になる。野に下ったオルテガ氏は、しかし、ここで諦めるような男ではなかった。

あらゆる手練手管を弄し勢力の拡充に奔走、政権復帰の機会を狙う。とうとう1999年、自由連合の

アルノルド・アレマン大統領との間に連携関係を樹立、政権与党の側に比重を移していく。

 

 人は、こういうオルテガ氏を究極のオポチュニスト(日和見主義者)と呼んだ。何と言っても社会主義

革命を主導した当人が自由主義者と手を結ぶ。しかし、本人にはそれはむしろ誉め言葉に聞こえただろう。

既にオルテガ氏は50才を超えた。政治が、清く美しい理想だけでどうにかなるものでないことを悟るには

十分すぎる年齢だ。かくてオルテガ氏の人生第二幕は権力を求め政治の世界を泳ぎ渡る政治巧者の色を

強めていく。

 

 そして2006年、大統領選挙で38%を得票、見事政権に返り咲いた。ただし、この第三幕のオルテガ氏に

昔の面影はもうない。巧みに権力の間を泳ぎ廻りようやく手に入れた大統領の座である。どんなことが

あっても手放すわけにはいかない。権力に執着し、その維持の為なら良心の呵責を感じることなく何でも

やる。

2007年、就任式典で手を振るオルテガ新大統領(左)とチャベス大統領。

 

 経済界と持ちつ持たれつの関係を作り上げ、国民は軍と警察で締め上げる。国中に監視の目を行き

渡らせ、怪しいと目された者は容赦なく引っ張る。しかし、次第に独裁の色を強めていくオルテガ大統領

に対し、社会の上層部は見て見ぬふりをした。何と言っても、大統領は我々の利益を守ってくれる。

ビジネスには手を付けない。ここでオルテガ氏が任期満了を迎えれば、その評価は、「権力志向の強い

革命家崩れ」で終わったかもしれない。

 しかし、事態は今年4月18日以降、思わぬ方向に展開していく。

 

オルテガの誤算

 オルテガ大統領が権力を維持できたのは、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領の援助によるところが

大きい。チャベス大統領は自らの影響力拡大を図るべく、潤沢な石油資金を周辺の左派政権にばらまいた。

巨額な援助資金がニカラグアに流入する。しかしそれも長くは続かない。このところの原油市場の低迷が

次第にこの資金の流れに影を落としていく。とうとう、昨年はベネズエラからの援助が止まってしまった。

 

 オルテガ大統領として、それまで寛大に振る舞ってきた福祉政策を切り詰めるしかない。加えて、昨年

11月には自動車に3000%の課税を賦課、今年3月には電気料金引き上げも決めた。更に、年金保険料の

引き上げを実施するに及び、とうとう国民の忍耐の緒が切れてしまった。4月、マナグアに大々的なデモが

組織され、各所で道路が封鎖された。これに対し、オルテガ大統領は強権を発動、先頭に立った政府系

民兵はデモ隊に容赦なく襲いかかり、これまでに多数の死者を出す大惨事に発展した。

 

 

 もはやオルテガ大統領の念頭に国民生活はない。あるのは権力の座を如何にして守るか、それだけだ。

権力に歯向かうものは容赦なく弾圧する。退陣を求める声は随所に聞かれるが、大統領は一切受け付け

ない。それどころか、妻のロサリオ・ムリーヨを後継に据えさらに延命を図ることを画策中という。

オルテガ氏自らが打倒したソモサ氏が、結局、米国、パラグアイと亡命先を替える中、最後は暗殺され

世を去ったことが頭をよぎるのだろうか。もはやオルテガ大統領にとり、権力にしがみつくことだけが

目標となってしまったかのようである。

 

 今、ニカラグアは小康状態にあるが、いつまた混乱の火の手が上がるか、国内は不気味なまでに静まり

返っている。

 

国民に一体感が生まれない「中南米の病巣」とは?

 オルテガ氏の浮き沈みの激しい人生は、革命の英雄が転落していく共通パターンそのものである。

青雲の志に燃えた18才から権力の亡者と化した72才まで、国民を独裁者の手から解放しようと決意に

燃えた若者は、結局、自らが独裁者となり国民を弾圧する側に回ってしまった。

 

 しかし、ニカラグアを見る時、革命の英雄の転落以上のものを感じざるを得ない。どうしてニカラグア

で、ソモサ一族が40年以上の独裁を続け、どうして革命が起こりソモサが打倒されたのか。どうして

革命を主導したものが再び独裁者となり国民を弾圧する側に回ってしまったのか。

 

 中南米はどこも同じだ。社会が割れている。国民に一体感がない。

 

 社会の上層部はどうせ私腹を肥やしているとの思いが、大衆の心からどうしても消えない。だから

全国民が一丸となって国造りに励むという意識がない。中南米はそういう社会構造なのだ。スペインや

ポルトガルによる植民地支配は、支配者と被支配者が厳然と分かれる社会をつくりあげた。被支配者は

満足な教育も受けられず、ただ貧困の中に毎日を送るしかなかった。支配者はただ利益をむさぼり、

国家とか国民とかの意識はほとんど持っていなかった。さらに、米国資本がこれに絡み、支配層と共に

利益を追求していった。

 

 かつてBRICSがもてはやされ、新興国の台頭が言われた時、中南米は新たな中間層の形成を通し大きな

成長が見込まれると言われた。しかし、社会が割れ、上層部のみが利益を吸い、そのおこぼれにあずから

ない大半の国民がそれを冷ややかに眺めるところに発展があるだろうか。ニカラグアには、まさにこう

いった社会構造が強固に存在する。

 

革命後に力を入れるべきは「教育」

 オルテガの変節と転落はオルテガ自身が責任を負わねばなるまい。オルテガも若いとき、ニカラグアの

社会に矛盾を感じ、ソモサ打倒に走った。しかし、ソモサの打倒には成功したが、社会の構造転換までは

力が及ばなかった。

 

 社会の基本構造は歴史の年輪を経て、長い年月の間に形作られていく。これを変えようと思えば、

それもまた長い年月の中に徐々に変えていくしかない。結局、オルテガ氏にとり革命が成就した後こそ

重要だった。社会の根本的なところ、つまり「人」にこそ手を入れるべきだった。それは「教育」である。

教育こそがニカラグア社会の矛盾を解決するカギだった。教育を通し、下層の者が上層に上がれる仕組み

を作り、努力が報われる社会をつくるべきだった。教育により、割れた社会を一体化すべきだった。

 

 しかし、教育をなおざりにし、「割れた社会」の中に生きてきた中南米の指導者が、そこに思いが至る

ことはほとんどない。

 


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