教員の定額残業代を4%から10%に増額すると言う働き方改革に
ついて「定額働かせ放題の枠組みは残る」としたNHKの報道に
文科省は「一面的で遺憾」と抗議文を送ったという。
教師はもちろん多くの国民も「働かせ放題の定額残業制」の本質
が変わっていないことを知っている。「国民に誤解を与える表現」と
いう文科省の「本質を誤解させよう」とする意図である。
壬生道ウォークの2回目。まずは城下町かつ宿場町の壬生見物。
地図を睨みながら、大師町南の交差点で西に曲がる壬生道の内側に
点在する見どころをグルグルと左回りに巡ることにする。
まずは壬生駅入口から少し北に歩いた本陣跡。「自転車屋さんの
あたり」という先達の表現に、この増田輪業店だろうかと道を渡る。
先達が歩いたころはなかった(?)口碑がしっかりと立つ。
実はこれより手前にもっと「らしい」松本内科の屋敷があった。
広い駐車場の奥、見事な四脚門だが何も掲示は無い。それにしても
松本家は壬生の名家のようである。
通学の小学生で賑わう役場入口交差点の先に石崎醫院跡。うーん、
これはレトロだ。
次の興光寺は家康の骸が日光入御の時に通夜が行われたという寺。
この折に葵の紋が与えられた。元々は本陣松本家の隠居所だった。
脇の細道で次の常楽寺に向かう。常楽寺と言えば信州別所温泉の
「三楽寺」の一つ北向観音の本坊である。ここの常楽寺は初代壬生
城主の壬生胤業(タネヨリ)が寺領二十六万石を寄進して創建。
北条氏に付いたため北条家と共に壬生家は絶えたが、三代壬生藩主、
鳥居忠英(タダテル)の帰依を受け鳥居家の菩提寺となった。門前から
境内までとにかく広大な寺である。
ここだけ真新しい仁王門には仁王が四体。
壬生藩主鳥居家の墓。
メインスポットの壬生城址にはどうしても裏から入ることになる。
その北西角にあるのが精忠神社。関ケ原合戦前、突然挙兵した西軍
(光成)に対して大劣勢ながら伏見城を十三日間守った末自刃した
鳥居元忠を祀る神社である。
家康は、元忠が自刃した伏見城の血染めの畳を江戸城の伏見櫓の
階上に置き登城した大名たちに元忠の忠義を偲ばせた。明治になって
鳥居家に下げ渡され、ここの本殿裏に畳塚として埋納されている。
次の壬生城址、壬生寺は次回としよう。