じんべえ時悠帖Ⅱ

長野市穂保の決壊の謎を解く

 さすがに10月、ずいぶんと涼しくなって来た。冬のように、

蒲団から出るのも時間がかかる。また、ここ2,3日雨がち

の天気が続き、早朝散歩もお休みが多い。


 さて、千曲川の氾濫で長野市穂保の土手が決壊して、長沼

地域が広く冠水した。4年前に、川中島古戦場から千曲川の

土手を15キロ歩いて、この日のゴール、小布施橋に向かって、

この辺りの土手を歩いていた。

 5月の強い日差しを浴び続け、熱中症寸前のとぼとぼ歩き。

それを元気づけてくれたのが、このあたりの景色である。

 先日も書いたが、左に飯縄、黒姫を、正面にポツンと斑尾、

そして対岸奥には志賀の山並みを望む、まさに「北信濃絶景」

ある。

 千曲川は、広い河川敷の反対側を流れるため、その川面は

僅かに覗くだけであるその河川敷にはリンゴの樹が多く、

土手下にはお寺さんが多かったことも覚えている。

 前後の距離ポストと小布施橋の距離ポストから計算して、

下の写真が決壊箇所から北へ200メートルの「妙笑寺」である

ことを特定できた。

 この冠水地域から1キロほど離れたところに住む知人から、

この妙笑寺の「妙」は本当は「玅」であること、今回の冠水は

この妙笑寺の参道にある「大洪水水位標」の一番上、寛保2年

(1742)の「戌の満水」の高さに匹敵するか、それ以上かも

知れないと教えて戴いた。

 また、同氏から戴いた決壊箇所の航空写真を見て気が付いた

ことがある。

 微妙にカーブした土手道は妙笑寺を避けるためではないか。

そして、そのために千曲川の激流の凄まじい力をを受け易く

なって決壊したのではないか。素人の推定である。

 となると、この手前(上流)1.5キロにある西慶寺のところ

でも同じことが言えそうだが、ここは決壊していない。

 やはり、素人のたわ言であった。

 いずれにしても、このあたりは昔から洪水、冠水が多かった

と言う。やはり「千年に一度」、いや百年に一度の豪雨にも

スーパー堤防は必要だろう。ネ、蓮舫さん。




ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

jinbei1947
移民様
コメントありがとうございます。
移住早々の災害、お見舞い申し上げます。
高校まで長野市の県庁前に住んでおりました。
いつの間にか半世紀以上になりますね。
この湾曲が決壊の原因とは全くの素人考えですが、
とにかく強い流れだったんでしょうね。
今住んでいる埼玉県三郷市は江戸川沿いです。
高規格堤防ですが千年に一度の豪雨に耐えるかどうか
心配ですね。
移民
はじめまして。
他県から長野市内に移住して2週間経たずに今回の水害がやってきました。
夜中じゅう鳴るスマホのアラートを見るたびに地名をハザードマップで確認しておりました。
そしてその後も長野市の地理や歴史を勉強しているところです。
幸い私は住居を決める際にハザートマップを見ておりましたので、被災は免れました。

今回の記事、興味深く拝見致しました。
私は妙笑寺手前で決壊したから、西慶寺付近では決壊しなかったのでは?と思いました。
逆に、妙笑寺付近が堪えたら西慶寺付近でが決壊したのではないか、とも。
あれだけの川の流れの力には、あのような湾曲は脆いのでしょうね。
jinbei1947
この辺りに長沼城の説目板がありました。
改めて見てみると、ちょうど妙笑寺の南側です。
明日か明後日に書いてみようと思います。
ykoma1949
多分 この写真を見た限りでもじんべえさまの
推定の正確さが想像できます。
私の息子がこのすぐ近くの長野高専に在学して
いた頃の20年くらい前は、まだこんな住宅は
ほとんどなくて、ほぼりんご園だったと思います
最寄り駅の三才駅もあの道路の下はほとんど畑で
人家はなかったのですが・・時代とともに都市化
して今回は大きな被害となってしまいました
これから その検証が進むことになりますが
最後は・・100年、1000年に一度の災害・・
ということで、誰の責任でもない・・という
結論で・・シャンシャンでしょうね。
またいつか同じことが・・起きるでしょう
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る