じんべえ時悠帖Ⅱ

「暦のしずく」連載を終えて、沢木が語る

 昨日、沢木耕太郎の「暦のしずく」が連載を終えたことを書いた。

その沢木耕太郎が今日の朝日朝刊に一文を寄せている。

 七、八年前のこと、沢木は郡上八幡を訪れ八幡町の古い城下町を

散策した後、白鳥町の白山文化博物館に入る。そして「郡上一揆」の

コーナーに一直線に向かった。

 目的は「傘(カラカサ)連判状」を見ること。首謀者が判らないように、

横ではなく円形に名前を書く連判状だ。それを見た沢木はこう書く。

  あたかもダンゴムシのように丸くなることで身を守ろうとして

  いるかのようであり、同時にそれぞれが中心に向かうことで固い

  団結の意志を示しているようでもあり、また、押されている印も

  まるで黒い血による血判のようにまがまがしさを放っていた。

 八幡町に戻り夕食を取った後、街外れのホテルに向かうタクシーの

運転手が、映画「郡上一揆」にエキストラに出たことを語ったことで

話が盛り上がった。

 ホテルに着き料金を払う時に振り返った運転手が「沢木さんですか」

と驚くように言った。生涯初めて?のことに沢木も驚く。沢木の熱心な

愛読者だった。

 運転手が言った。「郡上一揆について何かお書きになるんですか」。

ホテルの廊下を歩きながら沢木は思った。もしかしたら将来、自分は

馬場文耕について書くかもしれない。なぜなら、馬場文耕が獄門送りに

なった講釈は郡上一揆についてのものだったからだ。

 沢木が馬場文耕の名を知ったのはかなり若い頃だった。過激な講釈を

したことで獄門に処されたことぐらいしか知らなかった。何となく心に

引っ掛かったのは、その名に自分と同じ「耕」の字がつくことだった。

 

昨日の江戸川河川敷冠水風景の続き

 


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