じんべえ時悠帖Ⅱ

昭和に思いをはせてー埼玉版

 埼玉県の広報誌「彩の国だより」5月号の特集は「昭和に思いを

はせて」。「もはや戦後ではない」の30年代、40年代の出来事から。

 昭和33年 川口の鋳物師親子、東京五輪用の聖火台を鋳造

 昭和36年 昭和の大合併で戦後の323市町村から95市町村に

 昭和37年 1月県人口250万人に、12月草加松原団地入居、以降、

      武里、みさとなどマンモス団地入居、「埼玉都民」

 昭和40年 5月広報誌「さいたまけん」創刊、10月人口300万人

 昭和42年 9-10月埼玉国体

 昭和44年 1月県人口350万人

 昭和46年 11月埼玉百年記念式典、11月14日が県民の日となる

 昭和47年 市の数が38となり全国1位に

 昭和48年 8月埼玉県民となる(私事) 

 

 尚令和6年現在、埼玉県の人口は約735万人、市は40、町は22、

村は1つ(東秩父村)で計63市町村。県都さいたま市は133万人。

 

先月28日の江戸川早朝散歩から、埼玉県の東の端である。

聞こえる掛け声は日本語ではない

かなりピンボケ、動きについて行けない

臨時?のオートキャンプ場に

 


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コメント一覧

jinbei1947
食糧輸入が困難となる事態が起き、日本全体が食糧難となれば食糧自給の信州は
きっと蹂躙されるでしょうね。
しっかりと防衛力強化を進めておかないといけません。
ykoma1949
信州長野県は、じんべえさまが信州を去られて以降昭和40年
の人口199万人・・そして今年の3月の人口199万人と・・
偶然なのか、意図的なのかよくわかりませんが・・私の予想人口
200万人をいつの間にか割り込んで・・いました。
彩の国と張り合う訳ではありませんが、まさに日本の経済の縮図
がこの二つの県を見ただけでも顕著です。
新潟の田中総理が、日本列島改造論・・新幹線構想、首都分散
構想、国家主導構想、に官僚や自党内部そして米国の上層部か
ら脅威を感じられ引きずりおろされてしまいましたが・・今でも
残念な気がしています。でも仕方ないですね~ 出る杭は打た
れる国ですから・・でも信州はこの先も少しは人口は減少して
も変わらずに行ってほしい、都会のこの先は・・資源も農地も
自然もない大都会の将来よりも・・食糧の自給のできる県です
から・・そこだけが・・強みです。
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