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じんべえ時悠帖Ⅱ

日光街道、まぼろしの中田宿

 今日三月三日は雛祭り。ペーパークラフトの雛飾りを再度

紹介しておこう。実は前回の紹介以降、女雛を作り直した。

男雛、三人官女に先立ち一番最初に作ったので要領が悪く、

ちょっとイビツに仕上がったためである。

 

 さて、日光街道ウォークは利根川橋を渡り始めたところ。

全長約700メートルの1/3くらいのところが埼玉県と茨城県の

県境である。ちょうど10分で渡り切る。

 日光街道の順路は渡り切った先の土手を左に下りて行くが、

階段を降りた隧道で上り線側に出て、再び土手に上がる。

そして上り線側の利根川橋の歩道で栗橋側に歩く。

 子の表示は対岸まで行ってもその先は行き止まりという

ことなのか。それでもかまわないのだが。

 こんな面倒くさいことをするのは、国道4号の上り線橋梁

下の河川敷にあった中田宿の跡を眺めるためである。

 今はゴルフ場になって面影は一切ないが、当時に思いを

馳せるには、長い寄り道も厭わずどうしてもここから眺めた

かったのである。

 大正から昭和にかけての利根川改修で中田宿跡の住戸は

須らく内陸に移転した。

 中田宿は、毎月の上下で栗橋宿と交互に宿機能を受け持つ

合宿(アイノシュク)である。幕府公認の宿場には常に人夫や馬匹

を置いておくなど村の負担は大きいのである。

 再び対岸に戻った私を待ちかねたように声をかけて来た

のは年配の女性。「富士山が見えますよ!」と弾んで言う。

今日は春霞で見えないと思っていた。

 肉眼では何とか見えても写真では撮れていないが多分ここ。

それにしても眼のいい(遠視?)御婦人である。

 少し立ち話をすると、最近、夫の転勤で九州から引っ越して

来たといい、振り返って、あれは筑波山よと自慢気にいう。

代わりにご婦人がわからない赤城連山を教えてあげる。

 下り線側の橋詰に戻り街道ウォークを再開。日光街道は

国道4号を離れ土手を斜めに下りて直角に北へと向かう。

その角に口碑が立つ。脇の箱は簡単な燈籠である。

 中田の渡しではなく房川(ボウセン、ボウカワ)渡。利根川は

このあたりでは房川と呼ばれていたらしいが由来は不詳。

 昼にはちょっと早いが土手に上がる石段に腰かけて中田の

街並みを眺めながらおにぎりの昼食とする。

 次の交差点の火の見櫓の足元には中田宿の口碑が立つが、

河川敷から移転した街並みに街道遺構は一切ない。まぼろし

の中田宿である。

 寺社仏閣に寄りながら次の古河宿へ向かう道中は次回。

 

 

 


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コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

jinbei1947
えめらるど様
ネットでは向かって左から銚子、三方、長柄銚子とありますから
一応は合っています。
ただ、銚子は掌を上に向けた右手だけで持つとなっていますが、
この型紙は対応していません。
真ん中に座る官女は唯一既婚、よって、お歯黒、剃り眉であると
勉強しました。
jinbei1947
ワイコマ様
その後の利根川の暴れ方を鑑みると移転は正解だったでしょう。
更なる土手強化工事でダンプが走り回っていなければ、下りて歩いて
みたかったですね。
でもゴルフ場では・・・。
eme
街の中に陳列されている雛段を見る時、毎度気になるのは、官女や五人囃子などの持ち物が正しく配置されていない場合がある事です。
ykoma1949
幻の 中田宿…ある一時期ここに暮らした人々
今は、どんな思いで~彼らに代わってその望郷
を偲んであげられた。
その面影は全く無い、というのも、寂しいですね
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