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じんべえ時悠帖Ⅱ

「ともに 1・17」阪神淡路29年

 阪神淡路地震から29年の今朝、神戸市長田区の公園には「ともに

1・17」のキャンドル文字が浮かび上がった。石川能登と「ともに」

である。「がんばろう神戸、頑張ろう石川能登」の燈篭もある。

 29年を隔てているが「ともに」厳寒期の大震災を受けた。その間

には、あの東日本大震災や熊本震災など「地震列島」という言葉を

生んだ多くの震災がある。

 

 その29年前の年末に「神戸ルミナリエ」が始まった。震災からの

復興を勇気づける企画は「その年限り」のはずだった。それを毎年

の行事にしたのは太田敏郎(故人)の奮闘だった。

 姫路から神戸に来て「能率風呂工業」を起こした。地震で瓦礫の

街になった真っ暗な神戸にバーンと光が現れた。涙が出た。これは

大事にしていこうと思って継続に奔走した。

 その結果継続が決まったのは1996年7月、それから資金集めに

奔走した。地元の120社を回った。「あんたんとこ業績がいいから

一千万円は出せるだろう」、手には会社四季報があった。

                   (今日の朝日朝刊から)

 25年続いた「神戸ルミナリエ」もコロナで中止になり、昨年末

4年ぶりに復活した。京都赴任中の2004年、10年目のルミナリエ

を観た。ボーンという大音響で点灯した瞬間に圧倒された。95年、

最初の年に見た人々はどんなにか勇気づけられたことだろう。

 

街の花鳥


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コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

jinbei1947
ワイコマ様
それで息子さんは土木技術者になった訳ですね。
私は建築よりも通りやすいという理由だけで機械系を受けました。
長田区の社員(先輩)はしばらく出社せず、近所で唯一倒れなかった
自宅を拠点に救援活動に没頭していました。
「酒道」の先輩でもあります。
ykoma1949
この阪神淡路大震災に長野高専でボランティアに行くことになり
私達も父兄会で一緒に活動させて頂き 初めての活動となりまし
た。
この日の朝、テレビに噛り付いて・・一日仕事にならなかった
事を思い出します。この時期会計事務所は一年中で一番忙しい
時期だったので、3月の確定申告が終わってから、息子たちの
春休みにボランティア活動が思い出です。
こんな大きな震災は初めての体験でしたが、いい経験となりました
丁度工事中だった、明石海峡大橋の現場にも入ることが出来て
息子は大きな影響を受けたようです。親子でこの震災は、沢山の
教えを頂いた震災でもありました。
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